ボリス・ヴィアンの小説『日々の泡』は、幻想的な世界観で描かれる恋愛小説です。
日本では『うたかたの日々』という別タイトルでも知られ、20世紀の恋愛小説で最も悲痛な作品と評されています。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | ボリス・ヴィアン |
国 | フランス |
発表時期 | 1947年 |
ジャンル | 長編小説 恋愛小説 幻想小説 |
ページ数 | 302ページ |
テーマ | 悲痛な恋愛 刹那の美 |
あらすじ
パリに住む青年コランは、財産で気ままに暮らしている。友人のシックを夕食に招き、料理人のニコラに食事を作らせ、「カクテルピアノ」を演奏して1杯飲んで楽しむ、そんな日々である。
ある日コランは、パーティでクロエという少女と出会う。二人はたちまち恋に落ち、盛大な結婚式を開く。ところが新婚旅行から帰宅するとクロエは体調を崩す。肺の中に睡蓮の蕾ができる病を患っていたのだ。医者が言うには、蕾を開花させないために水分を滅多に摂取してはならず、寝室にはたくさんの花を絶やしてはならない、とのことだった。
クロエの看病に財産を遣い果たしたコランは、「カクテルピアノ」を売ったり、拳銃を栽培する仕事で金をこしらえるが、やがてクロエは衰弱し、遂に死んでしまう。
葬儀が終わってから毎日、コランは岸辺で水の中を覗き込んで過ごすようになった。
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個人的考察
ボリス・ヴィアンについて
生前のボリス・ヴィアンは、文学者としての評価が低かった。
死後にサルトルなどに再評価されたのを機に、作品が復刻され、徐々に偉大な文学者として認められるようになった。
現在では『日々の泡』は海外文学の名作に位置付けられ、「20世紀で最も悲痛な恋愛小説」とまで評価されている。
なぜヴィアンは生前に評価されなかったのか。
それは彼の「まともに受け取られまい」という諧謔的で、冷笑的な人間性が原因だろう。世間や読者を欺き、虚構や変装を楽しむ、疑わしい存在だったのだ。
例えば、彼は黒人作家ヴァーノン・サリヴァンという別名義でも作品を発表している。代表作『お前らの墓につばを吐いてやる』では、黒人差別の問題をかなり暴力的に描いた。そしてヴィアンはサリヴァンの翻訳者という「てい」を取り、一者二役を演じる虚構を楽しんだ。
『お前らの墓につばを吐いてやる』は、その過激な内容から発禁処分になり、ある残虐な殺人事件への影響を指摘され、大問題になった。そして本当はヴィアンの作品ではないかと問い詰められたが、それでも彼はマスコミを挑発して楽しんだ。
こういった危険な遊戯を楽しむ人物だったからこそ、世間から疑念の目を向けられ、生前は正当に評価されなかったのだろう。
あるいは彼が描く小説の、現実を捻じ曲げた幻想的な世界観、そこに散りばめられた多数の虚構も、あまりに異色なので、なかなか世間に認められなかったのかも知れない。
そして本作『日々の泡』にも、彼の虚構という遊戯がふんだんに詰め込まれている。
現実を捻じ曲げた幻想小説
本作『日々の泡』は、序文から既にヴィアンの遊戯が始まっている。
序文には「1946年のニューオリンズ」と記載されているが、ヴィアンがアメリカにいたことは1度もない。つまりこの時点で、読者を騙しにかかる姿勢がはっきり表れているのだ。
そして物語は最初の数行こそまともな体裁を取っているが、すぐにおかしな現象が始まる。主人公コランが鏡を覗き込むと顔のニキビが驚いて逃げ出したり、バスマットに粗塩を振り撒くとシャボンを吐き出したり、洗面台の蛇口からウナギが現れたり、こういった超現実的な現象が次々に起こるのだ。
まるで「不思議の国のアリス」を彷彿とさせる世界観だが、加えてスケートリンクの衝突事故で人間が次々に死んだり、ロッカールームの鍵を手に入れるために従業員を簡単に殺したり、残虐な事象がごく平坦な文章で描かれる。
しまいには、クロエは肺に睡蓮の蕾が咲く不可解な病を患い、財産を遣い果たしたコランは拳銃を栽培する仕事に出掛ける。その他にも不可解な現象は挙げればキリがない。
このように本作『日々の泡』は、超現実的な事象が大小散りばめられ、架空の人物や物体が登場する幻想小説である。「フランス文学」×「恋愛小説」×「幻想小説」という稀有な組み合わせ、しかもそこにヴィアンらしい毒が散りばめられた作風は、人によっては読みづらい、抵抗のある内容かも知れない。
実際に読んでいると、現実と虚構の区別が曖昧になり、その絶え間ない技巧を咀嚼するのに苦労し、物語の本質が掴めなくなる。
そのように読者が混乱することが、おそらくヴィアンの目的であり、我々は既に彼の遊戯に翻弄されているに過ぎないのだろう。
非現実の中にしかない美
この厄介な作品を通して、ヴィアンは何を訴えていたのか。
それは、恋愛という非現実が、現実的なものになった瞬間に訪れる悲劇ではないだろうか。
コランとクロエの幸福が続いたのは結婚するまでだ。新婚旅行に出かけた後、クロエは肺の中に睡蓮の蕾を咲かせ、その奇妙な病気によって衰弱する。コランも彼女の看病に必要な金をかき集めるために奔走し、やがて消耗していく。
元よりコランは資産だけで生活する、労働嫌いの青年だった。実際に作中では、労働を好む人間は、愛する人との接吻や、楽しみごとに出かける時間を好まない人種だと非難される。果ては、労働は人間を機械以下の存在にさせる、とまで記される。
要するにコランは、労働や金の重要性を忘れ、無鉄砲に恋愛に没頭できる、あの刹那の時間、誰もが恋の初めに感じる「恋以外は全ていらない」と思える青臭い幻想、それこそが最も美しいと考えているのだろう。
その意志は序文にも記されている。
かわいい少女たちとの恋愛、それとニューオリンズの、つまりデューク・エリントンの音楽。ほかのものは消え失せたっていい、憎いんだから。
『日々の泡/ボリス・ヴィアン』
恋に全てを捧げ、労働に割く時間なんて1秒だってない。
ところが、そういった二人の非現実的な恋愛は、結婚によって現実的な生活へと変化する。クロエが病気になり、コランはあんなに忌み嫌っていた労働をせざるを得なくなるのだ。
非現実的な恋愛が消滅した時点で、コランの身に一気に冷たい現実が押し寄せる。労働経験がない彼を雇う会社はなく、拳銃を栽培する怪しい労働を迫られ、僅かな賃金でクロエを看病するが、甲斐なく彼女は死んでしまう。
美しい恋愛は長くは続かない。常に現実は背後に迫っている。
タイトル『日々の泡(うたかたの日々)』に込められた意味。
それは、儚いゆえに美しいものは、いずれ泡のように消え去り、すぐに悲劇が訪れるという、刹那的な美的価値を表しているのだろう。
シックとアリーズの恋愛
コランとクロエの悲痛な恋愛の裏で描かれるのが、シックとアリーズの破滅的な恋愛だ。
コランはシックに対して、自分みたいに早く結婚することを勧めていた。ところがシックは躊躇してアリーズと結婚しない。
それはつまり、コランとクロエの恋愛とは対照的に、結婚せずに恋愛関係を続ければ、刹那の美を現実に絡め取られずに済むのではないか、という問題提起だったのだろう。
ところがシックは、徐々にアリーズに対する恋心よりも、サルトルならぬパルトルの著書を集めることに夢中になり、二人の関係に亀裂が生じる。
「彼、わたしのことが大好きだったのよ。パルトルの本と両立できると思っていたんだわ。でもそうはいかなかった。」
『日々の泡/ボリス・ヴィアン』
このままでは、金のないシックはいずれパルトルの著書を入手するために強盗を犯す。そう懸念したアリーズは、なんとシックが敬愛するパルトルを「心臓抜き」という奇妙な器具で殺してしまう。そして本屋に火をつけて周り、その炎で彼女も死ぬ。
シックの方も、パルトルのフリークになったせいで税金を滞納しており、取り立てに来た役人に銃殺されてしまう。
コランとクロエとは対照的に、結婚しない道を選んだシックとアリーズ。しかし彼らの恋愛も悲劇に終わった。例え結婚を拒否しても、人間の心は移ろいやすく、やがて恋愛の美は消え去り、別の物事への興味に変わってしまう。
どんな手段で人を愛そうと、その非現実的な美は、最終的に「うたかた(泡)」のように消えてしまい、長く留めることはできない。
美は刹那であり、だから美しいのだろう。
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