サルトルの小説『嘔吐』は、20世紀文学の最高傑作と称される名作です。
実存主義で知られるサルトルが「存在」について追求した物語は、これまでの価値観を覆す衝撃的な内容でした。
ちなみにサルトルは、ノーベル賞を拒否した最初の人物としても有名です。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | ジャン=ポール・サルトル |
国 | フランス |
発表 | 1938年 |
ジャンル | 長編小説 哲学小説 |
ページ数 | 338ページ |
テーマ | 存在とは 実存主義 |
あらすじ
30歳のロカンタンは、数年間の旅の末に、フランスの港町に住居を構える。利子で生活する無職のロカンタンは、殆ど交友関係はなく、ひたすら図書館に通い、ロルボン侯爵という歴史上の人物について研究している。
ある日ロカンタンは、水切りをしようと小石を手にした時に、謎の嘔吐感に襲われる。
以降、ロカンタンは生活の様々な場面で嘔吐感を覚えるようになる。図書館で出会った独学者とのランチ中にも嘔吐感に襲われ、その後立ち寄った公園でマロニエの木を見た時に原因が判明する。ロカンタンが小石を掴んだ時に感じた奇妙な感覚、それは「存在」に関する新たな気づきによるものだった。全ての物はただ偶然存在し、また自分自身も偶然存在し、その存在に何の意味もない、という気づきが彼に嘔吐感を呼び起こしたのだ。しかし、冒険の感情、そして音楽を聞いている時にだけは、嘔吐感は解消される。
ロルボン伯爵についての研究は続行不可能となり、元恋人アニーとの再会と離別を経験したロカンタンは、パリに移住することを決める。そして、旅立つ前にカフェで音楽を聴きながら、小説の執筆を決心するのだった。
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個人的考察
サルトルの実存主義とは
読んでいるこちらが嘔吐してしまいそうな作品ですよね・・・。
読了後にポカンとした人や、途中で断念した人も多いのではないでしょうか。
そんな厄介な物語を考察する前に、解釈のヒントになる、サルトルが唱えた実存主義について簡単に説明します。
「実存は本質に先立つ」
これはサルトルが講演会で述べた言葉で、彼の実存主義を端的に言い表しています。もう少し分かりやすくするために、「実存」と「本質」を別の言葉に言い換えるなら、下記のようになるかと思います。
- 実存・・・存在
- 本質・・・価値、意味、目的…etc
つまり実存主義とは、存在は価値や意味よりも先に位置する、という考えになります。
もう少し咀嚼して言うなら・・・
人間やモノはただ存在するだけで、何の価値も意味も持っていない、ということです。あるいは、1番に存在だけがあって、その後に自分で価値や意味を見出さなくてはいけない、とも言えるでしょう。
これ以上説明を加えると、ややこしくなりそうなので、こういった実存主義の概念を踏まえた上で、物語を考察していきます。
ロカンタンの嘔吐感の原因
ロカンタンが小石を手にした時に襲われた嘔吐感。その原因は「存在」に関する新たな気づきでした。その気づきとは、全てのモノはただ偶然に存在する、ということです。
なぜ存在するのか、何のために存在するのか。そういった必然性は皆無で、ただ意味もなく偶然存在している、ということになります。
これは一般的な人間の価値観と正反対です。なぜなら人間はモノについて考えるとき、そのモノの意味や目的を当然に認めるからです。
例えば・・・
- 冷蔵庫→食材を冷すために存在する
- 包丁→食材を切るために存在する
- ペン→文字を書くために存在する
例を挙げればキリがないですね。
もっと人間中心に考えれば、花は人間を癒すために存在する、牛や豚や鳥は人間が食べるために存在する、などエゴイスティックな認識に発展しかねません。
こういった人間に都合いい認識は、安心をもたらします。なぜなら、何のために存在するか分からない奇妙な物に、人間は恐怖を覚えるからです。つまり、存在に意味を持たせることで、生活に秩序を与えているわけです。
しかしロカンタンは、このような秩序を真っ向から否定する価値観に到達しました。何物も意味を持たず、ただ偶然そこに存在するだけだ、という価値観です。
この気づきの結果、ロカンタンは、自分自身も同様に何の意味も目的も持たず、ただ存在しているだけなのだ、と悟ってしまいます。前述した、実存主義の思想の発端ですね。
これは非常に危険な気づきです。なぜなら人間は少なからず自分の存在意義を見出して生きているからです。他者に必要とされている、愛されている、あるいは自分はサッカーが得意だ、漫画の知識なら誰にも負けない、そういった自尊心が生きる気力になっているはずです。仮にも、人間(自分)は何の意味もなくただ偶然存在している、なんて考え出したら、途端に生きる気力を失ってしまいます。
以上のことから、ロカンタンの嘔吐感の原因は、自己の存在理由が消え去った危険な状態における、恐怖感によるものだと考えられます。
自分は意味ある存在という勘違い
①肖像画に対する嫌悪感
もう少し「存在の無意味」を理解するには、美術館で肖像画を鑑賞する場面が象徴的です。
ロカンタンは、肖像画になっているブルジョワの人間を「下種ども」と批難していました。
なぜロカンタンはブルジョワの人間を批難していたのか。
その理由は、彼らが「目的を持った人間」だと自負しているからでしょう。
貴族や政治家や医者など、名誉ある家系の人間は、生まれた時点で自分の存在に目的や意味や役割を見出します。しかしロカンタンの気づきである、全ての人間やモノは無意味に存在している、という価値観からすれば、彼らは勘違いしていることになります。
つまり、自分が勘違いしていることに気づかない傲慢なブルジョワの人間を、ロカンタンは「下種ども」と批難していたのでしょう。
②庶民は演技をして暮らす
あるいはロカンタンは、カフェに集う庶民を見て、彼らは演技をしている、と口にします。
「私たちはみんなここにいるかぎり、自分の貴重な存在を維持するために食べたり飲んだりしているけれども、実は存在する理由など何もない。」
『嘔吐/サルトル』
そもそも前提として人間の存在は無意味です。つまり自分は何者でもなく、ただの無価値な存在なのです。
しかし、「何者でもない存在」から目を背けるために、人々は何となく労働に忙殺され、何となく束の間の休息にゲームをしたり、食べたり飲んだりして過ごします。そういった暇潰しをロカンタンは演技と言っているのでしょう。
つまり、自分は何者でもない、という事実を忘れるために、暇潰しによって、さも意味ある存在を演じている、ということでしょう。
③ヒューマニズムの欠点
さらに独学者とのランチの場面が印象的です。
独学者はヒューマニズムの持ち主でした。しかしロカンタンは彼のヒューマニズムに批判的な態度を取ります。
なぜなら、ヒューマニズムは人間すべての態度を取り上げて、それを一緒に溶かしてしまうからだ。
『嘔吐/サルトル』
つまり、ヒューマニズムとは、個人を正確に理解するのではなく、総称的なレッテルを見て愛しているということなのです。
例えば、SNSで「こんなのはおかしい」と正論を主張する人がいて、多くの人々が共感を示すとします。しかし彼らは、実際に「おかしい状況」に苦しんでいる当事者、特定の人間を全く知らず、ただレッテルに対して正義感を働かせている、なんてことは往々にしてあり得ます。
このように、「今の若者は」とか「年寄りは」などのカテゴライズはひとつの帰属先となりますが、個人の存在とは無関係です。「一流企業に勤めている自分」なんて肩書きは、決して自分の存在の意味とは無関係なのです。言い換えれば、存在は名前から独立している、ということです。
しかし、人々は名前を重宝します。名前によってカテゴライズされたモノを愛します。相手の存在を愛しているのではなく、バンドをやっている相手、キャリアを積んだ相手、家庭を大事にする相手、などカテゴライズされた存在を愛しているということです。
ロカンタンは、そういった名前によるカテゴライズにも反感を示します。
ひとりの人間を固定して、彼がこれであるとか、あれであるとか言えるでのでしょう? 誰がひとりの人間を汲み尽くせるのですか? 誰がひとりの人間の持つ可能性を知ることができるのでしょう?
『嘔吐/サルトル』
つまり、ロカンタンは、存在の無意味の先に、人間の自由を見出していたのです。他者にカテゴライズやイメージ拘束されない、自由な存在です。
その一方で、ロカンタンはこんな台詞も口にします。
私は孤独で自由だ。だが、自由はどこかしら死に似ている。
『嘔吐/サルトル』
自由を望むと同時に、自由によって自分の生きる意味が失われる恐怖、そのジレンマにロカンタンは苦しんでいたのでしょう。
冒険と音楽が嘔吐感を解消した理由
存在が無意味であることに気づいたロカンタンにとって、嘔吐感を解消するものが二つありました。
それは「冒険の感情」と「音楽」です。
その理由は、冒険と音楽には、意味のある時間という概念を孕んでいるからだと思います。
ロカンタンは、存在について考えるとき、時間の不可逆性を思っていました。
つまり、人間には過去も未来もなく、何の因果もない現在において無意味に存在しているということです。事実ロカンタンは、過去の出来事が既に自分の所有物ではない感覚を抱いていました。
ところが人間は、過去の出来事を重宝します。過去にどんな経験をしてきたかが、自尊心になり得るからです。「昔はやんちゃだった」「昔は異性にモテた」などの経験談は、少なからずその人間を価値ある存在に演出します。しかし決して今現在の自分には無関係です。今現在の自分は、やんちゃでもモテてる訳でもなく、ただ無意味に存在しているからです。
よく年配の人々が、昔は良かった、俺たちの時代は・・・なんて頻りに口にします。過去を美談で語ることで、自分を価値ある存在に思いたがっているのです。しかし、過去がどうであろうが、今の自分がどうあるかとは無関係です。
言い換えれば、人間は過去を回想して「価値づけ」することでしか、自分を意味ある存在だと考えられないということでしょう。
一方で、音楽(冒険)の場合は、初めから価値を孕んだ状態で、始まって終わっていきます。後から回想して価値を見出すのではなく、リアルタイムで価値を実感する、完璧な瞬間を生み出しているのです。
つまり意味のある時間が流れている訳です。
これは意味のない今現在の存在とは、まるで対照的なものです。そのためロカンタンは、音楽には我々の時間とは別の時間があると主張していました。
その数分程度の価値のある時間を経験している間だけは、ロカンタンは自分が無価値な存在であるという領域から脱出することができたのでしょう。これが嘔吐感を解消した理由だと考えられます。
アニーとの再会が意味すること
ロカンタンには、アニーという別れた恋人がいました。そして彼は、アニーとの再会を心待ちにしていましたが、結果的に考えが相容れずに別れ、孤独感を抱く羽目になりました。
相容れなかった二人ですが、実は両者は似たような思想を抱いていました。
アニーは「特権的な状況」と「完璧な瞬間」をかつて求めていました。
「特権的な状況」とは、人々が与えられた正しい役割をこなすことを意味し、それが叶ったときに「完璧な瞬間」が訪れるようです。少し抽象的ですが、これはロカンタンの嘔吐感をやわらげた「冒険の感情(あるいは音楽)」と殆ど同義だと言えます。
つまり、筋道立てられた始まりと終わりの中で、意味のある時間を体験すること、それが「完璧な瞬間」であり「冒険」なのです。
だからこそ、アニーは舞台女優だったのです。台本という意味がある物語(冒険)の中で、演者が正しい役割を果たした時に、「完璧な瞬間」を実感できると思っていたのでしょう。ところがアニーは、舞台上で生み出す「完璧な瞬間」は、自分ではなく、観客にとってのものだと気づき、女優を辞めました。
このように「完璧な瞬間」を体験することは不可能だと気づいたアニーは、余生を生きることを決心します。つまり、「完璧な瞬間」を求めるのを断念し、過去に「価値づけ」する大衆的な生き方を選んだのです。
以上のように、アニーとロカンタンは、完璧な瞬間(冒険)に救済を求めた、という点で共通しています。しかしアニーはロカンタンの賛同を拒絶します。
アニーが言うには、自分は自発的に「完璧な瞬間(冒険)」を求めたが、ロカンタンの場合は受動的に「完璧な瞬間(冒険)」を待ち侘びているようです。
アニーは自発的に行動した末に敗北したため、過去の価値づけ、つまりレッテルの中で不自由に生きていくことを受け入れたのでしょう。一方でロカンタンは受動的である故に、自分の敗北を認められず、未だ自由を夢想しているのだと思います。
ロカンタンは小説家を目指した理由
存在の無意味に打ちひしがれ、しかしアニーとは異なり未だ「冒険」を求めるロカンタンは、最終的に小説の執筆を決心します。
ロカンタンの嘔吐感を和らげる「冒険」と「音楽」、それは無意味な存在である万物において、唯一始まりから終わりまで意味のある秩序立った時間が進行する存在でした。ロカンタンはそういった、特殊に意味を持つ音楽的なモノを生み出すことで、自らを救済しようと思いつきます。
しかし、彼には音楽の才能がない、だからこそ小説という、同じく、始まりと終わりが定められた意味のある時間の流れを孕む作品を生み出そうと決心したのでしょう。
ただしロカンタンは、小説が完成した時に起こり得る現象を次のように話していました。
そして私はーー過去において、ただ過去においてのみーー自分を受け入れることができるだろう。
『嘔吐/サルトル』
結局小説を完成させたところで、執筆した過去においてのみ、自分の存在に価値や意味を見出せるのであって、今現在の自分の存在が意味や価値を孕むことはあり得ないのです。
このように実存主義にいかなる救済を見出したのかは正直分かりません。
一応物語としては、存在の意味を失った主人公が、小説の執筆という方法で救済を試みる、という構造で完結している訳です。
未熟な解釈ですが、今後サルトルについて調べる中で、本記事を改善していきます・・・
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