宮沢賢治の『風の又三郎』あらすじ考察 見えなくなる、大人になる

風の又三郎 散文のわだち
スポンサーリンク

宮沢賢治の小説『風の又三郎』をご存知ですか?

1931年頃に執筆された短編小説です。宮沢賢治が死んだ翌年(1934年)に発表されたため、晩年の代表作になります。

本作は、初期に執筆した『風野又三郎』など、いくつかの自身の作品をコラージュしながら創作されています。いずれにしても、岩手・福島・新潟に伝わる風童神「風の三郎様」という土着の文化がテーマになっています。

ちなみに初期の『風野又三郎』では、又三郎は明確に風の精という設定です。風の精である又三郎が、嵐や台風を発生させた際の出来事を、村の子供たちに聞かせるスタイルで物語が展開します。

一方で、今回紹介する晩年の『風の又三郎』では、三郎が人間なのか妖精なのかは最後まで明かされません。不思議な存在として、子供たちの数日間に特別な経験をもたらします。

三郎と過ごした数日間で子供たちの心情にどのような変化があったのか、その辺りに注目しながら解説していこうと思います。

スポンサーリンク

『風の又三郎』の作品概要

作者宮沢賢治
発表1934年(昭和9年)
ジャンル 童話・短編小説
テーマ自然科学と子供の成長  

『風の又三郎』の300字あらすじ

谷川の小学校に、赤い髪の転校生がやってきました。彼の名前は高田三郎です。

田舎の子供たちは、都会から来た三郎の異質感に驚き、「風の又三郎(妖怪)」だと揶揄します。

子供たちは当初、三郎のことを不審がっていました。しかし、野遊びで時間を共有するうちに、皆徐々に三郎に惹かれていきます。

三郎と過ごす数日間に、子供たちは命拾いするような危険な出来事を何度か経験します。子供たちは三郎との危険な経験によって、成長のドアを開け、幼さを卒業していきます。

そして12日目の風が強い朝、三郎は挨拶もなく、既に引っ越していました。

『風の又三郎』のあらすじを詳しく

①赤髪の転校生

9月1日、夏休み明けの小学校に転校生がやって来ます。北海道の都会から引っ越して来た高田三郎です。

三郎は赤髪で、話し言葉標準語のため、田舎の子供たちは彼に異質感を抱きます。

一郎嘉助たちは、三郎のことを土着の風童神である「風の又三郎」だと言って揶揄します。彼らは内心は三郎に対して好奇心を抱いてはいますが、文化の違いからなかなか打ち解けることができません。

例えば、子供たちは先生とは朝の挨拶をしても、子供たち同士で挨拶をする習慣は備わっていません。そのため、三郎に挨拶をされても、子供たちは上手く返事ができず、微妙な雰囲気になってしまいます。あるいは、鉛筆を失くしたクラスメートに対して、三郎が自分の鉛筆を与える場面があります。そういった三郎の早熟な一面を目にした一郎は、言い表すことができない不思議な気持ちになります。

つまり、田舎の子供たちには、都会の成熟した転校生が、自分たちとは違う不思議な存在に写っているのです。その原因が成熟の差であることを知るには、子供たちは幼過ぎました。

②土手の外で死にかける嘉助

一郎や嘉助たちは、三郎を誘って野原に行きます。

途中、一郎の兄と遭遇し、土手の外に出ると迷子になるから絶対に出ないように忠告されます。

子供たちは土手の中で野遊びを始めます。牧場の馬を競争させて、友達同士で競い合います。すると1匹の馬が土手の外へ飛び出してしまいます。嘉助と三郎は必死に馬を追いかけます。

馬を追いかける途中で、嘉助は馬と三郎を見失い、迷子になってしまいます。途端に霧が立ち込め、空が暗くなり、天気が悪くなります。そのまま嘉助は昏倒してしまいます。

嘉助ははっきりしない意識の中で、三郎がガラスのマントと靴を履いて、空を飛ぶ姿を目にします。

しばらくして、嘉助は一郎の家族によって助け出されます。一郎のおじいさんが言うには、もう少しで嘉助は死ぬところだったようです。

帰り道に嘉助は、「三郎はやっぱり風の神の子だ」と一郎に話すのでした。

③葡萄を取りに行く子供たち

翌日、耕助が嘉助に葡萄を取りに行く誘いを持ちかけます。すると、嘉助は三郎も誘うよう提案します。

しかし、耕助は自分が見つけたスポットで三郎に葡萄を取られるのが気に食わないため、終始不満気な様子です。

葡萄藪へ向かう途中、三郎はたばこの葉を1枚むしります。すると、「専売局が葉を管理しているため叱られる」とみんなが口々に三郎をはやします。端から三郎が来ることに不満があった耕助は、誰よりもしつこく三郎を責めます。

さらに葡萄藪に到着しても、耕助は三郎に「あまり葡萄を取るな」と意地悪を言います。ふてくされた三郎は、「自分は栗を取るんだ」と強がります。

別の葡萄藪に移動する途中、耕助の上に雫が落ちて来ます。三郎が木の上に登って悪戯をしたようです。耕助が三郎を問い詰めると、三郎は「風が吹いたんだ」と言って笑っています。

この悪戯が数回繰り返された結果、耕助は遂に怒ってしまいます。

そして「風なんて世界に無くてもいい」と三郎を非難します。

三郎はなぜ風が無くてもいいのかを尋ねます。すると耕助は「傘をぶっ壊したり、木を折ったり・・・・」と悪い理由を述べます。しかし三郎が何度も繰り返し尋ねるため、ついに耕助は「風車もぶっ壊す」と言う理由を口にします。それを聞いた三郎は、「風車は風を迷惑に思っていない」と言って、腹を抱えて笑います。耕助も怒りを忘れて一緒に笑い出します。

帰り際に一郎は、葡萄を五ふさほど三郎にあげます。すると、三郎は栗をみんなに分け与えました。

そして、子供たちはそれぞれの家に帰っていくのでした。




④河原で危険を犯す子供たち

子供たちが川辺で遊んでいると、近くで大人たちが発破をしていました。いわゆる火薬を使って、魚を気絶させて捕まえる違法漁です。子供たちはこっそり下流で待ち構え、爆破と同時に流れて来た魚を横取りします。

横取りした魚を池洲に入れて、子供たちは木上りを始めました。すると、たばこの葉の専売局の男がやって来ます。

嘉助は「たばこの葉をちぎった三郎を捕まえに来たんだ」と仲間の注意を煽ります。すると一郎が、「みんなで三郎を囲め」と言って、三郎のことを守ろうとします。

結局、男は三郎を捕まえに来たわけでは無かったので、何事もなく澄みます。

翌日子供たちは、佐太郎が持って来た違法漁に使う山椒の粉で、川の魚を捕まえようとします。しかし、一向に上手くいかないため、子供たちは鬼ごっこを始めます。

三郎が鬼の番になると、みんなは三郎のことを茶化しました。三郎はムキになってみんなのことを捕まえようとします。終いには、泳いで逃げる嘉助を捕まえて引っ張り回すと、嘉助は水を飲んでしまいます。

嘉助は「こんな鬼ごっこ辞める」と言います。他のみんなも川から砂利に上ってしまいました。三郎だけが川に取り残されます。

急に黒い雲が現れ、夕立が降り、雷が鳴り、風も強くなりました。自分だけ川に取り残された三郎は、急に怖くなり、一目散にみんなのところまで走っていきます。三郎の体はガクガク震えていました。

⑤去っていった又三郎

三郎が転校して来て12日目の朝が来ます。

一郎は、三郎から聞かされた歌を夢の中で聞きます。やがて夢から覚めると、とても風が強く吹き荒れていました。

一郎はふと、又三郎が飛んでいったかもしれない、という不思議な考えを抱きます。一郎は思い立ったように嘉助を誘い、いつもより早めに登校します。

誰もいない教室に到着し、一郎と嘉助は水掃きを始めます。すると先生がやって来ます。

一郎が先生に、三郎が今日学校に来るかを尋ねます。すると先生は、三郎が既に引っ越した事実を2人に伝えます。父親の仕事の都合で、週末の間に街を出ていったのです。

嘉助は「やっぱりあいつは風の又三郎だったんだ」と納得します。

一郎と嘉助は、お互い相手が何を思っているのかを探るように見つめ合うのでした。

ここで物語は幕を閉じます。




『風の又三郎』の個人的考察

三郎は一体誰だったのか?

たった12日間だけ転校して来て、すぐに去っていった三郎でした。一体彼の存在は何を表現していたのでしょうか?

本作の基になった初期の作品『風野又三郎』では、又三郎は明確に風の精です。一方で、本作では都会からの転校生という人間的な設定が強いです。しかし、時々風の精のような一面を露呈するため、果たして三郎は人間なのか妖怪なのか、はっきり分かりません。

個人的な見解としては、転校生の「高田三郎」と、妖精である「風の又三郎」は別人だと思います。別人ではありますが、「転校生」と「風の精」という2つの存在が、共に子供たちの成長段階に影響を与えるため、同一視してしまうカラクリになっているのだと思います。

都会の転校生という異質な存在と接触することで、子供たちは成長します。そこに、「風の精」という不思議な存在を用いて、成長段階には見えたけど、成長すれば見えなくなる、という要素を加えることで、物語に幻想的な味付けしたのではないでしょうか。

転校生「三郎」が与えた影響

都会から来た転校生は、田舎の子供たちにとって異質でした。容姿も違えば、方言も習慣も異なります。そのため、子供たちは当初三郎の存在に困惑します。

異質なものが自分たちのコミュニティに入って来ることで、耕助のように敵意を剥き出しにする子供さえいました。

しかし、最終的には子供たちは三郎の存在を受け入れ、仲間と認識するようになります。

要するに、異質な存在を受け入れるという子供の成長を、転校生という設定を使って表現しているのでしょう。

都会から来た三郎は、田舎の子供たちよりも幾分か成熟しています。鉛筆を失くした佐太郎に対して、三郎は自分の鉛筆を与えます。それを見ていた一郎は言葉にできない気持ちになります。

一郎は三郎の行動によって、「自分が損をしてでも他人に与える」という人間的な優しさを学んだのです。

事実、葡萄狩りに行った帰り際に、一郎は自分の取った葡萄を三郎に分け与えます。

すると三郎も栗をみんなに分け与えます。このようにして、子供たちは互いに分かち合うことを学び、ひとつ成長したのです。

他にも、三郎が怒りではなく笑いによって喧嘩を治めることで、攻撃的だった耕助との関係性が良くなります。あるいは、嘉助自ら三郎を野遊びに誘おうと提案するようにもなります。専売局の人間が三郎を捕まえに来たと勘違いした時には、三郎のことを仲間で囲んで隠そうとします。

異質な存在を自分のたちの内側に入れて、尚且つ守ろうとする子供の成長が見られます。

このように、転校生という異質な存在を受け入れる段階で、子供は多くを学び、成熟していくことが、この物語のテーマなのだと思います。

「風の又三郎」が与えた影響

一方で、風の精の存在も子供たちに影響を与えます。実在するか分からない風の又三郎は、度々子供たちを危険な目に合わせます。

一度目は、嘉助が土手の外へ出て死にかける場面です。

嘉助が馬を追いかけて霧の中に迷い込んだ際に、急に天候が悪くなります。昏倒してしまった嘉助は危うく命を落とすところでした。

曖昧な意識の中で嘉助は、ガラスのマントと靴を身に付けた風の又三郎が空を飛んでいく姿を目にします。そして、気がつくと側には見失ったはずの馬がいました。

これらは全て、風の又三郎の仕業だと考えられます。

初期の『風野又三郎』では、悪戯で風を起こして迷惑をかけることもあるが、その申し訳なさから、お返しに別のものを運んであげるという場面が描かれています。

この特徴を踏まえると、風の又三郎は、嘉助を霧の中に迷い込ませて昏倒させたことを申し訳ないと思い、逃げた馬を連れ戻してくれたと考察できます。

ちなみに、命拾いの経験をした嘉助は、翌日の葡萄狩りには自主的に三郎を誘うようになりました。

あるいは、川遊びにおいても、鬼ごっこをしている途中に天気が悪くなります。子供たちは慌てて木の下に駆け込みます。成熟した三郎ですら身の危険を感じます。それまでに子供たちは、発破や山椒の粉などを使った違法漁に挑戦したり、かなり危険な遊び方をしていました。そのため、風の又三郎が自然の脅威を子供たちに経験させ、誤った遊び方をしないよう正してくれたのだと思います。川でスコールに遭遇したら、普通に死ぬ可能性がありますしね。

このように、風の又三郎が起こす自然のエネルギーによって、子供たちは危険を学び、あるいは友情を深めたり、相手を気遣う考えを培ったりします。

宮沢賢治の背景には自然科学と、独自の宇宙観が存在します。それらの観点から考えても、自然のエネルギーによって子供が成熟していくことが、この物語の重要なテーマだと思われます。

「転校生」と「自然」によって成長する子供たちの14日間が描かれていました。両方が相乗効果的に子供たちに作用しているため、「高田三郎」と「風の又三郎」の存在が重なり合い、物語が幻想的に感じられるのでしょう。

以上、宮沢賢治の『風の又三郎』のあらすじと考察の説明を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




コメント

タイトルとURLをコピーしました