吉本ばななの小説『キッチン』は、1989年の年間ベストセラー2位を記録した著者の処女作です。
同年の1位は、同じく吉本ばななの『TUGUMI』がランクインしています。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 吉本ばなな |
発表時期 | 1987年(昭和62年) |
受賞 | 海燕新人文学賞 |
ジャンル | 短編小説 |
ページ数 | 80ページ |
テーマ | 死生観 絶望からの再生 |
あらすじ
■『キッチン』
早くに両親を亡くした主人公「みかげ」は、祖母に育てられました。
ところが愛する祖母も亡くなり、みかげは飽和した悲しみにぼんやりと過ごしています。精神的にはかなりまいっているようです。
祖母は生前、花屋で働く「田辺雄一」という青年を可愛がっていました。その不思議な縁に導かれ、みかげは田辺家に居候することになります。
雄一の実の父、今は母になったゲイの「えり子さん」との出会いも通して、みかげは人生に対する哲学を見出し、絶望から再生します。
悲しみを克服するみかげの周囲には、「家族」と「キッチン」が、揺るぎなく、無口な優しさを持って存在するのでした。
■『満月-キッチン2-』
田辺家との出会いにより、絶望の淵から復活した「みかげ」でした。しかし、その年の秋にえり子さんが殺されます。
みかげは既に、料理研究家のアシスタントとして、自らの人生を突き進んでいました。えり子さんの死は当然みかげにとって衝撃でしたが、それ以上に息子である雄一の心に大きな傷を作ります。
孤独に打ちひしがれた雄一は、一人旅に出ます。彼には自分の家族の問題にみかげを巻き込んではいけないという考えがあるのです。
一方、仕事で伊豆に来ていたみかげは、出張先でとても美味しいカツ丼と出会います。彼女はそのカツ丼を雄一に食べされるために、猪突猛進に彼に会いにいくのでした。
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『満月ーキッチン2』のあらすじを詳しく
①えり子さんの死
孤独の底で弱っていた「みかげ」を救ったのは、雄一とえり子さんの存在でした。
しかし、その年の秋の終わり頃にえり子さんは殺されてしまいます。気の狂った男につけ回された挙句、彼女が働くゲイバーにまでやって来て、ナイフで刺されたのです。
みかげがえり子さんの死を知ったのは、事件から少し経過してからのことでした。雄一に電話で告げられます。雄一はみかげに真実を伝えなければいけないと思いつつ、事件当時はどうしても話すことが出来なかったのです。
田辺家に居候していたみかげは、その後大学を辞めて、料理研究家のアシスタントとして働き始めました。「キッチン」好きの彼女には天職だったようです。
就職と同時に彼女は田辺家を出ました。最後にえり子さんと会ったのは先月のことでした。偶然コンビニの前で遭遇したのです。最後のえり子さんとの記憶が笑顔だったことを思い出し、みかげは少しだけ安心します。
②雄一との再会
えり子さんの死を知らされたみかげは、後日雄一に会いにいきます。
えり子さんの死後、実の息子である雄一は酷く混乱していました。
何しろ刑事事件のため、混乱したまま慌ただしく毎日が過ぎたのです。そして、みかげのことは常に頭にあったのですが、全てを打ち明けると、物事が全て現実になるような気がして話せなかったようです。
つまり、雄一はえり子さんの死を受け入れることができなかったのでしょう。
そして今日、みかげと雄一は久しぶりに再会し、強張っていた精神が緩まるように、2人は思いのまま涙を流すのでした。
田辺家に居候していた夏、みかげは取り憑かれたように料理の勉強をしていました。そのおかげで、えり子さんと雄一と3人でご飯を食べる機会も多かったようです。
そして今、えり子さんがいなくなった家で、再び雄一のためにみかげは料理をします。あえてえり子さんの死を口に出すこともなく、ただ2人でいることだけが彼女たちにできる最大限の希望なのでした。
2人は心が通じ合うかけがえのない友達です。それでも、お互いの性質上、どんなに心細くても自分一人で抱え込んでしまう癖があります。
かつてのみかげがそうであったように、今まさに雄一は自分一人で全てを抱え込もうとしています。いざという時に強がる癖は、周囲を巻き込みたくいないという、彼彼女の根っからの優しさでもあるのでした。
③みかげの嫉妬
田辺家に寝泊りしたみかげは、翌朝、電話のベルで目を覚まします。受話器を耳に当てて自分の名前を口にすると、急に電話が切れました。おそらく雄一絡みの女の子だと推測し、みかげは申し訳ない気持ちになりました。
職場に到着したみかげは、急遽明後日からの伊豆出張を言い渡されます。
出張を快く受け入れ、午後からのクッキングスクールの準備を始めます。すると突然来客が現れます。どうやら今朝電話をかけて来た女性のようです。
女性は雄一の家に入り浸るみかげに嫉妬して、わざわざ難癖を付けに来たのです。彼女の自己中心的な言い分に、みかげは臆することはありませんでした。しかし、みかげと雄一の関係性を何も知らずに、勝手な憶測だけで話す彼女に、嫌な悲しさで胸がいっぱいになるのでした。
出張のため一旦みかげは自宅に帰ることにします。雄一が車で家まで送ってくれました。
みかげと雄一は男女として一緒にいるわけではありません。しかしみかげは、不思議と昼間の女性のことを思い出して、嫉妬という感情を覚えるのでした。
④えり子さんの人生哲学
ふと、みかげはかつてえり子さんが打ち明けてくれた話を思い出します。
えり子さんがまだ父親だった頃、奥さんは癌で入院していました。奥さんの要望でパイナップルの鉢を病室に飾っていました。しかし病状が末期になった頃、奥さんは「自分の死が植物に染み込むのが嫌だから、パイナップルの鉢を持ち帰って欲しい」と言いました。その出来事は「妻が、自分やパイナップルより死と仲良しになってしまった」という感覚をえり子さんに与えました。
その時以来、えり子さんは、世界は自分のために存在するわけでもないし、不幸の循環率は決して変わらないのだから、せめて自分だけは明るく生きようと決めたのでした。
当時のみかげは、えり子さんの人生哲学にあまり共感できませんでした。しかし、祖母の死を乗り越え、えり子さんの死に直面した今、彼女の人生哲学に深く共感するのでした。
⑤旅先にて
出張の前日にみかげは、えり子さんが働いていたゲイバーの従業員「ちかちゃん」に再会します。そして彼女から、雄一が一人旅に出ようとしていることを知らされます。
どうやら、雄一はこれ以上自分の家族の問題にみかげを巻き込むことに後ろめたさを感じているようです。
かつて祖母の死で孤独に打ちひしがれた経験があるみかげには、雄一の気持ちが痛いほど分かります。そして一度彼が旅に出たら、しばらく帰って来ないことも確信できるのでした。
出張の初日の夜に、みかげは一人で知らない土地を歩いていました。日中は仕事が忙しく、ほとんど食事が出来なかったため、夜になってから駅の近くの飯屋にやって来たのです。みかげはカウンターに座り、カツ丼を注文しました。
カツが揚がるまでの待ち時間、みかげは店の電話で、ちかちゃんに教えてもらった雄一が泊まっている旅館に電話をかけます。
2人は受話器越しに、お互いの旅先の様子を伝え合います。雄一が泊まった旅館は御坊料理専門のため、豆腐を使った食事しか出てこないようです。みかげは何となくカツ丼を食べる行為が裏切りのような気がして、今の状況を打ち明けるのをやめました。
雄一はすぐに東京に帰るつもりだと話します。みかげは彼の嘘を見破りながらも、差し障りなく電話を切るのでした。
待ちわびたカツ丼を口に含めば、あまりの美味しさにみかげは感銘を受けます。彼女は衝動的に持ち帰り用にカツ丼もう1つ注文します。
持ち帰りのカツ丼を受け取ったみかげは、タクシーに乗り込み、雄一の元へと向かうのでした。
⑥旅先での再会
遠く離れた雄一の旅先に、無鉄砲にやって来たみかげでした。
しかし、夜も更けていたため、雄一が泊まる旅館は完全に戸締りを済ませていました。諦めきれない彼女は、旅館の庭石から飾り屋根に登ろうとします。磨かれていない運動神経に悪戦苦闘しますが、腕に擦り傷を作りながらも、彼女は何とか飾り屋根に登り切りました。
無事、みかげはカツ丼を届けることに成功します。
突然の出来事に、雄一は困惑します。かつて「キッチン」でみかげと夢を共有した記憶を回想し、目の前にいるみかげは今回も夢の中の存在ではないかと疑ります。
みかげは、今この瞬間が現実であることを伝えます。そして、苦しくて面倒臭くても、雄一と一緒に居たいことを告白します。
お互いかつての明るさを取り戻し、みかげは出張先に戻っていきました。
出張の最終日、雄一から電話がかかって来ます。彼は既に東京に戻っているようです。
雄一が出張帰りのみかげを駅まで迎えにいくと電話で伝えます。彼の声はとても明るく聞こえました。みかげは受話器越しに、到着の時刻とホームについて説明するのでした。
そして物語は幕を閉じます。
個人的考察
「キッチン」の続編
本作が収録された作品集「キッチン」は、1989年に年間ベストセラーの総合2位の記録を獲得します。なんと1位は同じく吉本ばななの小説『TUGUMI』でした。それほど80年代において、作家「吉本ばなな」の影響力は凄まじかったということでしょう。
ちなみに吉本ばななは、村上春樹に次いで世界で人気のある日本人作家と言われています。
事実、本作『キッチン』をはじめ、彼女の小説は世界30カ国以上で翻訳されています。中でもイタリアでは社会現象になるほどの人気だったそうです。
なぜ、彼女の作品は日本のみならず世界で愛されているのでしょうか。彼女の作品に描かれたテーマに着目しながら、その理由を考察していこうと思います。
「キッチン」あらすじ考察は下記からどうぞ。
キッチンの夢を現実にする物語!?
本作は『キッチン』の続編であるため、根本的なテーマは同様です。つまり、家族の死を経験した人間が、新たな家族の形によって、悲しみを克服する物語です。
『キッチン』は、祖母の死を経験し無気力になったみかげを、田辺家という新しい形式の家族が救い出す物語でした。一方『満月』では、逆にえり子さんの死によって打ちひしがれた雄一を、みかげが救いだす物語です。一度どん底を経験したみかげだからこそ、雄一の悲しみや、彼が心を閉ざす感覚が痛いほど分かってしまうのです。
『キッチン』と『満月』は基本的に対比構造によって描かれていますが、決定的に異なる部分は、夢と現実の問題です。
『キッチン』では、同じ夢をみかげと雄一が共有することで、みかげの悲しみが克服されました。夢を共有する奇跡のような出来事を、あえて2人は現実世界で言葉にすることはありませんでした。それはつまり下記の通りです。
なんにせよ、言葉にしようとすると消えてしまう淡い感動を私は胸にしまう。先は長い。
『キッチン/吉本ばなな』
対する『満月』では、夢ではなく現実の出来事によって、みかげが雄一を救い出します。
彼女が旅先で出会ったカツ丼を雄一に届ける場面は、夢ではなく現実でした。それどころか、みかげは今現在の出来事が現実であることを、はっきり言葉にして雄一に伝えます。要するに、前作では夢の中で果たされた克服を、本作では現実世界で実現させるという、みかげの成長が描かれているのだと思います。
二人は恋仲になった?
さらに、前作『キッチン』ではあえて言葉にしなかった感動を、『満月』でははっきり言葉で伝えます。どれだけ苦しくて面倒な現実であろうとも、2人で一緒にいたい、雄一を失いたくない、というみかげの告白です。
そもそも、みかげと雄一の関係は非常に曖昧です。恋に発展する予感を抱きながらも、2人は心から通じ合える「友人」であるとも記されています。悲しみに打ちひしがれたお互いを支える存在、つまり第2の家族的な雰囲気が強く、2人に恋愛感情があるのかは曖昧です。
しかし、みかげがかつて「言葉にしようとすると消えてしまう淡い感動」と綴った想いを、『満月』ではあえて言葉にします。なぜ彼女は淡い感動を言葉にして雄一に伝えたのでしょうか。
出張先の飯屋で、みかげが雄一に電話をかける場面に記されています。
二人の気持ちは死に囲まれた闇の中で、ゆるやかなカーブをぴったり寄り添ってまわっているところだった。しかし、ここを越したら別々の道に別れはじめてしまう。今、ここを過ぎてしまえば、二人は今度こそ永遠のフレンドになる。
『満月ーキッチン 2/吉本ばなな』
親族の死という悲しみによって、2人はなんとなく寄り添って生きています。やがて、本心を言葉にすることなく、自然と悲しみを克服してしまえば、2人の関係は一生友達のままで留まってしまうという意味でしょう。
だからこそ、みかげは雄一が泊まる旅館まで押し掛け、ちゃんと言葉にして想いを伝えたのです。それは彼女の愛の告白だったのです。
永遠のフレンドではなく、恋人という関係を選んだみかげの決意がここに描かれていたのだと思います。
つまり、2人は『キッチン』で描かれた居候という形の家族から、もう一歩踏み込んだ恋人という形の家族に発展したということでしょう。
「満月」は何を表現していたのか?
『キッチン』ではタイトル通り、キッチンという家の中の一部分が、みかげにとって悲しみを克服する重要な存在として描かれていました。
対する『満月』では、満月は何かを物語っていたのでしょうか?
キッチンのようにはっきりとは描かれていませんが、ある場面で満月に対する描画が印象的に記されていました。孤独に打ちひしがれた雄一のために、みかげが手料理を振舞う場面です。
車に積んだ食材を家に運ぶ最中に、雄一は「月がきれいだよ」と口にします。そして、「綺麗な月を見たとかの経験が、料理の出来に関係するのではないか」とみかげに尋ねます。彼の問いかけに対して、みかげは強く共感します。「月がきれい」という言葉が、日本では愛の告白を意味するのは有名な話ですよね。夏目漱石による表現です。
つまり、満月を比喩的に用いて、愛する人のために作るという想いが、料理の出来に関係するということを2人が話していたのだと推測されます。
旅先でみかげが届けたカツ丼は、直接彼女が作ったわけではありません。しかし、彼女の愛する想いがあったからこそ、届けられたカツ丼は「大変、おいしかった」わけです。
つまり本作『満月』に秘められたテーマとは、愛する人のために作った料理、愛する人と食べる料理が、家族や恋人の関係を強く繋ぎ止めるということではないでしょうか。
「キッチン」という漠然とした存在が、料理という確かな物体に変わることで、みかげと雄一の距離がぐっと縮まったわけです。
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