村上龍の小説『コインロッカー・ベイビーズ』は、三作目にして最高傑作と名高い作品です。
当時社会問題となった乳児遺棄をモチーフに、孤児の生命葛藤が描かれています。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 村上龍 |
発表時期 | 1980年(昭和55年) |
ジャンル | 長編小説 |
ページ数 | 567ページ |
テーマ | 創造と破壊 近代化への復讐 生命の産声 |
受賞 | 野間文芸新人賞 |
あらすじ
コインロッカーに遺棄された瀕死の乳児が息を吹き返す。攻撃的な性格のキクと、内向的な性格のハシ。乳児院で育てられた二人は、五歳の頃に九州の離島で暮らす夫婦に双子として引き取られる。その離島でガゼルという男と出会い、人を殺したい時に唱えるおまじない「ダチュラ」を教わる。
高校生になると、ハシは置手紙を残して東京へ出奔する。キクと養母はハシを探しに東京へ向かうが、見つけられない上に養母はトラブルで死亡する。その後キクは島へ戻ることを拒み、「ダチュラ」の意味を調べ始める。そしてその正体が、米軍の開発した、凶暴性を発現させる神経兵器であることを知る。
立入禁止区域の薬島でキクとハシは再会を果たす。化粧をしたハシは、ミスターDというプロデューサーに見込まれ歌手デビューすることになっていた。実際にハシはコインロッカーという特異な出生から世間の注目を集める。ミスターDはさらに話題を呼ぶため、テレビ番組でハシと母親を再会させようと企む。一方アネモネというモデルの女性と過ごしていたキクは、その番組のことを知り、急いでハシの元に駆け付け、母親を射殺する。しかしその女はハシではなく、キク自身の母親だった・・・。
懲役5年の刑を科せられたキクは、少年刑務所で実習航海の訓練を受けつつ、脱獄のタイミングを見計らっていた。アネモネの手助けによって見事脱獄したキクは、カラギ島の海底洞窟でダチュラを発見する。そして東京に戻った二人は、アネモネの運転するオートバイに乗りながら、ダチュラを東京に撒いた。
一方レコード売上もコンサートも成功したハシは、精神的におかしくなっていた。結婚したニヴァと腹の子供を殺さなくてはいけないという強迫観念に駆られ、精神病院に閉じ込められる。ダチュラで凶暴化した患者が暴動を起こし、どさくさに紛れて脱走したハシは、廃墟と化した街を駆け出し、自身もダチュラに侵されつつ、しかしハシの叫び声はやがて新しい歌へと変わっていった。
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個人的考察
社会問題を題材にした最高傑作
いつか村上龍は小説の後書きにこんな風な文章を残していた。
小説は三作目が重要だ。一作目は自分の体験談、二作目はその延長線上で書ける。しかし三作目からは真っ新な創造が必要になる。ゆえに三作目が書けずに消える作家が多い。
『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞し、衝撃的なデビューを飾った村上龍。二作目の『海の向こうで戦争が始まる』では実験的な手法に取り組み、前作ほど評価されなかった。しかし、彼は三作目に『コインロッカー・ベイビーズ』という、とてつもない長編大作を発表し、「三作目の呪縛」を見事に打ち破った。
小説の設定はコインロッカーに遺棄された乳児だが、実際に1972年前後の日本では同様の事件が多発し社会問題になっていた。
婚姻外出産に対する社会保障が整備されていなかったことなどが原因で、また遺棄した親の匿名性が保持されやすいこと、長い期間発見されないことから、ある種の流行的な犯行になっていたのだ。
コインロッカーに遺棄された乳児の大抵は死亡してから発見されることが多い。しかし当時の文化人は、遺棄された乳児が生きていたら、という想定で多くの作品を創作した。その中でも村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』は圧倒的な評価を得た。
親の愛情を受けずに育った子供はどんな末路を歩むのか。さらには、前作・前々作で描かれた、近代化や都市化による抑圧と、それに対する破壊衝動といった、初期の村上龍の文学テーマが併せて描かれている。
是非、過去二作品も手に取っていただきたい。
▼『限りなく透明に近いブルー』
▼『海の向こうで戦争が始まる』
キクが抱えていた内面の葛藤
孤児は、攻撃的か内向的、そのいずれかに陥ることが多い。キクは間違いなく前者だろう。
乳児院の頃からハシは周囲の顔色をビクビク伺い、自分の殻に篭るタイプだったが、キクはそんなハシを守り先導する攻撃的な性格だった。例えば、民生委員の不躾な態度にハシは狼狽するが、キクはアイスクリームをコートに押し付けて抵抗する。
こういったキクの性格は最後まで一貫している。スポーツによって強靭な肉体を作り上げ、東京の街を駆け回り、少年院の脱走を試み、最終的にダチュラを東京に散布して破壊を実現したのはキクの方だった。
とは言え、対照的な性格の二人だが、根本的な葛藤は共通している。それは圧倒的な「何か」に支配され、追い込まれているということだ。作中では、「制御できないエネルギーに恐れている」と記されている。
キクは自分でもよくわからなかったのだが、静止が我慢ならなかったのだ。地面の上で動かずにいることが不快でしようがなかった。自分のすぐ側で何かが猛烈な速さで回転している。
『コインロッカー・ベイビーズ/村上龍』
とりわけキクを追い立てていたのは、外部が猛烈に回転している感覚だった。その猛烈な回転の中で静止することに耐えられなかったのは、走り続けなければ自分が巨大な何かに押し潰されてしまう、という脅迫観念があったからだ。おそらくこの強迫観念とは、自傷や自殺のような破滅願望と直結している。
止まれば何者かに押し潰され破滅してしまう。そう感じたキクは、学生時代は棒高跳びに熱中する。全力疾走をすれば決して倒れることはないと信じ、キクは走り続け、そして跳躍によって高い位置へと辿り着こうとした。それは大人になっても変わらない。ダチュラを手に入るために猪突猛進になり、東京に散布した後に、自分は高い塔の上からその様子を見物しようと考えていた。
作中では、母猫に殺されかけた子猫が強い猫になった、という話が描かれる。逆境に耐えたから強くなったのではなく、母猫を恨み、周囲のあらゆるものを恨んだから強くなったという。これはまさにキク自身を投影している。キクの強靭さはあらゆるものに対する憎悪から来るものであり、そしてその破壊衝動だけがキクの生命を維持し、前進させるものだったのだろう。
そう、破壊衝動である。
キクは自分に向けられた破滅的なエネルギー、つまり自傷や自殺のような衝動を、外部を破壊することで克服しようとしていたのだろう。
キクの攻撃的な性格は自分を守るための手段であり、その手段は最終的にダチュラと重なっていく。そして全てを破壊した後に、高い場所、何者からも抑圧されない場所に辿り着こうとしていたのではないだろうか。
ハシが抱えていた内面の葛藤
キクとは対照的に、ハシは内向的な性格だ。
乳児院時代には、玩具を並べてミニチュアの街を作る、という行動に内向性が表れる。キクが外部への破壊を試みるのに対し、ハシは自分の内側に世界を創造することで、自己破滅を回避しようとしていたのだ。
いわば、二人は破壊と創造というコントラストで描かれている。
このハシの内面の創造は、芸術の分野へと発展し、歌手デビューという形で実現される。レコード売上が好調だったハシは、「自分は今高い場所に到達した気分だ」と話す。キクが棒高跳びや破壊という、肉体的なジャンプを実践したのに対し、ハシは創造力によるジャンプを実践したのだ。
しかし、ハシの内面的なジャンプは長くは続かない。次第に奇行が目立つようになり、精神的にどんどん消耗していく。
ハシの精神が消耗した原因は、端的に言えば承認欲求だろう。幼少の頃から周囲の顔色をビクビク覗っていたのは、他人に気に入られたい、という欲求の表れだった。両親から得られなかった愛情の欠陥を埋めるために、他者に求愛していたのだ。里親の元を離れて母親を探しに行こうとしたのも、ハシの方だった。
しかし、ハシの求愛はやがて自傷へ変わる。
コンサートのバックバンドに認められたい思いから、自らの舌を切り落とし、声質を変えようとする。この辺りからハシの言動はいよいよ本格的な自傷に変わり、血が滲むほどハープを吹いたりと、完全に狂っていく。いくら求愛しても本質的には誰にも必要とされていない、という強迫観念が自傷を招いたのだろう。
そもそもハシの内面の創造は、自己否定が端緒になっている。
東京で再会したハシは、化粧をしたオカマになっていた。別の何者かを演じることで、本来の弱い自己を消滅させたかったのだろう。歌手デビューした後も何者かを演じ続ける。その結果、ハシは自分が誰なのか分からなくなってしまう。自己の喪失に苦しんだハシは、一度故郷の島に帰る。本来の自分を取り戻そうとしたのだろう。やがて、目を背け続けた弱い自分を、演技ではない方法で克服しなければいけないと気づき始める。
ハシは弱い自分を克服するために、結婚相手のニヴァと子供を殺す使命感に駆られる。ハシは、自分の頭の中に人面蠅が住んでいるという感覚に襲われていた。その人面蠅が、ニヴァを殺せと命じる。気に入られたい、愛されたい、と臆病に求愛し続けた他者を殺すことで、弱い自分を克服できると思っていたのだろう。ハシの内面の創造が、外部の破壊へと転換していったのだ。
しかし、ニヴァを刺す直前にハシは違和感を抱き、刺した後に狂ってしまう。なぜ破壊を試みたのに救われなかったのか。その問いは、後述の「心臓の音」についての章で考察する。
ダチュラによって果たされるもの
生き物を凶暴化させる神経兵器、ダチュラ。それを東京中に散布する行為にいったいどんな意味があったのか。
実際にダチュラを散布したのはキクだが、その本質的な目的については、ハシの台詞から読み取ることができる。
ハシは自分の手に群がる小虫を指で潰した。そして、その小虫は何に潰されたか気づかないまま死んでいったと話していた。自分も小虫と同じように、何に潰されたか分からないままなのだという。ハシは、正体の分からない巨大な何かに抑圧される感覚を抱いていたのだ。
つまり、ハシは自分を捨てた母親という特定の存在が自分を潰したとは考えていなかった。その背景にはもっと巨大な問題があると考えていたのだ。
その巨大な問題とは、近代化だろう。高度経済成長によって社会は発展し豊かになった。その反面、社会に歪みが生じ、乳児遺棄などの問題が多発した。実際にコインロッカーに乳児を遺棄した母親は未婚であることが多く、母子家庭を支援するだけの社会基盤が整備されていなかったことが原因の一つとされている。
つまり、キクとハシを苦しめていた巨大な存在とは、近代化であり、その象徴である都市部、東京を破壊することが、彼らにとって最終的な目的となっていたのだ。その手段がダチュラだった。ダチュラを東京中に散布することで、近代化の波を押し留め、自分達のような人間を生み出す原因を消滅させようと考えていたのではないだろうか。
二人が求め続けた心臓の音
本作では「音」が重要なキーワードだ。
乳児院にいた頃、二人は奇妙な部屋の中に閉じ込められ、謎の音を聞かされた。その音を聞いた二人は精神が安定し、しばらくは里親の元で平穏無事に生活していた。
しかしデパートの屋上の催しで催眠術にかけられたハシは、再び「音」の存在を無意識下で思い出し、不安定になってしまう。それ以来ハシは世界中のあらゆる音に耳を向けるようになり、最終的には里親の元を飛び出してしまう。
この音の正体は、胎児がお腹の中で聞いていた母親の心臓の音だと明かされる。二人は母体で聞いていた母親の心臓の音をずっと求め続けていたのだ。しかし、その母親の心臓音が一体自分に何を訴えているのかが分からず、二人は半ば破滅の道を辿ることになっていた。
ハシが母親の心臓の音が伝える信号の意味を理解したのは、ダチュラが散布された東京の街でだった。
ハシは近くにいた女を殺そうとする。ダチュラの効能によって凶暴的になり、殺人衝動を駆り立てられたのだ。しかしハシは、殺してはいけない、と必死で自分に訴えかける。この女の心臓の音を止めてはいけないと思うのだ。母親の心臓の音が自分に伝えていたメッセージに気づいたからだ。
僕は母親から受けた心臓の鼓動の信号を忘れない、死ぬな、死んではいけない、信号はそう教える、生きろ、そう叫びながら心臓はビートを刻んでいる。
『コインロッカー・ベイビーズ/村上龍』
かつて母体の中で聞き、求め続けた母親の心臓音は、自分に生きることを訴えていたのだ。
そのことに気づいたハシは東京の街で叫び声を上げる。それは次第に音楽へと変わる。自分の生命を肯定するための音楽だ。これまでのハシはずっと、弱い自分を消滅させるため、別の何者かになるために、創造し歌い続けていた。その結果ハシは自己を見失い、自傷行為に明け暮れ、精神病に入れられた。しかし、ハシの本来の目的は、何者でもない自分自身を肯定することだったのだ。
創造とは破壊だ、という言葉がある。新しい何かを生み出す行為は、既存の何かを破壊する行為なのだ。しかしハシの場合は、愛する人間(ニヴァ)を殺し自分自身も破滅させる、という何も生み出さない間違った破壊へ矛先が向いていた。その間違いに気づいたハシは、自分の生命を肯定するための叫び声を上げる。その叫び声は赤ん坊と同じ声だった。生まれた瞬間に赤ん坊が発する、自分の生命を訴える産声だ。
自分の生命を訴える産声によって、自分を抑圧する巨大な存在を破壊する。その創造は音楽になったのだ。芸術とは何たるか、表現とは何たるか、その答えがこの結末に描かれているように感じる。
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村上龍の代表作『ラブ&ポップ』は、庵野秀明が監督を務め1998年に映画化された。
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