オスカーワイルド『サロメ』あらすじ解説|狂気的な悪女を描いた戯曲

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サロメ イギリス文学

オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』は、新約聖書の内容を元にした作品である。

聖書に伝わる洗礼者ヨハネの首を所望した王女のエピソードが、ワイルドによって官能的かつ悲劇的に描かれる。

日本では三島由紀夫の演出で舞台化されたことで有名だ。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察していく。

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作品概要

作者  オスカー・ワイルド  
アイルランド
発表時期1891年
ジャンル戯曲
神話
ページ数175ページ
テーマファム・ファタル
魔性の女の悲劇
エログロ

あらすじ

あらすじ

ユダヤの王エロドは、兄を殺しきさきを奪い今の座に就いた。そして妃の連子である王女サロメにいやらしい目を向けている。

エロドの視線に堪えかねたサロメは宴の席を外し、預言者ヨカナーンが投獄された井戸に向かう。ヨカナーンは不吉な預言を口にするので王から接触を禁じられている。その禁を破ったサロメは一目見た瞬間ヨカナーンに恋する。そして口づけを迫るのだが、ヨカナーンは彼女を忌わしいものと拒絶する。

エロド王は何でも褒美を与える条件でサロメに踊りを要求する。サロメは7つのヴェールの踊りを披露し、褒美にヨカナーンの首を所望する。預言者の力を恐れるエロドはこの要求を断るが、サロメが頑なに聞き入れないので仕方なくヨカナーンの首をとらせる。

銀の皿に乗って運ばれてきたヨカナーンの唇にサロメは口づけするが、彼女が求めた温もりは死体から感じられなかった。これを見たエロドはサロメを殺させる。

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個人的考察

個人的考察-(2)

作者オスカー・ワイルドについて

オスカー・ワイルドは、19世紀末のイギリス文学を代表するアイルランドの作家である。

世紀末文学の騎手とされ、『サロメ』の他に、『ドリアン・グレイの肖像』『幸福な王子』などの名作を生み出した。

■世紀末文学とは

世紀末文学とは、ワイルドを中心に19世紀末のイギリスで流行った、退廃的な美を追求した文学のことである。

その特徴は『サロメ』のように、道徳的規範から解放されたエロティックかつグロテスクな描写が多用される。美を追求するためなら背徳も厭わない。いわゆる芸術至上主義であり、デカダンスの風潮を生み出した。

当時はフランスの作家ゾラを中心とした自然主義文学が隆盛で、それに対するアンチテーゼとしてワイルドは耽美的な作風を追求したと言われている。

ちなみにワイルドを中心とした世紀末文学は、いわゆるエログロ的な作風として、谷崎潤一郎や夢野久作に影響を与えたと言われている。

そんなワイルドの代表作『サロメ』は、王女サロメの狂気的な愛を描いた戯曲なのだが、物語は新約聖書が題材になっている。

まずは聖書の内容について解説していく。

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新約聖書のストーリーについて

戯曲『サロメ』ではもちろん王女サロメが主人公なのだが、聖書では彼女は洗礼者ヨハネの逸話に登場する名も無い女に過ぎない。

洗礼者ヨハネは、預言者ヨカナーンのモデルになった人物だ。キリストに洗礼を与えた人物として知られている。戯曲でヨカナーンがメシアの到来を予言する場面があるが、これはつまりキリストの登場を予言していたのだ。

しかし不可解なのは戯曲にてヨカナーンが囚われの身であることだ。これはヨハネがユダヤ王を非難して投獄されていた事実に基づく。

ヨハネが非難したのは、王と妃の結婚についてだ。というのも兄を殺して妃を奪った王の結婚はユダヤ律法に反する行為だったのだ。

結婚を非難されて憤慨したのは、実は王ではなく妃の方だった。妃はヨハネの投獄を命じ、彼を処刑しようと考えていた。戯曲で妃が、ヨカナーンが自分の悪口を言っていると異常に毛嫌いしているのはこの出来事に由来する。

一方で王はヨハネの処刑に反対だった。むしろ彼を擁護していた。というのも洗礼者とは神聖な人物であり、尊敬すべき対象であり、民衆からの支持も厚かった。妃の個人的な嫌悪に従って処刑するのは具が悪かったのだ。だから戯曲でも王はヨカナーンを恐れ敬い、首を取ることに反対していた。

しかし事件はユダヤ王の生誕祭で起こった。

妃の連れ子のサロメが踊りを披露した。それが大層素晴らしかったので、王は褒美に何でも与えると言った。すると妃が横から、ヨハネの首が欲しいと言いなさい、と娘のサロメに耳打ちした。ヨハネを処刑する絶好のチャンスと考えたのだ。何でも与えると言った建前、王は断ることができず、仕方なくヨハネの首を取らせることになった。妃はしめしめというわけだ。

この物語は新約聖書のマルコ福音書の第6章に詳しく記されている。

つまり聖書ではサロメは母の言いつけに従ったに過ぎない。本来は王と妃とヨハネ三人の争いの物語なのだ。重要な存在ではないサロメは聖書にその名前さえ記されていない。後にユダヤの古代書に「サロメ」という名前が発見され一般的に知られるようになった。

サロメは聖書に特筆するほど重要な人物ではなかった。それがここまで有名になったのは、多くの画家が好んで彼女の絵を描いたからだ。美少女がヨハネの首を持つというエログロの対比が画家にウケたわけだ。その結果サロメのイメージは時と共に改変され、望んでヨハネを殺した悪女のイメージが定着したのだ。

ワイルドの戯曲もまさに、サロメの悪女ぶりに焦点を当てて描いている。

しかしながらワイルドが描くサロメ像は謎に満ちている。とりわけヨカナーンの首を取らせた彼女の心境は見えずらい。

次章ではサロメがヨカナーンを殺した動機について考察する。

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多種多様なサロメ像

預言者ヨカナーンの首を取らせ口づけをするサロメだが、その胸中を解するのは難しい。

実はサロメは見る人の数だけ解釈があるヒロインだと言われている。

そこでサロメがいかなる人物であるか、三つの解釈を紹介する。

ファム・ファタル(魔性の女)

最も代表的な解釈は、サロメが魔性の女、悪女だという説だ。

というのも19世紀末の芸術では、男を破滅させる魔性の女を指す「ファム・ファタル」という女性像が流行していた。多くの場合、彼女たちに男を破滅させる意図はなく、ふしだらな恋愛をしたり際限なく散財したり、自由奔放な生き方で結果的に男が振り回されることが多い。

実際にサロメには、色目を使って周囲の男を思い通りにする気質がある。

ヨカナーンに興味を持ったサロメは、親衛軍の隊長である若きシリア人を誘惑して、ヨカナーンを牢獄から出すよう指示する。しかし王から牢獄を開けることを禁じられているためシリア人はそれだけは出来ないと拒否する。するとサロメは、もし願いを聞いてくれたら明日城の門下を通るときに、お前に花を投げて微笑みかけてあげるよ、と誘惑する。

あたしをごらん、ナラボス(シリア人)。ごらん、あたしを。ああ! お前にはよくわかっているはず、お前はあたしの願いを叶えてくれるつもりなのだよ。

『サロメ/ワイルド』

こんな風に美しいサロメに誘惑されたシリア人は、王の命令に背いて、ヨカナーンとサロメを引き合わせてしまい、その過ちから彼は自殺してしまう。

要するにサロメには、男を誘惑しその男の命を奪ってでも自分の願望を叶えたいという、まさに「ファム・ファタル」の性質があるのだ。

サロメの最終的な願望はヨカナーンに口づけすることだった。その願望を叶えるためなら、自分を拒絶するヨカナーンを殺してでも、彼に口づけしなければ気が済まない。その結果サロメは、愛する者を手に入れるために愛する者を殺すという、狂気的な矛盾の悲劇を引き起こすことになったのだろう。

近親相姦の拒絶

もう1つの解釈は、サロメが王の近親相姦的な愛を拒絶する意図があったという説だ。

妃の連子といえど婚姻上は娘にあたるサロメに対し、王はいやらしい目を向けていた。

なぜ王はあたしを見てばかりいるのだろう(中略)あたしには解らない、どういう意味なのか・・・いいえ、本当は解っているの。

『サロメ/ワイルド』

王の近親相姦的な視線をサロメは痛いほど見抜いている。その視線から逃れるためにサロメは宴会場を飛び出してきた。そしてヨカナーンと出会うことになる。

王がヨカナーンに畏敬の念を抱いていることをサロメは知っている。逆に言えば、王にとってヨカナーンの首を取る行為は、最も犯しがたい恐ろしい行為なのだ。だからこそサロメは、王に対する報復として、王が最も恐れるヨカナーンの打首を所望したのかも知れない。

余談になるが、実は作者のワイルドは同性愛者だった。15歳年下のダグラスという青年を愛していた。その事実が発覚すると、ダグラスの父は訴訟を起こし、裁判に負けたワイルドは2年の禁固刑を科せられた。出所後は偽名を使って各地を転々とし、失意から回復しないままに梅毒で没した。

こうした背景から、自由な恋愛が認められない家父長的な社会に対する反抗として、王に報復するサロメの姿を描いたのかもしれない。

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綿矢りさの描くサロメ像

戯曲『サロメ』は、多くの作品で引用されたりパロディ化されている。その中で個人的に好きなのが、綿矢りさの『ひらいて』である。

『ひらいて』は、主人公の女子高生が彼女持ちの男子に惹かれ略奪を企てる物語だ。略奪のためにまず彼女に接近し、間接的に彼との距離を縮めようとするのだが、二人の間に自分の入る隙がないと知ると、なんと彼女を誘惑して同性愛の関係を持つ。

「私、あんたの彼女、抱いたよ」

愛するがゆえに彼の悲しむ顔を見たくなり、そして最終的に自分のものにしたいという、激しい欲動に突き動かされ、とんでもない悪女ぶりを発揮するのだ。

そんな主人公の悪女ぶりを象徴するように作中でサロメが引用される。

綿矢りさが描くサロメ像は悲哀に満ちている。愛するヨカナーンに邪険に扱われ、その愛憎から彼の首を取らせるも、銀の皿に乗せられた彼の首を見た時にサロメは愕然とする。そして死体に口づけをしてもサロメが求めていた温もりは感じられない。

もちろんサロメの求めている温かみは、ひとかけらもない。当たり前のことなのに、なぜすべて奪うまで気づけない。欲しがる気持ちにばかり、支配されて。絶対にあきらめられない想いなんか、あきらめてしまえ。

『ひらいて/綿矢りさ』

愛する者が手に入らないのは苦しい。飢えた心は求める気持ちを抑えられない。仮に無理やり手に入れたとしても、その先には別の苦しみが待っている。そう判っているのに、手に入らない不安に耐えることなんてできない。

思春期の少女の激しい渇望、愛憎の暴走、その先にある悲哀。何かを強く求めるとことで大きな代償を失ってしまう二重の苦しみを、サロメに投影させているのだろう。

作中の対比構造

最後に本作『サロメ』の巧みな対比構造について解説する。

特に作中では、「サロメ」と「月」が深く連動している。

物語は若きシリア人がサロメの美しさを讃嘆する台詞で始まる。とりわけサロメの蒼ざめた顔を白薔薇に例えて表現する。一方でエロディアスの侍童は月の美しさを、死んだ女のようと讃嘆する。「蒼ざめた顔」と「死んだ女」は同類の表現であり、この時点でサロメと月が連動していることがわかる。

次にエロディアスの侍童が月の美しさを「屍をあさり歩く女」と表現する。それが暗示するようにサロメが登場してヨカナーンの牢獄を解放するよう依頼する。ヨカナーンを解放したことで、若きシリア人が自殺し、最終的にはヨカナーンも首を取られる。まさにサロメは屍をあさり歩くような、死の元凶となる女だったのだ。

他にもヨカナーンの予言通り月が赤くなると、その直後にサロメは王の前で踊りを披露し自殺したシリア人の血で足が赤く染まる。月が赤くなったのと連動して、サロメの足も血で赤く染まったのだ。

血で染まるのは足だけではなかった。ヨカナーンの首に口づけをした狂気的なサロメは、最終的に王の命令で殺されてしまう。月が赤く染まった時点で、彼女の運命は赤い血で染まることが決まっていたのだ。

西洋では月は狂気的なイメージを想起させるものであり、あるいは女性的なもの、感情的なものを表現する。実際にギリシャには、「おまえは自分の頭上に月を引き下ろす」ということわざがあり、これは我が身に災いを引き起こすことを意味する。他にも月を見ると狼になる狼男の物語は有名だ。

そういう西洋的な月のイメージから、見る男を狂わせ災いを引き起こすサロメの女性像が誕生したのかもしれない。

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