田山花袋の小説『少女病』は、代表作『蒲団』と並ぶ自然主義文学の傑作です。
妻子持ちの中年男性が、電車の中で女学生を観察する、女性美と性欲の葛藤が描かれています。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
目次
作品概要
作者 | 田山花袋 |
発表時期 | 1907年(明治40年) |
ジャンル | 短編小説 自然主義文学 |
テーマ | 性欲の葛藤 少女趣味 中年男性の孤独 |
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あらすじ

千駄ヶ谷駅で毎朝乗車する男がいました。彼は37歳の妻子持ちで、かつては少女小説の名手でしたが、今では編集者で校正をする落ちぶれ作家です。
作家として落ちぶれ、仕事は辛く、結婚生活にも飽きた、孤独な彼の唯一の楽しみは、電車で少女を観察することです。髪の香り、肉付きのいい身体、胸元の隆起とその奥の乳房。少女に魅了される度に、自分はもう彼女たちと恋仲になれない年齢であることを恨むのでした。
職場からの帰りの電車は例になく混雑していました。車内には美しい令嬢がいます。あまりの美しさにうっとり我を忘れ、乗客に圧迫された彼は、車外に突き落とされます。運悪く彼は向かいの電車に轢かれ、線路は紅く染まりました。
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あらすじを詳しく
①その男について
毎朝決まった時間に必ず、千駄ヶ谷の田んぼを歩く男がいます。男は数ヶ月前に引っ越してきたばかりですが、いかなる日も同じ時刻に田んぼを歩くため、住人は彼の往来を合図に朝の時刻を把握するのが習慣になっています。
男は37歳くらいで、肌が浅黒く、人目には恐ろしい容貌ですが、どこか優しげな目をしており、洋服を着ているため、この辺りで彼を知らない人はいません。
無論、今日も男は千駄ヶ谷の田んぼを歩いて、駅へと向かいます。
曲がり角でふと、若い女の後ろ姿を目にして、男はそれだけで胸をときめかせ嬉しくなります。その若い女はこれまで何度も同じ電車に乗り合わせたことがあり、話したことはありませんが認知しています。それどころか、彼女の後を尾行して、家を突き止めたことさえあるのです。
他にも待合室の前にいる女学生に関しては、かつて往来で彼女が落としたピン留めを拾ってあげたことがあり、はっきりと面識があります。駅で遭遇しても彼女は知らぬ顔ですが、年頃の女が恥ずかしがっているのだと考えると愉快で堪らなくなります。
彼女たちの美しさに胸をそそられながらも、自分は妻子持ちであり、もっと若い頃に出会えれば、と男はあり得ぬ妄想をして悲しくなるのでした。
②落ちぶれた文学者
この歪な男は名の知れた文学者で、若い頃は随分喝采を受けていました。しかし、今では雑誌社で校正をする程度の、落ちぶれ作家になっています。
彼が落ちぶれた理由は、やはり若い女に憧れる悪い癖があるからでしょう。彼が若い頃はその癖も作品の題材であり、実際に彼の書く少女小説は多くの若者を虜にしました。しかし、粗野な中年になった今、少女趣味な小説を書いたところで、作者と作品のギャップが著しく、文壇の笑い者にしかならないのです。
世間は彼の少女趣味を好き放題うわさしています。例えば、若い頃に自慰行為をし過ぎたせいで、性機能が不全になって、少女を求める気持ちが行為ではなく作品で昇華される、など酷い推測です。
以上のように、男は少女趣味という一種の病によって文壇をせしめ、同様の理由によって自らの作家人生を破滅させてしまったのです。
③少女を観察する喜び
車内で少女を観察する方法、それは真正面ではなく、あえて斜めの位置を確保するのが最善です。人に怪しまれるのを避けるために、男は自然とそういったテクニックを身につけています。
いつもなら千駄谷駅で、少なくとも見知りの少女が3人は乗車するのですが、今日は誰一人いません。それどころか不器量で醜い女が隣に座ってうんざりしています。心の中ではかつて一度だけ遭遇した、華族の令嬢と思われるくらい美しい少女に想いを馳せています。しかし、今日も彼女は見当たりません。
ようやく見慣れた少女が乗車してきます。お茶の水の高等女学校に通う美しい少女です。混み合った車内で、自分の目の前に少女がやって来て、男は愉快で堪りません。柔らかい着物が自分に触れ、髪の匂いが鼻腔を蕩し、彼は魂を失って昇天しかけます。
④雑誌社での苦悩
会社に到着した男は、今日1日の苦しみを想像して、生活に嫌気がさします。雑誌社の仕事にやりがいは無く、それどころか、先程までの電車内での幸福感がちらついて、一層辛くなります。
編集長は皮肉屋で、男の書く少女趣味な美文新体詩をとことん冷やかします。周囲の冷やかしに気を損ねる彼ですが、ぐっと怒りを堪えて、少女たちのことを考えるのでした。
若い青年時代に自分はどうしてもっと恋をしなかったのかと、男は後悔しています。充分に若い女の肉の香りを嗅がなかった自分に腹が立つのです。今いくら美しい少女に憧れても、中年の自分に恋愛は許されないと考えると侘しくて堪りません。いっそ死にたくなるのでした。
いくら美しい少女の髪の香に憧れたからって、もう自分らが恋をする時代ではない。また恋をしたいたッて、美しい鳥を誘う羽翼をもう持っておらない。と思うと、もう生きている価値がない、死んだ方が好い、死んだ方が好い、死んだ方が好い、とかれは大きな体格を運びながら考えた。
『少女病/田山花袋』
妻子がいる身で自分が死んでどうするのだ、と理性が働きます。しかし、彼の際限ない寂しさは、美しい少女によってしか埋めようがないのでした。
⑤線路を紅い血が染める
仕事帰りの電車は酷く混雑していました。男は電車に乗車したということだけで、心が落ち着きます。
満員電車で手すりに捕まった男は、ふと車内を見渡してはっと息を呑みます。どうしても再会したいと願っていた例の美しい令嬢が、なんと同じ電車に乗車していたのです。俗悪な世の中にこんなにも美しい少女が存在することが不思議で堪りません。男は心いくまで彼女の美しい姿に魂を打ち込みました。
あまりの乗客の多さに車台の外に追い出されそうになります。しかし男は美しい少女のことしか頭にありません。浮かれぽんちな彼は、令嬢の姿にうっとり我を忘れていました。
次の駅でさらに人が乗車したことで、令嬢にうっとりしていた彼の手は手すりから離れます。そのまま車内から押し出され、線路の上に転がり落ちてしまいます。運悪く、向かいの電車が通過し、男は電車に引きずられ、紅い血が一筋長く線路を染めました。
ここで物語は幕を閉じます。
個人的考察

旧式の女性、新式の女性
『蒲団』を読んだことがある方は、作者の田山花袋がなぜ、若い少女に夢中になっているのか想像がつくと思います。
『少女病』と『蒲団』が発表されたのは明治40年、つまりほとんど明治末期です。時代が移り変わる瞬間に際した作者は、女性の価値観が大きく変化する様子を目の当たりにしていました。
つまり、作者が若い頃には、いわゆる「おしとやかで慎ましく、教養を持たない」のが一般的な女性の在り方でした。ところが、明治末期になって、女性の権利が謳われるようになり、「ハイカラで元気が良くて、学問も身に付ける新式の女性」が登場しました。
田山花袋が描く主人公は、そういった新時代の女性に対して、性的にも文学的にも美しさを感じています。
「少女病」の主人公は、妻子のいる生活に嫌気がさしています。男に嫁いで、子供を生み、老いていく、旧式の習わし通りの生き方をする妻にはほとんど魅力を抱いていません。電車内で見かける新式の少女たちが、今までにない新しい生き方を築いていく将来性に、彼は魅力を感じています。
あるいは、主人公は若い頃に女性の肉の香りをもっと嗅いでおけばよかった、と酷く後悔しています。それもまた、処女・童貞の倫理観が関係しており、性愛に関する価値観が明治末期から変化し始めたことを意味しているのでしょう。女性は、結婚するまで処女を守るのが当然の時代であれば、男性もまた相応に肉欲を満たす機会は多くあるはずがありません。
若い頃は倫理観が厳しく、思うように性欲を発散できなかった、ところが中年になってハイカラな女性が登場し、これまでのたがが外れたように性欲が爆発してしまった男の物語なのです。
新式の少女を抱きたい、旧式の妻じゃ満たされない、という賛否両論が伴う孤独な男の叫びでした。
落ちぶれた文学者は作者自身!?
本作の主人公は、かつて人気があった作家が、今は落ちぶれて雑誌社で校正をしているという設定でした。
おそらく、田山花袋自身が当時抱いていた危機感が設定として現れているのだと思います。それというのも、日露戦争直後の当時、同世代の島崎藤村は「破壊」で喝采を受け、国木田独歩は「独歩集」が非常に評価され、自分だけが偉業を成し遂げていないという焦りがあったようです。
私(花袋)は一人取残されたような気がした。(略)何も書けない。私は半ば失望し、半ば焦燥した。
『東京の三十年/田山花袋』
追い詰められた状況だったからこそ、自らの胸中を赤裸々に明かすことに躊躇がなく、結果的に自然主義文学、ないしは私小説という日本文学の新しい形式を築くことができたのでしょう。
『少女病』の主人公は、若い時分は少女小説を書いて多くの若者を虜にしましたが、中年になってからは作者と作品のギャップが揶揄されるようになります。むさくるしいおっさんが、美しい少女の小説を書くのはちゃんちゃら可笑しい、なんて具合です。
ともすれば、次作『蒲団』で中年男性の恋愛に焦点を当てたのは、「おっさんが少女の美しさを描くのは可笑しい」という世間の一般論に対するアンチテーゼだったのかもしれません。
結果的に中年男性の恋愛という斬新な切り口や、露骨な性の葛藤は文壇で評価されます。とは言え、世間的には彼の作品はあまり人気がなかったみたいですが・・・。
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