小林多喜二の小説『蟹工船』は、プロレタリア文学の傑作です。
昭和初期に人気を博し、「1929年上半期の最高傑作」と称される一方で、発禁処分や不敬罪を受けた問題作です。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 小林多喜二(29歳没) |
発表時期 | 1929年(昭和4年) |
ジャンル | プロレタリア文学 中編小説 |
ページ数 | 139ページ |
テーマ | 資本主義批判 劣悪な労働環境 労働者と資本家の戦い |
関連 | 松田龍平主演で映画化 (2009年) |
あらすじ
「おい地獄さ行ぐんだで!」
蟹工船は、カムチャツカ半島沖の海域で、漁獲と加工を同時に行う船です。小型船で蟹を捕まえ、ただちに母船で缶詰に加工します。
漁船と工場の役割を持つ蟹工船は、漁船と工場いずれの法律も適用されないグレーな存在です。故に船内では過酷な労働環境が当然のように蔓延っています。政府も資本側と結託して、事態を黙認する姿勢でした。
監督である「浅川」は、労働者たちを人間扱いせず、暴力で支配しています。利益の追求だけが全てで、逃げる者には拷問を与えたり、大荒れの予兆があっても小舟を海に出したり、あるいは近辺で仲間の船が沈没しても見て見ぬふりをする始末です。そのため、労働者は過労や病気で次々に倒れていきます。まさに地獄のような世界なのです。
大荒れの日に無理やり小舟に乗せられ遭難した労働者は、偶然ロシア人に救出されます。労働者たちは、ロシア人に「プロレタリアートこそ最も尊い存在」と知らされ、自分たちのいる環境が間違っていることに気づき始めます。遭難した労働者は蟹工船に戻って、仲間たちにプロレタリアートこそ尊いという精神を共有します。すると当初は無自覚だった労働者たちは、やがて権利意識に覚醒し、ストライキ闘争に踏み切ります。
会社側は海軍に無線で鎮圧を要請し、駆逐艦から乗り込んできた水兵にストライキの指導者は逮捕されてしまいます。しかし労働者たちは再度ストライキに踏み切り、自分たちの権利を獲得するのでした。
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個人的考察
プロレタリア文学とは
プロレタリア文学とは、労働者に焦点を当てた作風として大正時代に先駆的に誕生し、大正デモクラシーの流れと関連しながら成長して、昭和初期に一世を風靡した文学ジャンルです。
我々が想像する以上に巨大なムーブメントへと発展し、対極に位置するインテリな作風の芥川龍之介や、裕福な家庭で育った有島武郎など、大正時代の文豪がこぞって時代遅れと言われるようになるくらい影響力がありました。
それほど当時の日本では、資本家によって労働者が酷く搾取されており、その現状をリアリズムな手法で描いたプロレタリア文学の作風が大衆に支持されるようになったということです。
あるいは、当時世界で初めて社会主義の国家であるソ連が誕生し、日本にもマルクス主義の風潮が入ってきます。プロレタリア文学も次第に政治活動の流れに影響されるようになり、しばしば共産主義の思想を持つ文学に位置づけられるようになります。
小林多喜二の『蟹工船』では、資本家と国家が手を組んで貧民を過酷な労働環境で搾取する様子がありありと描かれていました。ところが、社会主義国家であるソ連の人間と出会った労働者は、プロレタリアートを尊重する思想を知り、反乱を起こして自分たちの権利を勝ち取ろうとしました。
ペンは剣よりも強し、当時の文学者は影響力を持っていたため、このような作品を世に出されては、国家としても資本家としても都合が悪いわけです。その末路は、つまり弾圧になるわけですが、詳しくは小林多喜二の変死の章で詳しく説明します。
当時の労働環境(博愛丸事件)
小林多喜二の『蟹工船』は、実際に発生した「博愛丸事件」をモデルに描かれています。
水産加工品メーカーで有名なマルハニチロの前身となる会社が運営する蟹工船内で、リンチや過酷な労働による死者が出ていたのです。この事件から着想を得て、実際に船員に聞き込みをして『蟹工船』が執筆されたと言われています。まさに監督に暴力や拷問を受ける労働者の実態が生々しく描かれていたわけです。
しかし事実はかなり不明瞭で、蟹工船は常軌を逸した低賃金だったという証言もあれば、1日20時間労働で暴力を受けるものの給料は高かったという証言も残っています。いずれにしても過酷な労働環境であったことには違いなく、企業の利益競争の中で、船によって給料に当たり外れがあったのかもしれません。
とは言え、当時は戦後不況によって職のない労働者が溢れており、低賃金でも有無を言わさず働かせることが叶いました。そうやって大企業がさらに富を蓄積していたのです。劣悪な労働環境は歴史的事実であり、資本家が非人道的な手段で好き勝手にやっていたのです。
あくまで『蟹工船』はフィクションで、小林多喜二が共産主義の思想を普及するために脚色を加えていると言われています。しかし、作品発表後にも船内で虐待や重労働によって数十人の死者を出すという事件が発生しています。物語はフィクションでも、それと殆ど大差ない事実が存在したのではないでしょうか。
主人公がいない作風
『蟹工船』の作品として面白い点は、主人公の不在にあるでしょう。
一般的に小説は(小説に限らずとも)、主人公が存在し、その人物を中心にあらゆる出来事を展開させていくものです。ところが『蟹工船』には主人公どころか特徴のある人物さえ登場せず、漠然と「労働者」という大きな塊として描かれています。
物語の趣旨が「労働者VS資本家」であり、それをリアルに描くには1人の主観に預けるよりも、全体像を写す方がリアルに表現できると考えたのかもしれません。あるいは1人の主観に預けて感情的に描くよりも、ある種のノンフィクション的な実態として描きたい意図があったのかもしれません。
プロレタリア文学はリアリズムな手法が特徴ですから、船内の描写が非常に緻密に描かれています。その不潔さが、文字から臭いで伝わるほどです。登場人物の心理描写よりも船内の情景描写が主であるために、読者は自分さえもその現場に居合わせるようなリアルな没入感に陥ることができます。主人公の感情というフィルターを通して読者に伝わらない分、妙に生々しい手触りが感じられるのです。故に、あまりの気持ち悪さに生理的に受け付けない人も多いかもしれません。
本当の意味でのリアルな物語には、主人公という偏った私感は余計なのかもしれませんね。
外の世界から見ることの重要性
当ブログの筆者は政治的な主義思想が欠落した悟り世代の無欲な若者ですから、『蟹工船』を好んでも共産主義に傾倒した考えがあるというわけではありません。ただし、本作から見出した「外の世界から自分の居場所を見る」ことの重要さには強く感化されました。
大荒れの日に川崎号という小舟で遭難した労働者は、偶然ロシア人に救出され、そこで社会主義の洗礼を受けます。そのことがきっかけで蟹工船内の労働者はストライキに踏み切ることができました。
社会主義がどうとか、資本主義批判がどうとかは関係なく、外部の世界から自分のいる世界を見て、「おかしい」という感覚に気付くことの重要さ、を実感しました。
過酷な労働を強いられて、文句は垂らしても殆ど従順だったのは、彼らには知識が極端に欠落していたからです。酷い仕打ちを受けても、自分たちが正しくて彼らが間違っているということを証明するだけの見識が足りなかったのです。それは彼らが閉塞された環境で、外部の一切の情報を絶たれていたからでしょう。あるいは、ろくな教育を受けていない貧困なプロレタリア階級であることも理由のひとつです。もちろん資本家にとっては、無知な労働者ほど都合のいい存在はありませんから、意図的に仕組んでのことでしょう。あるいはプロレタリア文学の発禁や逮捕だって、情報が蔓延することを避けてのことです。
つまり、我々はひとつの場所に居続けるだけでは、巨大な何者かの意図や、本質的な幸福に気づくことはできないということです。政治に限った話ではありません。痛みを知らぬ者は慈しみを施すことはできません。死の恐怖を知らぬ者は生の喜びを知ることはできません。スポンサーに都合のいい報道では、世界の出来事を知ることはできません。
我々は常に外の世界に視点を据えて、正しさをいちいち自分で判断しなければいけないのだと、『蟹工船』からは学ぶことができます。
変死した作者の本当の死因
プロレタリア文学と共産主義の政治思想が交わり、弾圧の末路を辿った事実は前述しました。
小林多喜二は『蟹工船』で一躍有名になると、警察から要注意人物としてマークされるようになります。多喜二本人も、当時勤めていた銀行を退職し、いよいよ本格的に共産主義の思想を先鋭化させていきます。
間も無く日本共産党への資金援助の嫌疑をかけられて逮捕されますが、一旦は釈放されます。しかし再び『蟹工船』が不敬罪と見なされ刑務所に収容されます。
保釈後は国家の目を免れるために地下での活動を始めます。しかしその時には彼の運命は既に決まっていました。共産党内部に特攻警察のスパイが潜んでいたのです。文学者として影響力のある小林多喜二は逮捕され、築地警察署に連行された3時間後に署内で変死します。
当時の警察は、留置所に入れていたら突然心臓麻痺で死んだと報告しました。ところが翌日遺族の元に返された遺体は、拷問によって全身が腫れ上がり、下半身が内出血でどす黒く変色していたようです。それにもかかわらず、どこの病院も特攻警察を恐れて、死因判定の解剖を行わなかったようです。記者も嘘と知りながら警察の言う通りに報道しました。
明らかにおかしい出来事にであるにもかかわらず、世の中は完全に黙認します。既におかしいことをおかしいと主張できるような空気感ではなくなっていたようです。
特攻警察による弾圧が強まったことで、共産主義者は次々に転向し、プロレタリア文学は衰退していったようです。改革派の作風を継続した作家も、世界大戦が始まれば時流を批判する作品は発表できなくなり、完全にプロレタリア文学の流行は息絶えてしまいました。
小林多喜二こそが最後のプロレタリア文学の旗手であり、不敬罪になった『蟹工船』は、最後まで戦った男の血塗れの結晶なのです。
そう考えれば、『蟹工船』が持つ歴史的な価値を実感して、さらに深く解釈できるのではないでしょうか。
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