横光利一『蠅』あらすじ考察|新感覚派の出世作

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蝿 散文のわだち

横光利一の小説『』は、文壇出世のきっかけとなった代表作です。

新感覚派の一員として実験的な作品を多く残し、「小説の神様」と称されています。

本記事では、あらすじを紹介した上で、作中に仕組まれたトリックをネタバレ考察しています。

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作品概要

作者横光利一(49歳没)
発表時期  1923年(大正12年)  
ジャンル短編小説
新感覚派
ページ数10ページ
テーマ不条理
視点の技巧と映像美
収録『日輪・春は馬車に乗って』

あらすじ

あらすじ

1匹の蠅が蜘蛛の巣から落下した後に、馬の背中まで這い上がっていきます。その馬車の運転手は、宿場の隣の饅頭屋で将棋をさしていました。

息子の危篤を知らされた農婦が慌てて宿場に駆けつけて来ます。あるいは駆け落ちで転々とする恋人たちも宿場にやって来ます。他にも、母親に手を引かれた幼い男の子や、商売で大金を儲けた田舎紳士が、順番に宿場に馬車の出発を求めてやって来たのでした。

息子の死に目がかかった農婦は、饅頭屋にいる運転手に早く馬車を出すよう頼みますが、彼は呑気に将棋盤を枕にして饅頭が出来上がるの待っています。宿場の時計が10時を打つと、ようやく出発の準備が始まり、集まった人々は馬車に乗り込みます。馬の腰に留まっていた蠅も車体の方に飛び移り、炎天下を走る馬車と一緒に揺れていきます。

饅頭で腹が満たされた運転手は居眠りをしてしまいます。乗客の誰も気づいていません。馬車は崖の頂上にさしかかり、馬は路に従って柔順に曲がったのですが、車輪の一つが狭い路から外れ、なんと人々を乗せた馬車は崖下に墜落してしまいます。

蠅だけがただひとり、悠々と青空の中を飛んでいったのでした。

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個人的考察

個人的考察-(2)

映画的な作風を確立

本作の特徴は、複数の人間にスポットを当てた場面が断片的に描かれる点でしょう。

蠅と馬と運転手、息子の危篤に慌てる農婦、駆け落ちカップル、母と息子、田舎紳士、と一切共通点を持たない人物たちが順番に描かれて、最終的には宿場という共通の場所で交わっていきます。

独立した断片的な描写を組み合わせて物語を展開させるのは、それまでの文学作品には珍しく、当時普及した映画という新たな文化芸術の影響を受けていると考えられます。

1890年代に誕生した映画(活動写真)は、1900年代に入ると、複数のシーンで構成された映像作品へと発展し、大衆の娯楽として親しまれるようになります。同世代の作家である川端康成の作品『伊豆の踊子』や『雪国』にも活動写真が登場するため、それだけ当時の人々には関心のある娯楽だったことが推測できます。

横光利一は映画という新出の文化芸術にいち早く目をつけ、その作品構成を文学作品に取り込んだために、『蠅』のような異質な作風が誕生したのだと考えられます。

ともすれば、映画でいうカメラワークにあたる「語り手の視点」にも、これまでの小説とは違う実験的な手法が施されていることが予測されます。詳しくは次の章にて。

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蠅の目線で語られる

映画のカメラワークのような手法で物語が展開する本作は、「蠅の目線」で描かれていると考えられています。

広義的に言えば三人称、つまり主人公の目線ではなく神の視点で描かれていることになります。ところが、映画のような断片的な場面構成を用いたために、特定の主人公に焦点を当てることがなく、あらゆる人物に対して平等に不干渉な視点になっています。

つまり、宿場での個別の出来事を無関係な立場で傍観している視点、それが「蠅の目線」だと考えられるわけです。

例えば、「馬の額の汗に森が反射している」という緻密な描写は、画面一杯に映った汗を想起させ、蠅の目線だからこそ見える映像だと推測できます。

決定的なのは、馬車が崖から落下する場面が、落ちていく馬の腹を上空から眺める視点で描かれていることです。落下した人や馬の側ではなく、唯一落下せずに上空に飛び立った蠅の視点で悲劇が映されているのです。

正確には、上空に飛び立った蠅の様子も描かれるため、「蠅の目線」と「神の目線」が交錯していると考えられます。

面白いのは、運転手の居眠りを蠅だけが気づいており、人間は気づいていないという描き方が為される点でしょう。蝿に視点を置いたからこそ、人間の目線では知り得ない悲劇の予兆を描くことができ、尚且つ人間にとっては唐突に発生した不条理な悲劇という印象を与えることができます。その刹那的な呆気なさも蝿の目線ならではの効果でしょう。

落下して血みどろになった人々を描かずに、ただ落ちていく様子を俯瞰的に眺める「人間優位ではない視点」が、静かな奇怪さを演出しているように感じられます。

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饅頭に隠されたエロティシズム

「人間たちのみじめな運命の背後に性欲がある」

同世代の文学者である片岡良一によれば、横光利一は『蠅』について上記のように語っていたようです。

つまり、馬車が崖から落下したのは、性欲の問題が関係している、ということでしょう。

しばしば、「饅頭」の描写が性欲を象徴しているのではないか、と言われています。

この宿場の猫背の馭者は、まだその日、誰も手をつけない蒸し立ての饅頭に初手をつけるということが、それほどの潔癖から長い年月の間、独身で暮さねばならなかったという彼のその日の、最高の慰めとなっていたのであったから。

『蠅/横光利一』

潔癖で独身な運転手にとって、「饅頭」は誰にも手を付けられていない処女を象徴しており、処女を犯すことが最高の慰めである、という解釈ができます。

「脹れ始めた饅頭」という表現も、女性の豊潤な肌を想起させなくもありません。

性欲の象徴である饅頭を喰らい、欲望が満たされた運転手は居眠りをしてしまいます。それが発端となり、大惨事が発生したのです。

不条理と思われる運命には、誰かしらの性欲の問題が関係している、という主題が確かに見受けられます。

とりわけ運転手は潔癖の独身だったため、孤独から来る性の衝動が人間を破滅に導く、ということを意味していたのかもしれません。

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関東大震災

大正時代を代表する悲劇として関東大震災があげられます。文学者たちがこぞって関西に移住するほどの被害が発生し、日本の未来に対して人々が不安を抱いたと言われています。

本作『蠅』で描かれた不条理な一瞬の死は、執筆から4か月後に発生した関東大震災によって、現実味を増すことになりました。

予兆もないまま迫りくる悲劇に人々は鈍感で、発生したら最後、驚く間も悲しむ間もなく、一瞬ですべてが壊れてしまいます。フィクションによる間延びした映像ではない、本当に人間が経験する刹那的な破滅が描かれていたからこそ、この『蠅』という作品は関東大震災とリンクして語られるのかもしれません。

ともすれば、建物が壊れ人々が死んだ地震後の街の上空には、一匹の蠅が不干渉に飛んでいたことでしょう。

息子の危篤に嘆く悲しみも、駆け落ちする強い恋心も、母と子の慈しみも、一切が死によって掻き消され、一匹の蠅だけが生き残る。最終的な風景とは、そんな奇妙な平穏に包まれているのかもしれません。

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