川端康成『千羽鶴』あらすじ解説|愛欲と罪意識の芸術美

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千羽鶴1 散文のわだち

川端康成の小説『千羽鶴』は、芸術院賞を受賞した戦後の作品群の代表作である。

同じ戦後の傑作『山の音』と並んで高く評価されている。

亡き父の不倫相手と再会し、その美しく妖艶な夫人と契りを交わす物語で、愛と死を匂わせる夫人の魅力が、志野の水指の美しさに重ねて幻想的に描かれる。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語を詳しく解説していく。

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作品概要

作者川端康成(72歳没)
発表時期  1952年(昭和27年)  
ジャンル長編小説
ページ数239ページ
続編『波千鳥』収録
テーマ罪意識と美
愛欲の超現実世界

あらすじ

あらすじ

■千羽鶴
栗本ちか子の主催する茶会で、菊治は亡き父の愛人・太田夫人と再会する。夫人は父の面影を宿す息子の菊治に妖しく惹かれ、二人は一夜を共にする。父の愛人と関係を持った背徳感はあるものの、菊治もまた、人間の女ではないような妖艶で美しい夫人に惹かれる。

同じく父の愛人だった栗本ちか子は、終生父に愛された太田夫人を憎んでいた。その嫉妬からか菊治と夫人の妖しい関係を邪魔し、菊治に近づくなと夫人に警告する。やがて夫人は自分の罪深さを思い自殺した。

自殺した夫人の娘・文子から、形見である志野の水指を受け取る。菊治は水指を通して夫人を想起するごとに、夫人が女の名品だったと感じる。文子はもう一つ、母が湯呑みに愛用していた志野茶碗を菊治に譲る。その茶碗には夫人の口紅のあとが血のように染み付いていた。

太田夫人の余韻と共に、菊治の中で文子の存在が大きくなり、二人は肉体関係を結ぶ。しかし母と同じ罪を犯した文子は、翌日に菊治の前から姿を消すのだった。

■波千鳥
菊治の元に文子から手紙が届いた。そこには母や自分を忘れて、見合い相手である稲村ゆき子と結婚するよう綴られていた。菊治は文子を血眼に探したが行方は知れなかった。

1年半後にゆき子と結婚した菊治は、新婚旅行で熱海を訪れた。菊治は夫人や文子と犯した背徳の記憶を意識し、純潔なゆき子に口づけ以上の関係を結べなかった。明るい家庭で育ったゆき子の魅力に惹かれつつも、本当の意味では夫婦になれないのだった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

戦後文学の傑作小説

川端康成の作家的評価を決定づけたのは戦後の作品群で、とりわけ『山の音』は戦後文学の最高峰と高い評価を得た。その『山の音』と並んで人気が高いのが『千羽鶴』である。

『山の音』同様、『千羽鶴』は当初から長編の構想で書かれたものではなく、雑誌に掲載された複数の断章をまとめた連作である。二年に渡り掲載された五つの断章を合わせて『千羽鶴』とし、一旦は『山の音』の中途七章と合わせて刊行された。1951年読売ベスト・スリーに選ばれ、芸術院賞を受賞した。

その後『山の音』を執筆する傍ら、『千羽鶴』の続編にあたる『波千鳥』を書き継ぎ、八章の段階で中断し、そのうちの六章が『千羽鶴』と合わせて再度刊行された。これが現在一般的に読むことができる形式である。

『波千鳥』が中断されたのは、仕事部屋の旅館で取材ノートの盗難に遭ったからだ。ノートには創作材料の写生が記され、それを失ったことで実質継続が不可能になった。旅館の名誉に関わることを案じて生前の川端は盗難について沈黙していた。仮に継続されていたなら、「菊治と文子の再会」や「二人の心中」があったのではないか、と考察する声もある。

ともあれ『千羽鶴』が評価される理由は、タイトルにもなる千羽鶴の絵模様の風呂敷や、室町時代の茶碗の名器である志野焼など、日本の伝統美に対する造詣に富んでいるからだろう。その伝統品と夫人を重ね合わせ、現実の人間ではないような妖艶な女性を描いたのも、川端文学らしい独自の美的表現と言える。

以上の背景を踏まえた上で物語を詳しく考察していく。

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作中に登場する女たち

栗本ちか子が主催する茶会を通じて、菊治は四人の女性と交友を持つことになる。そのうち三人が亡き父と関係があった女性だ。

栗本ちか子は胸のアザが原因で、周囲から結婚できないと暗い噂を立てられていた。実際に彼女は生涯独身を貫いたが、一時期は父と愛人関係を結び、しかし短命に捨てられた。その嫉妬から終生父と愛人関係にあった太田夫人を恨んでいる。そして菊治に粘着して付きまとい、太田夫人やその娘・文子が菊治に接近するのを邪魔する。

ちか子にかたき役にされる太田夫人は、道徳の範疇を超えた愛欲に憑かれた女である。「少し足りない」「しおらしそうに見えて何を考えてるか分からない」とちか子が非難する通り、愛欲のためなら背徳も厭わない悪女の魅力がある。茶会で菊治と再会した場面では、愛人という後ろめたい過去があるにもかかわらず、周囲の目を気にせず菊治に話しかける。父の面影を息子の菊治に見出し、けじめのない愛欲に突き動かされている風だ。この時点で、世俗から解き放たれた愛と美の世界を生きる夫人の肖像を完全に捉えている。

菊治の方も浮世離れした夫人の魅力に惹かれ、茶会の夜に関係を結ぶ。父の愛人に手を出した以上、背徳を感じざるを得ない。夫人とて愛人の息子と関係を結んで背徳を感じるはずだが、彼女にはそんな素振りがない。それは夫人が道徳を超えた愛欲の世界の住人だからだ。実際に夫人は現実の女ではないような印象を与える。

夫人は人間ではない女かと思えた。人間以前の女、あるいは人間の最後の女かとも思えた。

『千羽鶴/川端康成』

「人間以前の女」「人間最後の女」とは、女性性を意味する。実際に夫人は、情愛を結ぶときに女としての最大の美を露わにする。それは浮世も道徳も離れた魅力であり、だから超現実的な存在に感じられるのだ。

娘の文子も夫人と同じ愛欲を発揮する人物として描かれる。ゆえに夫人の死後、菊治の関心は文子に向けられる。二人は肉体を結ぶのだが、そこには母の罪の轍を辿る悲劇があり、ゆえに文子は菊治の前から姿を消すことになる。詳しくは後の章で考察する。

最後は父と関係のない稲村ゆき子だが、彼女は夫人や文子と対極の存在として描かれる。夫人や文子が激しい愛欲に憑かれた別世界の住人だとすれば、ゆき子は純潔な貞操観念に繋ぎ止められた俗世の住人である。夫人が亡くなり、文子が姿を消した後、続編の『波千鳥』では、菊治とゆき子の夫婦生活が描かれる。その夫婦生活には隔絶がある。夫人や文子と関係を持った菊治は、道徳を超越した二人の女に対する心残りと、不義を犯した罪意識から、ゆき子と真の意味で夫婦になれない。罪意識を抱える菊治にとって、ゆき子の純潔は犯すことができないものだったのだ。

以上、4人の人物について触れたが、次章からは太田夫人と、娘の文子に注目する。

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志野の水指と茶碗について

菊治と肉体関係を持ち、その妖しい恋にやつれた太田夫人は、愛欲の罪を自覚して自殺する。奇妙なことに夫人が自殺したと知っても、菊治はあからさまなショックを受けない。むしろ死んだことで一層夫人が美しい存在になったとすら感じる。元より別世界を生きる幻影のような夫人は、死をもって美の絶対境へと達したのかも知れない。

夫人の死後、志野の水指と茶碗が菊治の人生に付きまとう。それは夫人の形見として娘の文子から譲り受けたものだ。「冷たく温かいように艶な」水指の感触は、幻影のような夫人の肌を想起させる。また水指に続いて譲り受けた茶碗には夫人の口紅の染みが付いていた。これら二つの名品を通して夫人を思うとき、生前に彼女が犯した罪の暗さや醜さを感じさせない。それは娘の文子が意図したことでもあった。というのも文子が志野の水指を母の形見として菊治に譲り渡す時、こんな台詞を口にする。

母が死んだために、はたの者が責任を感じたり、後悔したりしては、母の死が暗いものになりますし、不純なものになりますわ。

『千羽鶴/川端康成』

かつて菊治と過ちを犯した母について、文子はその罪を恥じ許すよう乞うていた。ところが母の死後にはその罪を肯定せんばかりに亡き母を純な存在として偲ぶ。その想いの表れとして、文子は亡き母を志野の名品に重ねることで、母の愛欲の罪を芸術的な美へ昇華したのだ。罪深い愛欲に憑かれた女の哀しみを美的霊感の世界に封印するように。実際に菊治は名品を通して夫人を想起するとき、そこに罪という暗さや醜さは感じられなかった。

しかし母の罪を美に昇華する行為は、文子の中に潜む母の血をも肯定し発動することを意味した。実際に文子は、母が愛欲の罪を犯した相手である菊治に惹かれ、同時に菊治も文子に対して夫人の面影を発見する。二人は志野の名品を通して夫人の罪を払拭したつもりが、かえって自分達が罪の中に回帰してしまったのだ。そして二人は肉体関係を結ぶことになる。

肉体関係を結んだ後、文子は母の形見である志野の茶碗を割る。水指に比べ茶碗は優れた作品ではなく、母の形見は名品に限ると考え茶碗を割った。それは嘘ではないだろうが、茶碗を割る行為には母の呪縛を断ち切る意図もあったように見える。というのも菊治は文子の中に夫人の幻影を見出すことで彼女に惹かれていた。いわば二人の関係は、夫人の霊が結びつけていたのだ。その母の呪縛を断ち切るため、文子は母の幻影を宿す茶碗を割ったのではないか。実際に茶碗を割った直後に、菊治の文子に対する印象は変化する。

これまで菊治は文子を、太田夫人の娘と思わない時はなかったのだが、それも今は忘れたようだ。

『千羽鶴/川端康成』

母の呪縛を断ち切りたい文子の想いは、確かに実現したように見えた。ところが文子は茶碗を割った翌日に菊治の前から姿を消す。本当の意味で結ばれたように見えた文子は、なぜ菊治の前から姿を消す必要があったのか。その問題について次章で詳しく考察していく。

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文子が姿を消した理由

母の罪意識を美に昇華し、菊治と肉体関係を結んだ文子は、茶碗を割った翌日に姿を消す。彼女が姿を消した理由は彼女の罪意識にある。

そもそも文子の母・太田夫人は、愛人への愛欲をその息子の菊治に向け、罪意識にやつれて自殺した。死後に夫人の罪は、文子と菊治によって美へ昇華された。ここで重要なのが、夫人の現世の罪は死後に払拭されたことだ。逆に言えば現世では死をもって償うほど苦しい罪意識だったのだ。

文子は母の罪意識を美に昇華することで、自分の中に母と同じ愛欲を発見し、母が罪を犯した相手である菊治と肉体関係を結ぶ。その時点で文子は母と同じ罪意識を抱くことになった。それは死をもって払拭できるものであり、生きている限りは耐え難い罪意識なのだ。場合によっては夫人のように自ら命を絶ちかねない。だから菊治は、文子が旅に出たと知った時、彼女の死を予感する。夫人と同じ末路を辿ったのではないかと考えずにいられなかったのだ。

幸い文子は死を選ばなかった。彼女から送られて来た手紙には、母の故郷である大分県の竹田町を旅している様子が記されていた。この竹田町は母の故郷であると同時に、古くから隠れキリシタンの里として知られている。そのことからも判る通り、文子の旅には贖罪、つまり宗教的な救いを求める意図があったのだ。

手紙の最後には菊治に対し、稲村ゆき子との結婚を勧める旨が記されていた。

ゆき子さんと結婚なさるように書きましたけれど、御自由になさいませ。私も母も、あなたの御自由にも、また御幸福にもなんのさまたげでもありません。私を決しておさがし下さいますな。

『波千鳥/川端康成』

文子は旅を通じて母をも含めた贖罪を試みることで、暗い運命から菊治を解放し、既に彼が自由であることを示唆していたのだ。

稲村ゆき子と結婚した後に、菊治は改めて文子の手紙を読み返し、火をつけて処分する。ところが手紙は湿っていて上手く燃えず、その中途で栗本ちか子が訪ねて来たので、燃え残った分を懐にしまった。文子の贖罪は菊治を自由にしたように見えたが、懐にしまった手紙の燃え残りは、依然として文子の亡霊として彼の人生に付きまとうことになるのだろう。その先の運命は未完ゆえに誰も知らない。

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