芥川龍之介の『地獄変』あらすじ考察 芸術家は家族の命すらも犠牲にする!?

地獄変 散文のわだち
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芥川龍之介の小説『地獄変』は、彼の中期の傑作と言われています。

「宇治拾遺物語」と「古今著聞集」から着想を得て、芥川龍之介が独自に創作した作品です。

「芸術至上主義」というキーワードに注目して考察していきます。

長編小説を苦手とする芥川龍之介が、まさに長編小説に対して葛藤していた時期の作品であるため、多少文量のある短編小説となっています。

芸術至上主義をテーマとする本作は、発表当初から高い評価を得たようです。そのため、芥川龍之介の中期の傑作と称されています。

芥川龍之介が本作で描いた、「芸術と道徳の矛盾」について焦点を当てながら、考察していこうと思います。

『地獄変』の作品概要

作者芥川龍之介
発表1918年(大正7年)
ジャンル短編小説
テーマ芸術至上主義
芸術と道徳の葛藤
 

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『地獄変』の300字あらすじ

あらすじ

良秀は優秀な絵師でした。しかし性格が意地悪で、創作のためなら道徳すら破るため、屋敷内では煙たがられています。そんな良秀も、一人娘のことは溺愛しています。娘は非常に気立ての良い女性です。例えば、屋敷内に猿がいました。その猿は「良秀」と名付けられ散々虐められていましたが、彼女だけは可愛がっていました。

良秀の才能をかった大殿様は、彼に「地獄変の屏風」を描くよう命じます。良秀は実際に見た物しか描けないので、創作にあたり、弟子を鎖で縛ったり、飼い慣らしたミミズクに弟子を襲わせたりして、地獄の様子を実演します。そのため多くの人が迷惑を被っていました。

屏風の肝となる「燃え上がる牛車の中で悶え苦しむ女」を描くにあたり、良秀は大殿様に実演をお願いします。すると大殿様は、罪人を乗せた牛舎を用意して火を付けます。しかし、実際に牛舎に乗せられていたのは、良秀の娘でした。良秀は恐れと悲しみと驚きが入り混じった表情で立ち尽くしていました。すると娘が可愛がっていた猿の良秀が炎の中に飛び込み一緒に燃え上がりました。気がつくと人間の良秀は、恍惚とした喜びの表情を浮かべていました。まるで娘の死などは関係なく、芸術家としての喜びを感じているようでした。

娘を焼き殺されても屏風を描き続ける良秀を、道徳的に非難する者もいました。しかし、実際に完成した屏風を目にすれば、その圧倒的な作品の素晴らしさに、誰しもが称賛せずにはいられないのでした。屏風を完成させた良秀は、首を吊って自殺します。良秀の死骸は彼の家の跡地に埋まっていますが、年月と共に苔むし、今では誰の墓なのかも分からないとのことです。




『地獄変』の個人的考察

個人的考察

芥川龍之介は長編が書けない作家でした。その葛藤が自殺の要因のひとつだとも言われています。

『鼻』や『羅生門』など、秀逸な短編作品でデビューし、一躍時の人となった芥川は、中期に差し掛かかると、長編の創作に注力します。そのため、本作は彼の中では比較的ページ数の多い作品となっています。

ちなみに「芸術至上主義」をテーマとする本作は、発表当初から高い評価を得たようです。そのため、芥川龍之介の中期の傑作と称されています。

大殿様の本性は極悪!?

本作『地獄変』は、いわゆる芸術家の葛藤がメインで描かれています。つまり、芸術作品を完成させるために、娘の死を受け入れる良秀の葛藤です。

一方で、大殿様の様子に幾度とのなく違和感を抱いた方も多いのではないでしょうか。

冒頭では、「器が大きく、気立てのいい性格」と記されています。しかし、地獄変の屏風の制作を良秀に命じたあたりから、不自然な様子が幾度となく描かれます。

燃え上がる牛車の実演を、良秀が依頼した時には、大殿様はけたたましい笑い声をあげました。

また、自分の娘が牛車に乗っていることを知り、地獄のような表情になる良秀を眺めながら、大殿様は気味の悪い笑顔を浮かべていました。

あるいは、良秀の表情が恍惚としたものに変わった途端、一人青ざめているのも大殿様でした。

このように至る所で、大殿様の不気味な心情が描かれています。これは確実に大殿様が何かを企んでいる証拠です。実際に、小説の語り手である「私」も、大殿様の恐ろしい企みに言及する場面があります。

「これは大方自分が考えていた目ろみの恐ろしさが、大殿様の御言葉につれてありありと目の前へ浮かんで来たからでございましょうか。私は一生の中に唯一度、この時だけは良秀が、気の毒な人間に思われました。」

『地獄変/芥川龍之介』

語り手である「私」が、大殿様の企みに気付き、良秀に同情している様子が描かれています。

しかし、大殿様が一体何を企んでいたのか、正直分かりづらいです。それは語り手の「私」にカラクリがあります。

つまり、物語を主観的に語っている「私」は、大殿様の側近であり、大殿様を敬っている立場の人間だということです。そのため、冒頭では散々大殿様のことを褒め称えますし、大殿様にとって都合が悪い出来事は濁す傾向があります。

まさに、作中に不自然な濁し方をする場面が1つありました。

屋敷内で良秀の娘が何者かに襲われたような場面が、唐突に描かれます。ところが、語り手の「私」は、娘を襲った犯人が誰なのかは濁してしまいます。

「性得愚かな私には、分かりすぎている程分かっている事の外は、生憎何一つ呑みこめません。・・・そうして私も自分ながら、何か見てはならないものを見たような、不安な心もちに脅かされて、誰にともなく恥ずかしい思いをしながら、そっと元来た方へ歩き出しました。」

『地獄変/芥川龍之介』

語り手の「私」は、娘に対して誰に襲われたのかを数回尋ねます。しかし娘は口を閉ざしています。それらの様子から、「私」は誰が犯人なのかを理解します。そして見てはいけないものを見た罪悪感にかられます。

要するに、尊敬する大殿様の仕業であるため、「私」は複雑な心境になり、わざと犯人の名を口にしなかったのです。

仮に大殿様以外の人間が娘を襲ったのだとすれば、わざわざ「私」がその名前を伏せて、有耶無耶にする必要はありませんよね。

それに本作の序盤には、「大殿様が良秀の娘に恋愛感情を持っているはずがない」と不自然に補足する場面があります。まさに「私」が大殿様をかばうか、あるいは信じたくない一心で綴られた注釈のように思われます。

このように、大殿様と良秀の娘との間には、恋愛感情のもつれがあったようです。そのタイミングで、女を乗せた牛車を燃やす実演を良秀が依頼してきます。良秀の依頼に対して不適な笑みを浮かべたのは、関係がこじれた娘を始末する絶好のチャンスだと思ったからでしょう。

つまり、良秀を凝らす目的で娘を牛車に乗せたという大殿様の主張は建前で、実際は自らの私利私欲のために、娘を焼き殺したということになります。

良秀は全て気づいていた!?

大殿様の企みにより、良秀は娘を失いました。それでも、彼は芸術家としての創作を最後まで果たします。

まさに本作のメインテーマ、「芸術」と「人間の道徳心」は両立できないという葛藤が描かれていました。

芸術を表現するためなら、良秀のように娘の命を犠牲にすることも惜しんではなりません。逆に、もし娘の命を惜しんだなら、地獄変の屏風を完成させることはできなかったでしょう。

ところで良秀は、自分の娘が牛車に乗せられることを事前に知っていた可能性があります。

物語の中盤あたりで、良秀と娘の不可思議な描写が綴られます。強情な性格の良秀が最近は涙もろくなったと語られます。人のいないところでこっそり泣いているようなのです。あれだけ強情だった良秀が感傷的になる原因、それは一人娘の存在が関係している意外には考えられません。

同時期に、「良秀の娘も気鬱になり涙を堪えているようだ」と記されています。おそらく娘が気鬱になった原因は、大殿様との関係にあるでしょう。実際に二人の間にどんなトラブルがあったのかは分かりませんが、少なからず良秀はそのことに気づいていたからこそ、こっそり泣いていたのだと考えられます。

良秀が絵を思うように描けなくなったくらいで泣くことはありえない」と文中に記されています。つまり、確実に娘の問題を知っての涙だったでしょう。

そして、燃え上がる牛車の再現を大殿様に依頼した時の場面でも、違和感が描かれています。大殿様が良秀の願いを受け入れ、不気味に笑う様子を前に、良秀は動揺していました。

「大殿様の御言葉を聞きますと、良秀は急に色を失って喘ぐように唯、唇ばかり動かしておりましたが、やがて身体中の筋が緩んだように、べたりと畳へ両手をつくと・・・・」

『地獄変/芥川龍之介』

娘と大殿様のトラブルを知っていた良秀は、この時点で牛車に娘が乗せられることを勘づいていたのではないでしょうか。無論、良秀は動揺していましたが、やがて畳に両手をついて、大殿様にお礼の言葉を告げます。

要するに、「娘の命」か「芸術」かという選択を強いられた良秀は、娘よりも芸術を優先したことが、既にこの時点で読み取れるのです。

良秀は、大殿様にハメられたのではなく、自ら芸術を優先したがために娘の命を失ったのでした。




猿の存在は何を表現していた?

物語の中で度々、猿の存在にスポットが当てられます。

その理由は、猿は良秀の化身的な役割を果たしているからです。

無意味に猿に「良秀」という名前を付けるわけがありません。そこには意図が存在します。

おそらく、人間の良秀は「芸術」、猿の良秀は「道徳」を表現しています。

人間の良秀は、地獄変の屏風を完成させるために娘の命を犠牲にします。道徳を捨て、芸術を選んだのです。

逆に猿の良秀は、肝心な場面で娘を救う役割を担っています。

娘が大殿様に襲われている場面では、猿の良秀が語り手の「私」にそれを知らせます。さらに、娘が逃れたことを確認した後に、猿は「私」に向かってお辞儀さえするのです。

また、娘が乗る牛車に火を付けられる場面でも、猿は炎の中に飛び込み、娘の肩を抱いたまま、一緒に死ぬことを選びます。

本来良秀の中に存在する道徳心を具現化したのが猿だったのでしょう。そのため、炎の中に飛び込む猿と、途中で立ち止まる良秀が対象的に描かれています。いずれの行動も良秀の中に存在する「芸術」と「道徳」によるものでした。相反する二つは、どちらか片方しか選べないため、良秀を人間と猿の二つの存在に分けて描いたのだと思われます。

とは言え、人間の良秀が選んだ芸術は、結果的に自分の身を滅ぼすことになりました。芸術のために命を燃やすとは、まさにこのことなのかもしれません。それは刹那的な美であり、芸術至上主義の運命なのでしょう。

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