カポーティ『冷血』あらすじ解説|一家惨殺事件ノンフィクション小説

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冷血1 アメリカ文学

カポーティの小説『冷血』は、実在の殺人事件を描いたノンフィクション小説である。

1959年にカンザス州で発生した一家惨殺事件について、6年に及ぶ取材を経て執筆された。

被害者の家族に全く恨みがなく、容疑者本人にも殺害の動機が分からない・・・

この不可解な事件を究明する中で、犯罪者の心理分析や、死刑制度の是非など、様々な問題が展開される。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語を詳しく考察していく。

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作品概要

作者トルーマン・カポーティ
アメリカ
発表時期1965年
ジャンル長編小説
  ノンフィクション小説  
ページ数617ページ
テーマ一家殺人事件
犯罪者の心理
死刑制度の是非

あらすじ

あらすじ

1959年、カンザス州のホルカム村で、農場主の一家が惨殺された。農場主クラッターは喉を掻き切られた上で射殺され、十六歳の娘ナンシー、十五歳の息子ケニヨン、妻ボニーも手足を縛られた状態で射殺されていた。惨い殺人現場から、犯人は被害者に強い憎悪を抱いているように思われた。

カンザス州の捜査官は、強盗殺人を推測するが、金品は殆ど奪われておらず、被害女性には性的暴行を受けた痕もなく、殺人の動機として不自然な点が多かった。

当初捜査は難航するが、ある有力な情報から容疑者のディックとペリー2名の逮捕に成功する。そして2人は事件の真相と、自らの生い立ちを語り始める。

中流家庭に生まれたディックは、両親との関係も良好だったが、小切手詐欺や窃盗に手を染め2度逮捕された経歴がある。そして服役中に、かつてクラッターの農場で働いていた囚人と出会う。クラッターの自宅に金庫がある情報を聞いたディックは、出所後に仲間のペリーに強盗の計画を持ちかける。

ディックと対照的にペリーは悲惨な生い立ちだった。両親との関係は最悪で、孤児院に入れられそこで虐待を受けて育つ。アル中の母は嘔吐物を詰まらせて窒息死、兄と姉は自殺した。そんな環境で育ったペリーは、社会に対する偏執病的な被害者意識と、抑えられない攻撃衝動を抱えていた。

クラッター家に侵入した二人は金庫がないことに気づく。ペリーは殺人などせずに逃げようと提案するが、気づくと家族全員を射殺しており、その理由は自分でも分からない。これまで自分を傷つけた人間の尻拭いを、あの家族が背負うことになったのだろう、と不可解な言及をする。

裁判の結果二人は死刑になる。宗教的な観点から死刑の是非を問われるが、世論は極悪犯の死を望んでおり、控訴を繰り返すも死刑が執行される。死刑台に立ったペリーは、死刑で命を奪うのは道徳的にも法律的にも酷いと主張するが、話すうちに言葉が揺らぎ、最後に自分の罪を詫びて裁きを受けたのだった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

創作背景

本作『冷血』は、アメリカ文学史におけるノンフィクション小説の先駆的作品である。

1959年にカンザス州の片田舎で発生した一家惨殺事件について、カポーティは容疑者を含む事件関係者と積極的に交流し、6年に及ぶ取材と構成を経て完成させた。

この手法はノンフィクション小説という新たなジャンルを確立しただけでなく、従来の客観性を重視したジャーナリズムに対し、事件関係者と深い関係を築く、いわゆるルポと呼ばれるニュージャーナリズムの風潮を生み出した。

本書の素材は、わたし自身の観察によるものを除けば、すべて、公の記録か、直接の関係者とのインタヴュー、それも多くは相当の長期にわたって何度となくなされたインタビューから得られたものである。

『冷血ー謝辞ー』より

ノンフィクション小説という新たなジャンルを開拓したことで、カポーティは作家としての名声を高めたが、しかし同時に彼の人生を破滅させることにもなった。

容疑者と深い関係を築いたとこで、途轍もない葛藤に苦しめられたのだ。

■カポーティの葛藤

『ティファニーで朝食を』の成功で上流社会に仲間入りしたカポーティは、公私ともに注目される人気作家のひとりだった。そんな彼がさらなる創作で興味を持ったのが、カンザス州で発生した一家惨殺事件だった。

この事件は当時、世間を震撼させた。片田舎の平和なコミュニティが突如悲劇に見舞われたこと、そして一家に何の恨みもない犯人が、手足を縛った状態で喉を掻き切り、至近距離から散弾銃で射殺するという、あまりに残虐な犯行が人々を震え上がらせたのだ。

犯人が逮捕された1週間後に、カポーティは容疑者2人との面会を果たしている。自由な面会許可を得るために政界の有力者に1万ドルの賄賂を渡したという噂もある。

カポーティは容疑者2人のうち、ペリーに興味を持った。ディックに関しては、「深みのない空っぽで無価値な取るに足りないペテン師」と言及しているが、ペリーには何か感じるものがあった。それはカポーティにとって、ペリーの生い立ちが自分と重なる部分があったからだと言われている。

カポーティは幼い頃に両親が離婚し、アル中の母親に捨てられ遠縁の家を転々として育った。母親は後年に自殺している。ペリーもまたアル中の母親を持ち、孤児院で育った。この共通点が二人の関係を縮めるきっかけになった。

カポーティはペリーに対する同情心から、「同じ家で生まれた。一方は裏口から、もう一方は表玄関から出た。」という言葉を残している。

似たような境遇で育っても、芸術で成功する者もいれば、犯罪者になる者もいるのだ。

カポーティは足繁く刑務所に通い、何年もかけてペリーと友情を築いた。しかし深い関係になるほど、「犯人を少しでも長生きさせたい」という同情心と、作品を発表するために「早く死刑が執行されて欲しい」という、矛盾した二つの感情に苦しめられるようになる。

ペリーは小説のタイトルが『冷血』だと知ると不満を示した。彼の犯行は確かに「冷血」そのものである。だが彼には「冷血」に罪を犯した意識がない。これに対しカポーティは、タイトルには二重の意味があると説明した。1つはもちろん冷血極まりない事件について。そしてもう1つを明かすことはなかったが、表向きは犯人と友情を深めながら、内心では創作のために友情を利用するカポーティ自身の「冷血さ」を意味するのではないかと言われている。

実際にカポーティは、『冷血』の発表以降に長編小説を1作も完成させることなく、アルコールとドラッグに溺れて59歳で亡くなった。

この友情と創作の葛藤に苦しみ、精神的に病んでいく作者の様子は、2005年に公開された伝記映画『カポーティ』で描かれた。

犯人と交流するうちに病んでいく『冷血』の創作秘話が語られるので非常に面白い。

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犯罪者の優れた心理分析

カポーティの容疑者ペリーに対する特別な感情は、ペリーが殺人を犯す人物になった原因を究明する深い精神分析の形で表れている。

というのもペリーは、取材に来たカポーティに対し、心神喪失の問題を小説に書くよう懇願していたのだ。心神喪失とは精神疾患のことである。裁判が行われたカンザス州では、犯行時に精神状態が正常ではなかった場合、無罪になるというマクノートンルールが採用されている。

実際ペリーには殺人の動機がなく、本人でさえ殺した理由が判っていなかった。むしろクラッター家に侵入したペリーは、家族を殺すことに否定的な立場を取っていた。それなのに気づくと無我夢中で射殺していた。彼の精神は明らかに分裂している。それは殺された家族の遺体に施された奇妙な気遣いにも表れている。ロープで縛られた家族が苦しくないよう頭部に枕を添えたり、クラッターの妻が病気だと知って椅子を用意したり、今から殺す相手にするはずもない気遣いが施されていたのだ。

マクノートンルールに則れば、裁判がペリーに有利に進む可能性はありえた。しかし彼の犯行はあまりに残虐だったので、世間の断罪願望が強く、弁護士でさえ死刑を望んでいた。そのため裁判では精神科医による心神喪失に関する証言の機会が奪われた。だからペリーは、代わりにカポーティが小説の中で言及することを望んだ。影響力のあるカポーティが言及すれば、世論がひっくり返って死刑が却下される可能性があると信じていたのだ。

もっとも『冷血』が完成したのは死刑執行後のことなのでペリーの願望は叶わなかった。カポーティはペリーと深い関係を築いたことで、彼を助けたい気持ちと、判決に個人的な感情が関与することの恐ろしさの狭間で葛藤していたのだろう。だからペリーの生前は『冷血』を完成させなかった。ペリーの絞首刑に立ち会ってから完成させた。

完成した『冷血』には、裁判で証言が許されなかった精神分析を、カポーティが代弁する形で言及している。ペリーと個人的な関係を築いたゆえに、容疑者弁護とも取られかねない精神分析を書かずにはいられなかったのだろう。

その内容は、ペリーの殺人衝動の背後に潜む悲惨な幼少体験についてだ。

ペリーはなぜ殺人を犯したのか

ペリーを殺人鬼へと導いた幼少体験はあまりに悲惨なものだった。

子供の人格形成には両親の存在が大きく影響する。ペリーの両親は不仲だった。父親が外出している間に、母親は子供の見ている前で男と情事に耽り、それが原因で父親は母親に暴力を振るっていた。母親が男と性行為をする姿、そして父親に殴られる姿を、日常的に見た子供の精神は確実に歪む。

ペリーが六歳の頃に両親は別れ、母親は子供を連れてサンフランシスコへ移住した。母親はアル中なり、多くの男と関係を持ち、いないも同然の状態だった。ペリーは何度も逃げ出し、父親に助けを求めるが救ってくれなかった。

間も無くして孤児院に入れられたペリーは虐待を受ける。インディアンの混血であること、寝小便の癖があることが原因で、孤児院の尼さんから鞭打ちを受け、懐中電灯で殴られた。そして冷水を張った浴槽に沈められ、皮膚の色が青くなるまで押さえつけられ、肺炎にかかって死にかけた。

この頃からペリーにパラノイア的な症状が見られ出す。巨大なオウムのような鳥が現れて、尼さんの目玉をくり抜き、自分を天国へ運んでくれる妄想が彼を支配したのだ。

肺炎が完治すると父親に引き取られる。アル中の母親は嘔吐物を詰まらせて死ぬ。ペリーは生まれつき芸術的な才能があり、音楽や絵画に熱中するが、父親がそれを誉めてくれることはなかった。ペリーは世の中から認められていない感覚を抱いている。

十六歳になると商船隊の隊員になるが、上司と度々トラブルを起こす。自分は優秀なのにどうして認めてくれないのか、という思いから、彼は権威ある人間に楯突き、潤滑な人間関係を結ぶことができない。一方で幼い子供には優しく接する傾向があり、子供が大好きだと本人も言及している。

これら生い立ちから見えてくるのは、幼少時代の虐げられた経験から、ペリーは世間に対して偏執病的な思考を有している。他人に対する猜疑心が強く、他人は自分に対して不公平で、自分を理解していないと思っている。他人の言葉に軽蔑が含まれていると繊細に察知し、攻撃衝動を抑えられなくなる。また巨大なオウムのような鳥が現れて尼さんの目玉をくり抜くパラノイアから、社会に対する復讐願望ないしは自分を救ってくれる存在を渇望している。

この抑えられない攻撃衝動や、社会に対する復讐願望は、自分に向けられることもある。実際に似た境遇で育った兄と姉は自殺している。しかしペリーの場合は自分ではなく他者に向けられた。それも全く恨みのない人間に対して。

殺人に否定的だったペリーが急に殺人衝動に駆られた引き金が1つあった。それは恥辱という想念が彼を捉えたことだ。

ペリーはクラッター家の人間を縛り、家中の金をかき集めた。十六歳の娘ナンシーの財布から金をくすねた時に1ドル硬貨を落とした。床に膝をついて硬貨を拾い上げる時に、ペリーは自分が自分の外にいるような感覚を抱いた。それは子供の財布から1ドル硬貨を盗む行為に恥辱を感じ、そんな自分から逃避しようとする精神分裂の症状だと考えられる。そしてクラッターの側に膝を付いた時に、その膝の感触から再び恥辱の感覚が蘇り、気づくとクラッターの喉をナイフで掻き切っていた。

ペリーには偏執病的な傾向があり、他人が自分を軽蔑すると攻撃衝動を抑えられなくなる。ペリーは床に膝をつく感触が引き金となり、子供の財布から1ドル硬貨を盗んだ行為を他者から軽蔑されたという妄想を起こし、その攻撃衝動が目の前のクラッターに向けられた。そしてクラッターの喉を掻き切ったことで、全てを処理しなければならないという衝動に駆られ、一家全員を惨殺するに至った。

これらの精神分析でペリーの心神喪失が認められれば無罪の可能性はありえた。仮に無罪になっていれば遺族感情からすれば堪ったものじゃないだろう。

だがここで問題になるのが死刑制度の是非だ。ある場合には無罪になる犯行が、ある場合には死刑になるという曖昧な判断基準。そして法によって人の命を奪う行為の道徳問題。これらについては次章にて解説する。

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死刑の是非について

裁判において第一審の判決に不服があれば上訴することができる。これによりペリーとディックの死刑執行は幾度も延期された。そこには死刑制度の是非に関する問題提起があった。

一般的に死刑制度の意図は、犯罪の抑止と言われている。つまり死刑がなければ、平気で犯罪を犯す人間が現れるという考えに基づき、それを抑止するために機能しているのだ。

しかし法で禁止されている殺人を、国家が死刑という名目で実行する矛盾がある。この議論は現代でも度々繰り返されているが、その中核には宗教的な概念がある。聖書には『汝殺すなかれ』という戒律が記されており、人間が人間の命を司る行為は禁止されている。人間の命を司るのは、人間を超越した神だけの権利なのだ。

とはいえ人類は神の名もと聖戦と題して、殺人を肯定してきた歴史を持つ。聖書を引き合いに出して死刑に倫理問題を問うには、人類の倫理観はあまりに曖昧すぎる。

もっとも死刑には最大の欠陥があることを忘れてはいけない。それは世論の影響を大きく受けるということだ。

世論や弁護士や裁判官の個人的な感情で、死刑判決は左右される。実際にペリーの裁判は、世論に影響される形で、ほぼほぼ死刑になる想定の元に進められていた。弁護士ですら、通常なら死刑に反対だが、この残虐な事件に関しては死刑に賛成だ、という立場をとっていた。つまり世論の断罪願望が強い場合と、情状酌量を見出す場合とでは、同じ殺人でも罪の重さが変化するのだ。これはカミュの『異邦人』にも通づるテーマである。

『冷血』の序文には、カンザス州で発生した事件は結果的に6人の命を奪うことになったと記されている。クラッター家の人間4人に、容疑者2人を加えているのだ。

人の命を4人も奪ったのだから死刑になるのは当然だという意見もわかる。でも人間が人間の命を奪う行為、それが犯罪であれ法律であれ、いかなる意味を有するのか、この『冷血』という作品は深く考えさせてくれる。

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