中島敦『文字禍』あらすじ解説|合理主義とゲシュタルト崩壊

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文字禍 散文のわだち

中島敦の短編小説『文字禍』は、代表作『山月記』と共に雑誌掲載された実質のデビュー作です。

『文字禍』や『山月記』を含む初期四作品は『古譚四篇』と総称されており、四作品を通しての構成美が評価されています。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者中島敦(33歳没)
発表時期  1942年(昭和17年)  
ジャンル短編小説
ページ数12ページ
テーマ合理主義の弊害
言語と概念の関係

あらすじ

あらすじ

古代メソポタミア地方のアッシリア帝国を舞台にした物語です。

誰もいない図書館から話し声が聞こえる奇妙な現象を、文字の霊の仕業だと考え、大王は老博士に研究を命じます。

研究を進めるうちに、文字の霊には人間を操り、禍(わざわい)をもたらす力があるという事実が明らかになります。つまり、人間は文字に支配されているということです。例えば、人間は事実よりも文字を愛し、もはや文字として残されなかった事柄は初めから存在しないのと同じだと言うのです。こういった浅薄な合理主義こそ、文字が人間にもたらす弊害、ある種の病なのです。

「アッシリア帝国は文字の霊に蝕まれた」という老博士の研究報告は、知恵の神を崇拝する大王の気を害し、謹慎処分になってしまいます。それすらも文字の霊の復讐だと考え、老博士は恐ろしくなります。

それだけでは済まず、数日後に発生した地震のせいで書物が落下し、老博士は文字の霊によって圧死するのでした。

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個人的考察

個人的考察-(2)

アッシリアの歴史的背景

チグリス川・ユーフラテス川でお馴染みのメソポタミア文明。その上流域に位置したのが、本作の舞台であるアッシリア帝国です。そして下流域に位置するのがバビロニアで、その中心都市をバビロンと呼びます。

このアッシリアとバビロニアは兄弟が共同統治していたのですが、兄が弟に対して反乱を起こし、内戦の末に兄は死亡します。

王兄シャマシュ・シュム・ウキンの謀叛がバビロンの落城でようやく鎮まったばかりのこととて・・・

『文字禍/中島敦』

冒頭にこのような文章が綴られていました。まさに兄弟の歴史的事実を記していたのです。図書館から聞こえる奇妙な声が、「反逆を企て死刑になった人々の死霊の声ではないか」と噂されていたのは、こういった歴史的事実から着想を得たのでしょう。

アッシリアの大王が、図書館から聞こえる奇妙な声の正体を突き止めるために老博士に調査を依頼することから物語が展開します。実際に大王は学問への関心が高かったらしく、彼の最大の功績は「アッシュルバニパルの図書館」を建設したことだと言われています。宗教的文書、手引書、メソポタミアの伝統的な物語など、30,000点余りの粘土板文書を収拾し、文字文化に大きな発展をもたらしたようです。

ところがこの大王が黄金期最後の王とされ、あらゆる功績を残したものの、帝国は衰退の一途を辿ったようです。

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日本における言霊信仰

万物に霊が宿るという考えは非常に日本的で、「アニミズム」と称されることはご存知だと思います。山の神、森の神、海の神、大地の神、あるいはお米一粒にも神様が宿っているという考えが、古来より日本に存在し、現代人の意識にも根付いていると思います。

そして本作『文字禍』では、文字に霊が宿ることなどあるのか、という疑問から物語が展開していきます。

実際に日本には「言霊」と呼ばれる信仰が存在します。声に出した言葉が現実の事象に影響し、良い言葉は良い結果を、不吉な言葉は悪い結果をもたらすと考えられているのです。

例えば、結婚式の忌み言葉は言霊思想に基づくものだと言われています。あるいは「痛いの痛いの飛んでいけ」などのおまじないも、言葉に宿る不思議な力が効果をもたらすという信仰に由来するものだと考えられます。

中島敦は『文字禍』において、言葉の中でもとりわけ文字に焦点を当てて、その精霊の持つ不吉な力をユーモラスに描いていました。おそらく、アニミズムや言霊といった信仰から着想を得て、さらに自信が文学者であるだけに、文字の持つ不思議な力を主題として取り上げたかったのではないでしょうか。

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文字に支配されるということ

老博士は研究を進める中で、「文字が人間に弊害をもたらしている」という仮説を立てます。文字を知ったことで、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、あるいは女を抱いても一向に楽しくなくなった、とまで記されています。

老博士の主張では、人間が生で感じていた喜びなどの感情が、文字を知ることによって一種の記号として認識されるようになったというのです。その結果、事実よりも文字が先行し、文字で記されたものだけが事実で、記されなかったものは初めから存在しないのと同じ、という思考回路に陥りました。

つまり中島敦は、文字が独立した意味を有し、本質的な概念が支配されることを懸念していたのでしょう。

もちろん物事を認知するのに文字は不可欠です。あらゆる社会問題は言語化によって初めて認識されるようになります。例えば、LGBTでもアスペルガー症候群でもHSPでも、その言語・文字が生まれるまでは、我々はそんな事実はないと当然のように考え、彼らを異質な存在と捉えていました。そういう意味では、文字は人間が操る上では、物事を認識するために重要な記号なのです。

ところが、文字によって概念が認識されると、途端に概念は文字に支配されます。あらゆる物事が文字によってカテゴライズされ、我々人間の生活が文字に制約されてしまうのです。

その結果、文字で全ての辻褄を合わせようとする「浅薄な合理主義」になってしまったと老博士は主張していました。つまり人間の知見を広げるはずの文字が、いつしか人間の知覚を制約する存在になっていたということでしょう。

例えるなら、自分の苦しい原因が「うつ病」という言語で認識された場合、「うつ病だから自分は・・・」という言葉の支配も同時に生まれ、結局根本的な原因が霞んでしまう、みたいなことでしょう。

研究を進めるにつれて、老博士は自分すらも合理主義的な分析脳になっていることに気づきます。いわば文字の霊に侵されていることを認め、その危険性を実感していたのです。このままでは知らないうちに民衆が文字禍に蝕まれ、ひいては国家を破滅させる恐れがある、という考えが老博士の導き出した研究結果でした。

実際にアッシリア帝国はこの王朝を最後に滅亡するわけですから、作者の中島敦は歴史的事実である国家の衰退の原因を、SF的なストーリーに仕上げたのだと考えられます。

老博士が書籍の落下で死んだのは、文字研究にのめり込んで精神が苛まれた様子を、「文字に殺された」というメタファーで表現していたのだと考えられます。

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ゲシュタルト崩壊

老博士は文字の研究を進めるうちに、文字の一画一画が分離していき、全体性が失われたバラバラの物体であるような錯覚に陥ってしまいました。

これは実際に誰にでも起こり得る「ゲシュタルト崩壊」と呼ばれる心理的な現象です。物体を長時間注視することで、対象物が崩壊していき、正しく認識できなくなってしまうのです。嘘だと思う人は、試しにひとつの漢字を長時間見つめてください。ある瞬間から、意味の判らない線の集合体に見えてくるようになります。

中島敦はこのゲシュタルト崩壊という心理現象を用いて、物事を合理的に考えるために分析しすぎると本質的な意味が失われてしまう、という「文字の支配」を表現していたのだと考えられます。

喜びという感情を分析して、原因を導き出した途端に、その方程式に支配され、本質的に喜びを実感できなくなる、という弊害が作中に描かれていました。

つまり前述した、人間の知見を広げるはずの文字が、いつしか人間の知覚を制約する存在になる、ということでしょう。

文学者であり、文字を扱う職業だからこそ、中島敦は言語化することの功績と弊害に葛藤していたのかもしれません。

SNSやネット文化が当然の現代だからこそ、我々はある種文字に支配されていると言えるでしょう。瞬時に多くの情報を取得できる反面、我々は世間的な欲望に支配されて、自分の人生を窮屈にしているような気がします。

時に文字に支配された人間が自ら命を絶つこともあり得る世界です。ひと一人の生命に勝る文字を、誰もが気軽に発信できる時代がやって来たのです。

今だからこそ、中島敦が訴えた「文字の支配」について考えるべきではないでしょうか。

不尽。

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