羽田圭介の『スクラップ・アンド・ビルド』は、第153回芥川賞受賞作品です。
又吉直樹の『火花』と同時受賞したことでも話題になりました。
日本の老人介護の実態に切り込む社会派小説でありながら、作者らしいユーモアが用いられているのが特徴です。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 羽田圭介 |
発表時期 | 2015年(平成27年) |
ジャンル | 中編小説 |
ページ数 | 150ページ |
テーマ | 日本の介護問題 保健システムへの疑問 尊厳死 |
受賞 | 第153回芥川賞 |
あらすじ
主人公の健斗は28歳の無職です。資格試験の勉強と採用面接の傍ら、彼は母と共に87歳の祖父の介護をしています。医学的には健康体ですが、精神的にも肉体的にも弱った祖父は、「早う死にたか」と毎日口癖のように呟きます。
過剰なヒューマニズムに疑問を抱く健斗は、老人の苦痛を長引かせるだけの日本の介護に反抗するようになります。つまり、祖父の尊厳死を実現させようと考えるのです。安楽死が違法で、自殺を手伝えば幇助罪になる日本で、尊厳死を叶える唯一の方法は、「足し算の介護」によって緩やかに弱らせることです。過剰に世話を焼くことで、肉体と脳の機能を低下させ、死に至らしめるわけです。
しかし、無職の青年の目には、「死への希望」と「生への執着」を同時に持つ祖父の姿が浮かび上がってくるのでした。
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個人的考察
ヒューマニズムと延命介護
自然の摂理に任せていればとっくに死んでいるであろう老人たちの姿しかない。苦しみに耐え抜いた先にも死しか待っていない人たちの切なる願いを健康な者たちは理解しようとせず、苦しくてもそれでも生き続けるほうがいいなどと、人生の先輩に対し紋切り型のセリフを言うしか能がない。
『スクラップ・アンド・ビルド/羽田圭介』
安楽死が違法で、自殺幇助罪が存在する日本では、延命措置や長生き介護が、ある種の正しさとしてまかり通っています。もちろん、本人の同意があったからといって、他人の生命を終わらせる行為は、必ず倫理的・宗教的な問題にぶち当たります。
一方で、老人介護に直面する家族が深刻な問題を抱えているのも事実です。介護関係の診療報酬が下げられた結果、薬漬けで患者を弱らせる病院への入院は難しく、本人や家族の意思とは裏腹に長生き介護がもたらされます。
長生きしてほしい、長生きさせるべきだ、というヒューマニズムは、果たして肉体的にも精神的にも苦しい老人本人を尊重する意見なのか。
こういった過剰なヒューマニズムに健斗は疑問を抱いています。毎日「死にたい」と呟く祖父と同居する彼は、介護を理由に資格勉強に集中できず、ストレスを溜め込んでいます。
何より、戦争を経験し、戦後の日本を果敢に生き抜いた祖父が衰弱する様を目にし、威厳を持ったまま死んでほしい、という願いが湧き起こります。その結果、尊厳死の実現を試みるようになるのです。
健斗の思想は極論かもしれません。しかし、彼の思想にははっとさせられる部分もあります。彼が言うように、長生きしてほしい、長生きさせるべき、というヒューマニズムは、ある意味で思考停止の表れなのだと思います。
祖父は子供たちの家を転々とし、最終的に健斗の家にやって来ました。そのたらい回しのような期間に、息子と衝突し絶縁さえ経験しています。そして最終的に子供たちは、祖父を施設に入れる相談を交わしています。自分が面倒を見るのは嫌だが、長生きはして欲しい、という魂胆なのです。そこには祖父を労わる気持ちはなく、とりあえず長生きさせる方向に賛同すれば、人道的に自分を正当化できるのです。まさに思考停止ですね。
こういった現状から、エゴイスティックなヒューマニズムではなく、いよいよ老人の生について、向き合う局面に差し掛かっていることを、健斗(作者)は訴えているのでしょう。
高齢化社会が加速する日本だからこそ、目を背けてはいけない問題なのです。
日本の保健システムの実態
介護問題を扱った小説を執筆する上で、主人公が無職という設定を用いたのが、この小説の肝だと思います。
無職になっても健斗の口座からは、国民健康保険と国民年金保険料が自動で引き落とされ、少なからずそれは彼の生活を圧迫していました。ところが、20代の年金納付率が五割に満たないこと、実質的に若者の納付が自分ではなく、老人を賄っていること、それらを知った健斗は年金の納付をやめます。老人や老人的なシステムを生かすだけの政治に不満を抱いたのです。
そもそも健斗は祖父の尊厳死を企てる身です。ヒューマニズムによって老人を長生きさせる仕組みに疑問を抱く健斗にとって、年金の未納は辻褄の合った行為だったのです。
あるいは保険料についても疑問が呈されます。
サロン代わりに通院している老人たちは一割から三割だけしか医療費を負担せず、残額を負担するために現役世代がおびただしい額の税金を徴収される。健斗自身の祖父も些細なことでしょっちゅう通院をせがみ、国庫や健斗たち世代の貯蓄を間接的に蝕んでいた。
『スクラップ・アンド・ビルド/羽田圭介』
老人たちは肉体的な健康よりも、老人同士のコミュニティや会話といった心の健康を目的に通院している側面があるようです。その結果、莫大な保険料を若い世代が肩代わりする羽目になっているのです。
そもそも保険は、自身のリスク回避のための制度です。それが上の世代の分を負担する構造になった時点で制度は破綻しています。
企業で勤める場合は、保険や年金が自動で給料から徴収されるため、なかなか実体に気づくことが困難です。健斗のように無職になって初めて、若い世代を逼迫する破綻した制度を痛感させられるのでしょう。
健斗が尊厳死をやめた理由
「死にたい」と口癖のように呟く祖父の気持ちを尊重し、尊厳死を企てる健斗。
しかし、目を離した隙に祖父が浴槽で溺れそうになり、慌てて健斗が助けた時に、祖父は「ありがとう」と口にします。その出来事をきっかけに、健斗は自分の考えを見つめ直すことになります。
ひたすら死にたがっているように見えた祖父は、実は「死への希望」と「生への執着」の両方を持っているのです。いくら苦痛を抱える老人でも、いざ死にそうになれば、生きたいと本能的に願ってしまう。それは矛盾のように見えて、筋の通った事実でしょう。
そして祖父の「死にたい」という呟きには、家族に対する求愛の意が込められていたのではないでしょうか。
祖父はすぐにワガママを口にします。しかし、肉体や脳の機能を弱らせないために、母は祖父の甘えを受け入れず、自分で行動させようとします。祖父は介護をめぐり息子と絶縁した経験があり、自分の甘えが家族の負担になることも理解しています。それでも祖父は家族に求愛せずにはいられません。しかし家族はその求愛を受け入れることが祖父を弱らせて死を早めると考えています。
このどうしても相容れない対立の中で、祖父は孤独を感じていたのではないでしょうか。「死にたい」という言葉には祖父の孤独が集約されているのだと思います。
祖父に必要だったのは尊厳死ではなく、家族の愛情。健斗は自分だけが祖父の意志を汲んでいると思っていましたが、実は重大な思い違いをしていたのです。それに気づいたから、健斗は尊厳死を断念したのでしょう。
しかし健斗が祖父に寄り添うことと、政治問題は別物です。若者に負担を強いることなく、家族が真から老人の生に向き合える社会システムを構築することが、今の日本の課題なのだと思います。それは夢想なのでしょうか。
タイトルに込められた再生の物語
作中では、介護問題とは別に、筋トレや戦争の話題が並走して描かれます。
介護を通して生への探求が増した健斗は、トレーニングを活発に行います。トレーニングで筋肉を破壊し、さらに強靭な肉体を手に入れようとしたのです。それはまさに「スクラップ・アンド・ビルド(破壊からの再生)」です。
あるいは戦争を経験し、戦後の日本を果敢に生き抜いた祖父は、一度破壊された日本を先進国にまで発展させた世代の一人です。それもまさに「スクラップ・アンド・ビルド(破壊からの再生)」です。
生きることにも、死ぬことにも振り切れず、苦しく暗い時代を闘い続けた先人たち。今でも祖父は、「死への希望」と「生への執着」の間で、どちらに振り切ることもできずに闘い続けています。
そんな祖父の血を引き継ぐ健斗は、無職からの再就職「スクラップ・アンド・ビルド(破壊からの再生)」によって、残酷な現代社会で闘い続けることを決意したのでしょう。
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