綿矢りさの小説『ひらいて』は、高校生の複雑な愛憎を描いた傑作です。
2021年には映画化され話題になりました。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 綿矢りさ |
発表時期 | 2012年(平成24年) |
ジャンル | 中編小説 恋愛小説(?) |
ページ数 | 189ページ |
テーマ | 歪な恋の三角関係 愛憎の暴走 愛と慈しみ |
関連 | 2021年に映画化 |
あらすじ
お洒落で人気者な女子「愛」がひっそり心を惹かれるのは、地味で悲しい目をした男子「たとえ」。どれだけ「愛」が愛想を振りまいても、「たとえ」は全く関心を示さない。
思い通りにならずヤキモキする「愛」は、夜の教室に忍び込み、「たとえ」の机にしまってある手紙を盗み読みして、絶望的な事実を知る。彼には5年も交際する、糖尿病を患う病弱な「美雪」という彼女がいたのだ。
「愛」の恋心は異常な執着へ変わる。「たとえ」を手に入れるために、「美雪」と友達になってきっかけを窺うのだ。ところが「愛」の行き場のない欲望は、やがて「美雪」に向かい、女同士で肉体関係を結ぶ。そして始まる歪な恋の三角関係。
「私、あんたの彼女、抱いたよ」
若き愛憎のエネルギーは、一体どこへ向かうのか・・・?
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個人的考察
愛憎が暴走する物語
本作『ひらいては』は、著者の6作目の小説で、芥川賞受賞作『蹴りたい背中』以来の、高校生を題材にした物語である。
高校生の青春と恋愛を瑞々しく描いた傑作小説。
『ひらいて-背表紙-』
文庫版の背表紙には、あたかも清潔な恋愛小説のように紹介されているが、実際の物語は混沌を極めている。
歪な三角関係の始まり
主人公の「愛」は、「たとえ」に対する愛情を拗らせ、その狂気的な執着は彼の恋人「美雪」に向けられる。「たとえ」を所有したい欲求から、「美雪」に接近してチャンスを窺うのだ。
しかし事態は急変する。「美雪」がまだ彼と肉体的に結ばれていない事実を知ると、「愛」の中に歪んだ感情が生まれる。
私は彼女を逃さない。
『ひらいて/綿矢りさ』
なんと「愛」は「美雪」の処女を犯すのだ。それは「たとえ」に対する腹いせの気持ち、彼より先に「美雪」を抱いてやった、という愛情の裏返しのような衝動でもある。
同性を犯すことに嫌悪感を覚えつつも、「愛」の激情は収まらなくなり、二人ともが絶頂に達するまでやり遂げるのだった。
一体、自分は何をしているのだ?
「愛」は複雑な気分に陥るが、次も「美雪」の体を求めずにはいられなくなる・・・
一方で「愛」は「たとえ」に告白して粉砕し、逆上して捨て台詞を投げつけ、さらには夜の教室で全裸になって、「私を彼女にしてほしい」と泣きつく始末だ。若き愛憎のエネルギーの暴走はもう止められない。
ちなみに、作中では谷崎潤一郎の作品が登場するが、まさにこの歪な三角関係は、谷崎潤一郎の狂った世界観、とりわけ代表作『卍』の三角関係を彷彿とさせる。
これは決して「青春と恋愛を瑞々しく描いた小説」ではない。それを期待して読んだ人は、予想外の展開に度肝を抜かれたことだろう。
ちなみに2021年には山田杏奈主演で映画化され話題になりました。
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「愛」の乖離した人間性
好きな男を手に入れるために、その男の彼女を利用し、絶対に自分の思い通りにしたがる。自分に自身がなければできない行動だ。
そう、「愛」はお洒落で人気者で、それなりに優等生で、恋愛経験も豊富な女子高生だ。
そして独占欲が強い。欲しいものを手に入れるために、言葉を飾り立てて演じるのが癖になっている。おまけに周囲の人間を利用することも厭わない。
彼女の演じる完璧な笑顔に、これまで多くの男があっさり屈服したことだろう。だからこそ、いくら愛想を振りまいても無関心な「たとえ」が腹立たしく、屈辱的で、その愛憎は異常な執着に変わったのだ。
ところが「たとえ」は、家庭の問題から、他者との距離感に敏感で、「愛」の仮面の裏側をいとも容易く見抜いてしまう。
・態度が嘘っぽい
・自分の思い通りにしたいだけの人の笑顔
・まずしい笑顔
こんな風に痛いところを突かれた「愛」は、逆上して捨て台詞を吐く。自分の思い通りに行かないことが許せない、典型的な破滅タイプの強欲女である。
「たとえ」にあっさり振られ、痛いところを突かれ、屈辱を味わった「愛」は、その行き場のない激情を、今度は彼の恋人「美雪」にぶつける。また詐欺師のように言葉を飾り立て、彼女の肉体を弄ぶのだ。
ところが「美雪」にさえも本質を見抜かれてしまう。
「愛ちゃんは表面の薄皮と内面の肉が、細い糸でさえつながっていない。完全に分離してる。だからなにを言っても私には響かないし、届かない」
『ひらいて/綿矢りさ』
「愛」自身も自分の言葉の嘘くささに愕然としている。強欲なあまり着飾ることに必死で、そのせいで本心と言動が乖離し、それが他者に疑念を抱かせ、本気で話しても何も伝えられないのだ。
こうした「愛」の人間性を象徴するごとく、作中では戯曲「サロメ」が引用される。
サロメは、預言者ヨカナーンを愛しつつも憎んでいる。なぜなら自分を忌まわしい女だと蔑み、見向きもしないからだ。愛を拒まれたサロメは、ヨカナーンを殺させ、彼の首を手に入れる。そして口づけをするが、死んだ彼の唇に温もりは感じられない。
相手を手に入れたい気持ちに取り憑かれ、欲望のためなら相手の心を蔑ろにする。こうした強欲な人間は、仮に口づけを実現できても、その奥の温もりまでは手に入れることができない。
「愛」もまた、欲望に支配される限り、「たとえ」の温もりを手に入れることはできない。
「愛」が学んだ慈しみの心
このように愛憎を暴走させる「愛」とは対照的に、「たとえ」と「美雪」は相手を慈しむ気持ちによって深く結ばれている。
「美雪」は糖尿病を患っており、その苦しみから家族に八つ当たりをしていた。それでも寄り添ってくれる家族の振る舞いに自己嫌悪に陥った彼女は、やがて自分のためではなく、他者のために生きることを望むようになった。
一方の「たとえ」も、毒親に苦しめられる境遇から、痛みを抱える人間の気持ちを想像し、寄り添うことができる人間だ。
そんな風にお互いが、他者のために生きることを望む人間だからこそ、二人は「恋愛」という関係以上に、「きょうだい」に近い感覚で強く結びついていた。その強い結びつきに「愛」が割って入ることは不可能なのだ。
「たとえ」と「美雪」に自分の本性を見透かされ、「愛」は自暴自棄に陥る。放心状態のまま自傷を試みたりもする。そんな「愛」を救ったのが「美雪」だった。
ほんのひとときでも、心を開いてくれたのであれば、私はその瞬間を忘れることはできません。
『ひらいて/綿矢りさ』
自分の欲望のために利用し、使い捨てた「美雪」が、自分に対して慈しみの言葉をかけてくれたのだ。その時に「愛」の中に、心変わりの前兆が訪れる。
それは聖書に対する想いの変化に表れている。
「愛」の母親はカトリック系の大学に通っていたため、家に聖書があり、何となしに目にする機会があった。その中の一節、「心の貧しき者は幸いです」という文章を読んだ時、当初の「愛」は、自分に必要な情報は一つも書いていない、と感じる。
ところが終盤に改めて、聖書の一節「着飾ることではなく、義を求めることの重要性」を説いた文章を読んだ時、「愛」は涙を流す。
自分もだれかのそんな存在になりたい。その人が苦しんでいれば、さりげなく、でも迷わずに手を差し伸べて、一緒に静かに涙を流せるようになりたい。
『ひらいて/綿矢りさ』
自分の欲望ばかりに取り憑かれ、着飾ることに必死だった「愛」が、他者を慈しむ生き方を望むようになっていたのだ。
この心変わりによって、入る隙のなかった「たとえ」と「美雪」の中に、「愛」も居場所を見出せるようになった。それはこれまでの愛憎や独占欲とは、全く別の感覚である。
詳しくは次章にて解説する。
「折り鶴」と「ひらいて」の意味
「愛」は、他者を慈しむ生き方を望み、飾り立てることをやめ、束の間でも心を開いた。それが「たとえ」と「美雪」の心をも開かせた。
卒業式間近のある日、東京の大学に進学する「たとえ」は、「愛」対して、「美雪と一緒にお前もついて来い」と告げる。その言葉に「愛」は涙を流し、しかし「もう折り鶴を折っていない」と告げる。すると「たとえ」は、「折れ」と強く訴える。
「愛」には教室で鶴を折る癖があった。彼女は「折る」という漢字と「祈る」という漢字の類似性を感じていた。それはつまり、「たとえ」を手に入れたい願望、そのことに対する祈りの思いが、折り鶴に表れていたのだろう。
しかし彼女は「折る(祈る)」ことはもうやめていた。「たとえ」を独占したい欲望は、既に彼女の中から消えていたのだ。それは諦めではない。愛情とも友情ともつかぬ、全く別の想いによって、満たされていたのだ。
学校を抜け出して電車に乗り込んだ「愛」は、自分が「たとえ」と「美雪」に着いて行かなくてもいいことを理解していた。二人を手に入れることよりも、二人を慈しむことを望むようになっていたのだろう。
最後に「愛」は、ポケットに入っていた折り鶴を元の四角い紙に戻し、「ひらいて」と呟く。これもまた、二人を手に入れたい激情から解放され、二人に明るい未来が「ひらかれる」ことを望んでいたのではないだろうか。
飾り立てた心を「ひらいた」時に、他者の心も「ひらかれ」、その者たちに明るい未来が「ひらかれる」。
「愛」はそう学んだのかもしれない。
映画『ひらいて』おすすめ
本作『ひらいて』は2021年に映画化され、山田杏奈が主演を務めた。
独特な世界観の映像が、原作の破天荒な物語と絶妙にマッチしており、高く評価されている。
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