村上春樹の『トニー滝谷』あらすじ考察 愛する者の死と物質の渇き

トニー滝谷 散文のわだち
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村上春樹の小説『トニー滝谷』は、映画化されたことでも有名な短編作品です。

新鮮な文体の中で展開されるトニー滝谷の孤独には、いかなる人生哲学がメタファーとして表現されているのでしょうか。個人的な解釈で咀嚼していこうと思います。

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『トニー滝谷』の作品概要

作者村上春樹
発表時期1990年(平成2年)
ジャンル短編小説
テーマ孤独感、心の乾き
関連2005年映画化(市川純監督)

1990年に発表された短編小説で、後の1996年に作品集『レキシントンの幽霊』に収録されました。2005年には市川準監督によって映画化されており、映画音楽を坂本龍一が担当したことでも話題になりました。噂では村上春樹も映像作品を称賛したようです。

原作の小説は非常に斬新な文体で綴られています。語り手は神の目線の三人称であるにもかかわらず、主語と鉤括弧の不在によって登場人物の感情が主観と客観の両方で表現され、語り手と人物の境界線が曖昧になる面白い技巧が施されています。あるいは、会話文がほとんど使用されず物語が展開するのも特徴的です。

『トニー滝谷』の簡単なのあらすじ

トニー滝谷」というのは主人公の本名ですが、両親はれっきとした日本人です。

父の滝谷省三郎は、有名なジャズトロンボーン奏者で、人当たりの良さで得をしてきた種類の人間です。戦後にはアメリカ兵と親しくなり、幾分かひいきに暮らしていました。ところが、妻が出産後すぐに死んだことで、酷い孤独に苛まれます。そんな彼を慰めたのが、アメリカ兵の友人でした。アメリカ兵の友人は、生まれてきた子供に自分のファーストネームつけるように持ちかけます。その結果、滝谷トニーという名前になったのです。

トニー滝谷は、その名前のせいで混血児と間違えられることが多く、冷たい視線を浴びて育ちました。しかし孤独というものを辛く感じることはなく、独りで生きる運命を漠然と受けいれていました。

そんな彼も、出版社でアルバイトをする着こなしの美しい娘に恋をし、結婚します。彼の孤独な人生はここで幕を閉じたのです。ところが、愛する人を手に入れたことで、以前は考えもしなかった「再び孤独に戻る恐怖」を懸念するようになり、それは現実になります。

妻の衣服に対する買い物依存は病的でした。さすがに歯止めをかける必要性を感じ、トニー滝谷が妻を注意すると、彼女は自分の異常性を認め、洋服のいくつかを返品しに行きます。その道中に彼女は交通事故で亡くなります。

孤独に逆戻りしたトニー滝谷は、悲しみを紛らわすために亡き妻の衣服を着てくれる女性を雇おうとします。しかし大量の衣服は妻の幻影に過ぎず、全てを売り払うことにしました。間も無く父も亡くなり、遺品である大量のレコードが空っぽになった妻の洋服部屋を埋めることになります。ところが所有に対して歯痒さを感じた彼は、膨大なレコードも売り払ってしまいます。

トニー滝谷は今度こそ本当に独りぼっちになったのでした。




『トニー滝谷』の個人的考察

遺品を処分したのはなぜ?

最後に綴られる「本当に独りぼっちになった」という一文が非常に印象的でした。亡き妻や亡き父の遺品を処分することで、トニー滝谷は本当の意味での孤独になってしまったのです。

ともすればトニー滝谷はなぜ、死者の遺品を所有することに息苦しさを感じ、全てを処分してしまったのでしょうか。

トニー滝谷は幼少の頃から疎外感を抱き、ずっと孤独な人生を送って来ました。特別それが辛いというわけではなく、孤独に生きることに慣れ切っていました。しかし、妻と出会い孤独な人生を離れ、他者の存在がもたらす幸福を知った途端に、元の孤独な人生に戻ることを極端に恐れるようになります。愛を知った途端に失う恐怖に過敏になってしまったのです。

妻の死を受け入れられない彼は、別の女性に妻の衣服を身につけさせて、死者の幻影を実世界に見出そうとしていました。ところが死者が戻ってくることなど当然あり得ず、それどころか衣服が妻の影(死)を想起させるものとして、トニー滝谷を苦しめていたように思います。

あるいは父のレコードも同様に、愛する者の死を想起させる物として、所有することが困難だったのでしょう。

こう言った尾を引く悲しみから脱却するために、トニー滝谷は遺品を全て処分したのではないでしょうか。「本当に独りぼっちになった」という文章からは計り知れない悲しみが感じられますが、ある種においてはかつての何も所有しない孤独な自分に戻っただけであり、疑似的な方法で孤独を克服しようとしたという解釈もできます。

父の演奏に対する違和感

トニー滝谷が父のジャズ演奏を聴きに行く場面で、なぜか彼は父の演奏に対して違和感を抱きます。息苦しさや居心地の悪さまで感じ、明らかにかつての演奏と違っていることに気づいたのです。ところが、どこがどう違うのかは判りませんでした。

父の死を予感していたのでは、という考察では少し物足りないので、父の心境に焦点を当ててみます。

父は妻の死によって深い悲しみに囚われていたものの、やがて他の女性と関係を持つようになります。しかし再び結婚することはありませんでした。その様子は、孤独に慣れてしまったようだと作中に記されています。

トニー滝谷が父の演奏を聴いたのは子供の頃の記憶であり、孤独に慣れた父親の演奏でした。ともすれば、孤独に慣れた父親の演奏が、年月を経て違和感を抱かせるようになったことになります。

人間は孤独に慣れたつもりでも、最終的には孤独に苦しめられるということを示唆していたのではないでしょうか。愛する者の死がもたらす悲しみは一時的に克服できたように思えても、一生消えず、むしろあるタイミングで濃くなってしまうのかもしれません。先ほどの考察ではトニー滝谷は疑似的に悲しみを克服しようとした、という解釈を記しましたが、文字通り「疑似」であり、いずれ父親のように「違和感」として悲しみがフラッシュバックすることが予想されます。




妻とトニーの対照的な心の渇き

トニー滝谷や父親だけが孤独に苛まれていたわけではなく、トニー滝谷の妻もそこはかない孤独を抱えていたように思われます。

彼女の衣服に対する執着は病的で、1日に2着使ったとしても全て着るのに2年かかるほどの異常な量の服を所有していました。当人も、要不要に関係なく買うことをやめられないと言っていました。「ただただ単純に我慢ができなかった」と文中には強調されて記されています。

この病的な言動は、ある種の心の乾きのように感じられます。いくら綺麗な洋服を買っても満たされない不健康な心は、孤独や悲しみに起因しているようです。心の渇きを埋めるアイテムを返品した途端に死んでしまうという展開も、必然性を感じざるを得ません。

このような妻の孤独は、トニー滝谷とは対照的でしょう。

トニー滝谷の孤独は他者の愛情によって埋められ、最終的には跡形もなく消え去ってしまいました。ところが妻の心の渇きは綺麗な洋服を購入することで紛らわされ、その洋服は彼女の死後も形を持った遺品としてこの世界にあり続けました。喪失する可能性のある愛情によって孤独を埋めるのか、決してなくならない物質によって孤独を埋めるのか・・・

形而上・形而下のいずれであれ、人間は外部の存在(ヒトモノ)によって孤独を紛らわし、それでも完全に満たされることはないという人生哲学を読み取ることができました。

映像作品で楽しむ『トニー滝谷』

本作『トニー滝谷』は2005年に市川純監督によって映画化されています。映画音楽はあの坂本龍一が担当していますし、村上春樹自身もこの映像作品を評価しているという逸話が存在します。

是非、村上春樹の世界観を映像で楽しんでください!

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以上、村上春樹の『トニー滝谷』のあらすじ考察を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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