芥川龍之介の小説『猿蟹合戦』は、昔話の後日談を描いたパロディ作品です。
昔話を皮肉的な着眼点で描く作風は、芥川らしいシニカルな社会風刺が感じられます。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 芥川龍之介(35歳没) |
発表時期 | 1923年(大正12年) |
ジャンル | 短編小説 パロディ |
ページ数 | 6ページ |
テーマ | 権威主義批判 社会風刺 |
あらすじ
おにぎりと柿の物々交換で、約束を破った猿。裏切られた蟹は、臼と蜂と卵に協力してもらい、猿を成敗しました。悪は裁かれ、最後は必ず正義が勝つ。誰もが知る昔話です。
ところが蟹には残酷な運命が待っていました。蟹とその仲間は殺人罪で警察に捕まり、主犯格の蟹は死刑、共犯者の臼と蜂と卵は無期懲役になります。取引において証書を交わしていないことが仇となり、猿の悪意を証明できなかったのです。
世論も蟹の味方をしません。無知故の恨み、危険思想、私有財産の濫用、宗教思想の欠落。散々な批判です。
蟹が死刑になった後、妻は売春婦になりました。長男は父の事件を機に心を改め、相互扶助を体現しました。次男はろくでもない小説家になりました。三男は馬鹿者なので、父と同じように猿に目をつけられます・・・。
蟹は猿と戦ったが最後、天下のために殺される運命なのです。そして最後に作者は、「君たちも大抵蟹なんですよ。」と読者に訴えるのでした。
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個人的考察
昔話のパロディ作品
「さるかに合戦」と言えば、誰もが知る日本の昔話です。
おにぎりと柿の交換を約束した猿と蟹。ところが猿は約束を破り、渋柿ばかりを蟹に投げつける。そこで蟹は、臼と蜂と卵に協力してもらい、悪事を働く猿を成敗する。めでたしめでたし・・・
ハッピーエンドを迎えたはずの「さるかに合戦」を、芥川は後日談という形式で描いています。しかも、法治国家という現実的な設定で、蟹に殺人の罪が問われるという、かなりユーモラスなパロディです。
果たして芥川は、このパロディ作品を通して、どのようなメッセージを訴えていたのか。
人の世に蔓延る「権威主義」というテーマに注目しながら物語を考察します。
蟹の存在から社会を紐解く
呑気な昔話がこれだけリアリスト的な視点で描かれると、思わず笑ってしまいますよね。
しかし、読者に向けられた最後の一文を見た途端、背筋が伸びる感覚があったのではないでしょうか。
「君たちも大抵蟹なんですよ。」
私たちが蟹であるなら、そもそも蟹とはどういう存在なのでしょうか。
要するに「猿蟹合戦」における蟹は、知識に乏しい社会的弱者を意味します。
一方で猿は権力者を指します。猿の横暴かつ利己的な悪巧みによって、蟹はおにぎりと柿の両方を得ることができませんでした。社会的弱者は搾取されるという世の中の仕組みを端的に表現しています。
しかし昔話は児童向けであるため、あくまで正義の存在に陰りを見せてはなりません。つまり、社会的弱者であろうが、悪に屈することは何があっても許されないのです。そのため、蟹は仲間の協力のもと、猿を成敗します。
その後日談を現実主義の目線で描けば、権力者に楯突いた蟹は確実に潰されます。
まさしく本作では、蟹の主張は証拠不十分と判断され、死刑宣告を受ける羽目になります。証拠不十分の原因は、証書を交わしていないことや、猿の悪意を証明するものがなかったからです。
社会的弱者と権力者との決定的な差異は知識の有無であり、権力者はその格差を利用しています。仮に社会的弱者が楯突いたとしても、圧倒的な知識の格差を前にしては、不穏分子の排除など造作がないわけです。
つまり、「とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である」という言葉通りの仕組みが、皮肉にも描かれていたのです。
このように、我々一般市民を「蟹」という社会的弱者に例えることで、現実世界の構図をニヒルに訴えていたのでしょう。
我々が大きな力に楯突けば、様々な大義名分によって、力で潰されてしまうのです。法律も警察も世論も学者も宗教も、弱い者を救ってはくれません。我々は大抵は蟹なのです。
世論は権力に支配されている
また、本作の皮肉が最大限に描かれているのは世論の部分でしょう。
蟹を擁護する声はほとんどありませんでした。もちろん、法治国家であるため、蟹に対する私的な感情が働くのは望ましくないことです。しかし、いくら真実が正しさを主張しても、法律や社会規範を前にすれば、「世論は体裁に抗うことができない」という、杜撰な人の世の仕組みが描かれているように思われます。
猿の悪意を証明できない以上、蟹が世論を味方につけることは不可能です。正義とは法律の内側だけで成り立つものであり、そのフェンスを飛び越えた途端、何人も正義にはなり得ません。ともすれば、証拠を残さずに実行された猿の悪意もまた、法律に裁かれることはないのです。社会における正しさとは一体何なのか、深く考えさせられる小説です。
あるいは、各方面の知識人が、適当な考察を論じる場面もかなり皮肉的で笑えますね。
ワイドショーなんかを見ていると、女子高生の自殺について、顔の肉が分厚い学者たちが集まって、SNSの危険性だの、家庭環境だの、いじめやハラスメントや、好き勝手に論じた挙句、相談できる相手がいれば、なんて一般論で片付ける光景はよく目にしますよね。
本質的な原因を無視して、適当な一般論で片付けて問題が解決するような、滑稽な社会の仕組みを、「猿蟹合戦」は揶揄していたように感じます。
あるいは、知識人であっても権力の前では一般論しか口にできない、杜撰なメディアを暗に非難しているのかもしれません。
昔話一つ取っても、世の中のクリーンな側面しか描いていない可笑しさを、芥川龍之介はパロディ形式で主張したのでしょう。
本作を読んで、皮肉を皮肉たらしめるのはユーモアだと実感しました。我々が権力に抗えば、簡単に潰されてしまいます。我々に与えられた手段は、「蟹」として生きることではないのです。ユーモアこそが権力に抗う唯一の手段なのです。紛れもなく、芥川龍之介はユーモアによって社会を批判したのですから。
他にも昔話のパロディがある?
本作のパロディ要素に興味を持った人も多いと思います。
芥川龍之介の作風の特徴は、古典作品を独自解釈してリメイクする点にあります。『羅生門』『鼻』『芋粥』など、初期の代表作は基本的に題材となる古典作品が存在します。教科書に掲載される『トロッコ』などは、友人の手記の内容から創作したと言われています。
あるいは本作のように、誰もが知る昔話『桃太郎』のパロディも創作しています。こちらも、「桃太郎はなぜ鬼退治を企てたのか」「鬼は本当に悪者なのか」といった同類のシニカルな視点で描かれているので非常に面白いです。
下記書籍には、『蜘蛛の糸』『トロッコ』に加え、今回紹介した『猿蟹合戦』や『桃太郎』も収録されているのでおすすめです。
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映画『羅生門』がおすすめ
芥川の代表作『藪の中』は、黒澤明によって『羅生門』の題で映画化された。
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