宮沢賢治の童話『どんぐりと山猫』は、生前に発表された数少ない作品のひとつです。
本作収録の作品集『注文の多い料理店』は自費出版で、当時は殆ど売れず、殆ど賢治本人が買い取る羽目になりました。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 宮沢賢治(37歳没) |
発表時期 | 1924年(大正13年) |
ジャンル | 短編小説 童話 |
ページ数 | 14ページ |
テーマ | 教育者としての心象 自由教育の在り方 大人への通過儀礼 |
収録 | 作品集『注文の多い料理店』 |
あらすじ
ある秋の土曜日、一郎のもとに、下手くそで間違いだらけのおかしな葉書が届きました。面倒な裁判があるので出席してほしい、という山猫からの依頼でした。一郎は大喜びで山猫を探しに出かけます。
栗の木や栗鼠などに道を教えてもらいながら進むと、山猫に仕える異様な風体の馬車別当と遭遇します。続いて山猫も登場し、早速どんぐりたちの裁判が執り行われます。どんぐりたちは誰が一番偉いかで揉めていて、各々が自分を一番だと主張するので一向に決着がつかないようです。そこで一郎は「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」という頓知を提案します。するとどんぐりたちは一斉に黙り込んでしまい、早々に争いが解決します。
山猫は一郎の知恵に感心し、今後は葉書に「出頭すべし」と命令調で記してもいいかと尋ねます。何だか変な感じがした一郎が否認すると、山猫はよそよそしくなります。謝礼として、塩鮭の頭と黄金のどんぐりのどちらかを選ばせ、一郎が黄金のどんぐりを選ぶと山猫は安心したようでした。
一郎が家に着いた頃には、黄金のどんぐりは色褪せて普通のどんぐりとなっていました。そして二度と山猫から葉書が来ることはありませんでした。一郎は、「出頭すべし」という命令調を断らなければよかった、と残念に思うのでした。
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個人的考察
教育者としての宮沢賢治
本作『どんぐりと山猫』が執筆された当時、宮沢賢治は農学校の教員になるために就職活動をしていました。実際に童話集として発表される頃にはすでに教員を勤めています。
ともすれば、どんぐりたちは、いわゆる学徒を象徴する存在だと推測したら面白いでしょう。誰が一番偉いかという朦朧とした基準の中で争う生徒たちに対して、「ばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていない」存在、つまり謙虚な心を持つ人間が最も偉いのだ、ひいては偉い人間などいない、と諭す賢治の教育精神が描かれていたのではないでしょうか。
本作が執筆された大正時代には、デモクラシーの風潮が高まり、児童の自発的な学習という教育理念が普及していきます。国家本位の競争主義的な教育システムから、自由な教育へと転換し始めた過渡期だったわけです。
実際に宮沢賢治は教科書に重点を置かず、斬新で自由な授業に取り組んでいたようです。
ともすれば、どんぐりたちの争いは前時代的な競争主義の教育を象徴していたのかもしれません。賢治は謙虚な姿勢の重要さを明示することで、誰が偉いのでもなく、自由に学問を追求できることが最も重要だと訴えていたのではないでしょうか。
宮沢賢治の童話には権力を風刺する作品が多く存在します。権威ではなく、謙虚で自由な教育こそが、人間の本質的な豊かさの礎であることを賢治は子供たちに伝えたかったのでしょう。
「出頭すべし」の真意
裁判における一郎の頓知は納得できたものの、その後の一郎と山猫のやりとりに違和感を抱いた人が多いのではないでしょうか。
なぜ山猫は「出頭すべし」という命令調を一郎に提案したのか。
優秀で知恵のある一郎に感心していた山猫は、表面上は一郎に感謝していたものの、内心ではある種の危機感を抱いていたのではないでしょうか。三日間かけてもどんぐりの争いを収拾できなかった山猫にとって、瞬時に事態を収束させる一郎は、自分の権威を脅かす存在です。つまり、どんぐりたちを取り仕切るリーダーの座を奪われることを案じて、瞬時に一郎を自分の権威に丸め込もうとしたのだと思います。
ところが一郎は、「さあ、なんだか変ですね。そいつだけはやめた方がいいでしょう。」と言って断ってしまいます。途端に山猫は辿々しくなります。黄金のどんぐりはメッキでしたし、二度と葉書をよこすこともありませんでした。自分の権力が及ばないと判れば、早々に不穏分子を排除する権力者の愚行が、風刺的に描かれていたのかもしれません。
どんぐりの小競り合いを咎める山猫が最も権力に取り憑かれていたのです。魚は頭から腐る、の通りですね。権威に取り憑かれた指導者では民衆に真の叡智を与えることは不可能だ、という賢治のメッセージが含まれているのかもしれません。
宮沢賢治は裕福な家庭を捨てて、人々と同じ境遇に身を据えて農業の知恵を普及しようとしました。教育者として指揮を取ろうとする自分にとって、山猫の存在はある種の戒めや教訓だったのかもしれません。
馬車別当について
片目で、足が山羊のように曲がっている、という奇妙な風貌が特徴の馬車別当が登場しました。
別当とは本来律令制における官司の地位を指す言葉で、簡単に言えば「朝廷に仕える役人」くらいのイメージです。それを派生させて、山猫に媚びへつらう馬車の運転手・家来、みたいなざっくりした意味で用いたのでしょう。
あるいは別当には、盲人の官位という意味も含まれているため、片目が見えない特徴もそこから派生させたのではないかと考えられます。
さらに踏み込むのであれば、馬車別当の書いた葉書の文字は間違いだらけで、彼に学がないことは明らかでした。そして彼の山猫に対する献身ぶりは凄まじく、封建社会を象徴するようでもありました。それでいて、山猫が煙草を吸い始めると、自分も欲しい気持ちを堪えてぼろぼろ涙を流していました。
つまり、学がない人間は搾取されるという惨めな運命を、宮沢賢治は風刺的に描いていたのでしょう。自身が教育者だからこそ、窮する現状を打開するためには知識を得る必要がある、という強い思いがあったのかもしれません。
自然の脅威と人間の知恵
山猫と言えば、代表作『注文の多い料理店』の山猫軒を彷彿させますよね。宮沢賢治にとって、山猫とは自然の脅威を象徴する存在だったのでしょう。
ともすれば、山猫と一郎の関係は、自然の脅威と人間社会の遭遇を意味しているのかもしれません。
一郎は山猫に会うために、山の中に入り込んで行きます。道中には、秋の自然の美しさが、宮沢賢治の秀逸な色彩表現によって描かれています。ところが最終地点には一郎を丸め込もうとする自然の脅威、つまり山猫が待ち構えていたわけです。
『注文の多い料理店』の場合であれば、二人の紳士は扉の向こうの山猫の恐ろしさに敗北します。それとは対照的に『どんぐりと山猫』の場合は、知的な一郎は山猫による支配を見事に回避します。
つまり、人間の知恵のみが自然の脅威に立ち向かえる手段だということではないでしょうか。
宮沢賢治はその事実を風刺していたのか、肯定していたのかは判りません。人間の知恵によって自然を支配することの愚かさを訴えていたのかもしれません。あるいは人間の知恵によって自然と上手に付き合うことを重要視していたのかもしれません。
いずれにしても、一郎の元に再び葉書が届くことはなかったのですから、本質的に人間と自然の間には、良くも悪く超えられない隔たりが存在するということでしょう。
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ドラマ『宮沢賢治の食卓』
宮沢賢治の青春時代を描いたドラマ、『宮沢賢治の食卓』が2017年に放送された。
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▼ちなみに原作は漫画(全2巻)です。