谷崎潤一郎の『刺青』あらすじ考察 マゾヒズム-足フェチ変態ドMの美学-

刺青 散文のわだち
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谷崎潤一郎の小説『刺青』をご存知ですか?

1910年に発表された短編小説で、当時24歳だった作者の処女作になります。

谷崎潤一郎は耽美主義と呼ばれる、道徳功利性を排除して美を追求する作家でした。彼の作品の印象として、女性愛やマゾヒズムが想起されるのは、まさに生活の官能を芸術に昇華させる耽美派の作風のためです。

本作においても、女性の足や皮膚の美しさに溺れる男のフェティシズムが描かれています。刺青師である主人公の道徳を超越した性的倒錯を考察することで、ひいては作者の追求した美的感覚を紐解いていこうと思います。

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『刺青』の作品概要

作者谷崎潤一郎
発表時期1910年(明治43年)
ジャンル短編小説、耽美主義小説
テーマ女性愛、フェティシズム

『刺青』の300字あらすじ

美しい者が強者で、醜い者は弱者であった江戸時代の物語です。

清吉という、優れた刺青師がいました。かつて浮世絵師だった彼には、絵描きとしての自尊心があり、彼に刺青を彫って貰えるのは限られた人間だけでした。そして、清吉にはかねてより、美女の肌に刺青を彫りたいという願望がありました。

清吉は、自らの宿願に見合う美しい足の娘を発見し、彼女の背中に女郎蜘蛛の刺青を彫ります。己の魂を打ち込み、最上の美を背中に纏った娘に対して、「男は皆お前の肥やしになる」と清吉は告げます。その言葉通り、娘の態度はこれまでとは豹変し、「お前さんは真っ先に私の肥やしになったんだねえ」と口にするのでした。

『刺青』のあらすじを詳しく

①美しい者が強者だった時代

人々が「愚」という徳を持っていて、今のように争いがなかった穏やかな江戸時代の物語です。

いわゆる大衆文化の萌芽期であった当時は、芝居やら草双紙やらでも、美しい者が強者であり、醜い者が弱者という観念が一般的でした。暴力を伴わない競走だけが繰り広げられる非常にのんびりした時代だったのです。

それ故に、人々は美しさを追求し、自らの肌に刺青を入れることが一種の娯楽・文化になりつつありました。女も美しい刺青の男に惚れました。

このように町人から侍までもが刺青を体に入れ、お互いに意匠を誇り合っていたのです。

②清吉という刺青の名手

清吉という、若くして優れた刺青師がいました。他の有名な刺青師に劣らぬ名手とされ、それどころか世間で評される刺青の多くは彼が席巻しているほどです。

清吉が腕利きであるのは、かつて浮世絵師を職業にしていたからです。刺青師に堕落してからも、やはり絵描きとしての自尊心があるらしく、選ばれた人間だけが彼に刺青を彫ってもらえるのでした。

清吉には風変わりな嗜好がありました。なんでも、刺青の針の痛みに悶え苦しむ男たちの様子を見ることに、一種の快楽を感じているのです。男が痛がれば痛がるほど愉快になります。辛抱強い男には、脅し言葉を口にして冷笑することさえあります。

③清吉の宿願

サディズムは別として、清吉には兼ねてからの願望がありました。それは、光輝ある美女の肌に、自分の魂の刺青を彫り込むことです。ただし彼のこだわりは非常に強く、ただ美しい顔や肌であるだけでは満足しないのでした。

江戸の町で有名な美女たちも、どこか彼の理想とは異なり、何年間も虚しく理想に憧れるばかりでした。

ある時、料理屋の前に止まった籠の中に、真っ白な女の素足が見えました。その美しさは次のように表現されています。

その女の足は、彼に取っては貴き肉の宝玉であった。拇指から起って小指に終る繊細な五本の指の整い方、絵の具の海辺で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合い、珠のような踵のまる味、清冽な岩間の水が絶えず脚下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを蹈みつける足であった。

『刺青/谷崎潤一郎』

清吉は籠を必死に追いかけましたが、惜しくも美しい足の女性を見失ってしまったのでした。




④理想の女との再会

理想の足の女を見失ってから5年間、再び同じ女に遭遇することは一度もありませんでした。清吉の憧れは日毎に増し、もはや恋という感情に変わっていました。

ある春の日の朝、見慣れない娘が尋ねてきました。なんでも馴染みの芸者の使いで、羽織の裏地に絵模様を描いて欲しいとの依頼でした。娘の年頃は16歳くらいですが、不思議と何人もの男を弄んだような年増の印象を受けました。

清吉は彼女の顔を見るのは初めてですが、彼女の足には見覚えがありました。例の料理屋の前で見かけた、彼の理想の足だったのです。

用を終えて帰ろうとする娘の手を取り、見せたい物があると言って、清吉は彼女を2階の座敷に連れて行きます。

中国の王妃が、処刑される男たちを眺める絵を見せて、この絵にはお前の心が映っていると娘に告げます。青ざめて額をもたげる娘にお構いなく、これはお前の未来の姿だと言って、無理やり絵を見せようとします。

娘は、自分にはこの絵の女のような性分があると白状して、早く絵を引っ込めるように懇願するのでした。

⑤娘の背中に魂を彫り込む

恐怖に突っ伏して、帰してくださいと懇願する娘を清吉は無理やり引き止めました。

己がお前を立派な器量の女にしてやるから」と言った清喜は、懐に麻酔剤の瓶を忍ばせています。

刺青道具を手にした清吉は、しばらく娘の体をうっとりと眺めていました。清浄な人間の皮膚を自分の恋で彩ることに多幸感を抱いていたのです。

昼が過ぎ、夜になるまで、清吉は少しも休まずに娘の背中に魂の色を注ぎ込みました。彼女の背中に刻まれた女郎蜘蛛は、清吉の生命の全てをかけた最高傑作です。

全生命を注ぎ込んだ刺青が完成し、清吉の心は虚になっていました。

⑥男を肥料にする娘

己はお前をほんとうの美しい女にする為めに、刺青の中へ己の魂をうち込んだのだ、もう今からは日本国中に、お前に優る女は居ない。お前はもう今迄のような臆病な心は持っていないのだ。男と云う男は、皆なお前の肥料になるのだ。

『刺青/谷崎潤一郎』

麻酔が切れ知覚が戻り始めた娘は、背中の痛みに苦しみ始めます。

ところが彼女は、「美しくなれるのならどんなにでも辛抱する」と言って、色上げのための湯の痛みにも耐え切ります。

湯上りの娘は、これまでの臆病さを失って、まるで絵の王妃のような態度に豹変していました。

お前さんは真っ先に私の肥やしになったんだねえ」と娘は清吉に告げます。

帰る前にもう一度背中の刺青を見せて欲しいと、清吉が女に頼みます。彼女が黙って服を脱ぐと、朝日が女郎蜘蛛の刺青に差し込んで、女の背中が燦然と輝いていたのでした。

そして物語は幕を閉じます。




『刺青』の個人的考察

作者が異常な足フェチ!?

「自分の墓石を好きな女の脚の形にしてほしい」

谷崎潤一郎が生前に言い放った強烈な台詞です。マゾとフェチの文学で有名な変態作家の谷崎潤一郎ですが、彼は頭ひとつ抜けるほどの強烈な脚フェチだったようです。

例えば、晩年に発表された長編小説『瘋癲老人日記』では、老人が息子の嫁の足を舐めようとして叩かれて興奮するという描写が綴られています。年老いてもなお、谷崎潤一郎の強烈なフェティシズムは衰えることがなかったようです。

本作『刺青』においても、理想の女を、顔ではなく足で記憶するという描写がありました。しかも5年もの月日が経過しているにもかかわらず、足を見た途端ピンと閃くあたり、人並みはずれていますよね。

この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを蹈みつける足であった。」と綴られるように、単に足が好きなだけではなく、その美しい足に踏みつけられたい願望があったのですから、より変態的で、むしろ清々しいですね。

サディズムで導くマゾヒズム

谷崎潤一郎の耽美主義の文学は、やがて悪魔主義と呼ばれるようになります。いわゆる、悪女や痴女を崇拝し、彼女たちに支配されることに、一種の美的感覚、ないしは興奮を覚えるようなのです。

刺青師である清吉は、絵描きとしての自尊心が強く、芸術に対するこだわりを持っていました。ところがそれとは別に、刺青の針に悶え苦しむ男たちの姿に快楽を覚える、サディズムの持ち主でもありました。

彼のサディズムぶりは甚だしく、娘を無理やり書斎へ連れ出し、奇妙な絵を見せつけて、「己がお前を立派な器量の女にしてやるから」と口にするのですから、もはや変態を飛び越えて犯罪者です。16歳の娘にそんなことをしたら逮捕されます。まあ、ここが道徳功利性を排除した耽美主義の過激な美の追求なのかもしれませんが。

そうして清吉は、娘の背中に女郎蜘蛛の刺青を彫ります。「処刑される男を見つめる王妃」という奇妙な絵に描かれた、悪女の素質を女郎蜘蛛として表現したのでしょう。不思議なことに、背中に刺青を入れられた娘は、これまでの臆病な性格とは打って変わって、まさに王妃や女郎蜘蛛のような悪女に豹変してしまいました。

お前さんは真っ先に私の肥やしになったんだねえ

彼女が最後に口にした言葉です。つまり、清吉はサディズムによって嫌がる娘を悪女に仕立て上げ、やがて自らが彼女の肥料になるというマゾヒズムに身を投じたのです。自分を支配、征服、踏みつけてくれる悪女を自分で作り上げるという、マゾ自らが手掛ける調教の物語でもあったのです。

女郎蜘蛛によって娘から女へ

物語の中では、美しい者が強者である時代に、美を求めた結果として刺青が流行していました。現在でもお洒落の目的でワンポイントのタトゥーを入れる人は少なくないでしょう。

刺青は他の芸術作品とは異なり、人間の肉体に刻印し、消えることがなく、しかし人間の肉体故に死と共にこの世から消滅してしまいます。ともすれば芸術と言うよりは、一種の通過儀礼や観念の要素が強いように思われます。

例えば、民族的な文化としてタトゥーを神聖視する場合もあれば、ヤクザのように一種の通過儀礼として刺青を入れる場合もあります。あるいは、「弱い自分を変えたくて」みたいな理由でタトゥーを入れるあんちゃんもいるわけです。まさに、本作『刺青』の娘も、女郎蜘蛛の刺青を背中に入れるという通過儀礼によって、臆病な自分を克服し、悪女へと豹変しました。

入念深く小説を読めば、代名詞の変化による魔性化も見て取れます。刺青を入れる前の臆病な彼女を指す代名詞は「娘」でした。ところが背中に刺青を彫り始めると、「娘」ではなく「女」に変わります。

16歳の娘が、刺青という通過儀礼を経たことにより、男の魂を弄び肥料にする悪女へと生まれ変わったことを、代名詞の変化によっても表現していたようです。

そして、最後のページで見せられた背中の刺青の描写も印象的です。朝日が照らしていたのはあくまで刺青であり、そのことによって女の背中が輝いて見えた、という順序で描かれています。つまり繰り返しになるのですが、女郎蜘蛛の刺青が刻印されたことで、女は悪女に生まれ変われたのであり、刺青を通して初めて女の背中は欲情の輝きを放ったということでしょう。

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以上、谷崎潤一郎の『刺青』のあらすじ考察を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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