宮沢賢治『注文の多い料理店』あらすじ考察 学校では教わらない近代資本主義批判

注文の多い料理店 散文のわだち
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宮沢賢治の『注文の多い料理店』と言えば、生前に発表された唯一の童話集の表題作です。

当時はこの自費出版で発表された童話集は殆ど売れませんでしたが、今では小学校の教科書に掲載される普及の名作です。

しばしば自然界における殺傷の問題、命にまつわる倫理的な主題として教わることが多いですが、宮沢賢治には他の批判対象があったようです。そのあたりに注目しながら考察します。

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『注文の多い料理店』 作品概要

作者宮沢賢治
発表時期1924年(大正13年)
ジャンル短編小説、童話
テーマ近代資本主義の批判
命にまつわる倫理問題

『注文の多い料理店』 あらすじ

イギリス風の身なりの紳士2人が、山に狩猟にやって来ました。案内人が消え、猟犬も死んでしまい、道に迷った2人は、「西洋料理店 山猫軒」という建物を発見します。

どなたでもどうかお入りください。決してご遠慮はありません

店内に入った2人は、扉をくぐるごとに注文を強いられます。彼らは高貴な店の作法だと勘違いし、まんまと要求を受け入れます。

  • 髪をとかし、靴の泥を落とすこと
  • 帽子と外套と靴を脱ぐこと
  • 金属製のものを全て外すこと
  • 壺の中のクリームを身体に塗ること
  • 香水をふること

いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうか、体中に、壷の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。

『注文の多い料理店/宮沢賢治』

さすがの2人もこの注文には違和感を抱き、自分たちを料理の素材として下準備をしていたことに気づきます。扉の奥からは自分たちを食べようと企む山猫の声が消えてきます。恐怖のあまり2人の顔はくしゃくしゃになってしまいます。もう逃げられません。

そのとき、死んだはずの猟犬が現れ、先の扉に向かって突進し、山猫と格闘するような物音が聞こえます。そして気がつくと屋敷は跡形もなく消え、2人は寒風の中に立っていました。間も無く案内人が駆け付け、2人は無事に東京へと帰ることができました。

しかし、恐ろしさのあまりくしゃくしゃになった2人の顔は、どうやっても元に戻りませんでした。

『注文の多い料理店』 個人的考察

生前の唯一の童話集 ゴッホ状態!?

宮沢賢治と言えば、沢山の童話を生み出し、今もなお教科書に採用され、大人にも読み親しまれ、様々な文化作品のオマージュとして使用される、超国民的な作家という印象でしょう。

ところが、実際に賢治が生前に出版したのは、童話集『注文の多い料理店』と、詩集『春と修羅』のみです。

皆さんが思い浮かべる代表作『銀河鉄道の夜』も『風の又三郎』も『雨ニモマケズ』も、作者の死後に発表された作品なのです。いわば、死後にその才能を認められた、ゴッホと同じ末路を歩んだ芸術家だということです。

当時、岩手県の農学校で教員を務めていた宮沢賢治は、詩集『春と修羅』を自費出版で1000部刊行しました。しかし殆ど売れませんでした。ちなみに中原中也はこの詩集を買い集め、知人に配り歩いていたらしいです。賢治の死後にも、なぜ今まで彼の作品が読まれなかったのかを指摘する文章を残しています。

続いて、童話集『注文の多い料理店』も1000部刊行しますが、同様に殆ど売れず、そのうちの200部は賢治本人が買い取る羽目になったようです。

当時この童話集は「イーハトヴ童話集」と題して、12巻分刊行する予定でしたが、1巻目であまり売れずに、作品に対する評価も悪かったので、断念する形になりました。

少ないながらも雑誌や新聞に寄稿した童話が存在しますが、彼が生涯に得た原稿料は5円(今現在の2万円程度)だけだったようです。

死後にようやく、詩人である草野心平の尽力によって、未発表の原稿が次々に刊行され、世間的な周知も高まり、偉大な作家として認識されるに至ったわけです。

近代資本主義に対する警笛

命にまつわる倫理問題として認識されがちな『注文の多い料理店』ですが、実はこの作品には次のような注釈が記されています。

「糧に乏しい村のこどもらが都会文明と放恣な階級とに対する止むに止まれない反感です」

「貧しい農村」と「近代化される都会」の対立構造が存在し、宮沢賢治は農村の立場から階級の高い人間を批判していることが判ります。

2人の紳士はイギリス風の恰好でしたし、狩猟と言えば西洋の貴人の娯楽という印象があります。要するに、西洋の近代資本主義的なブルジョワ文化を取り上げ、痛烈に非難していたのだと思います。

2人の紳士は、猟犬が死んでもその損失のことばかりを考えていましたし、山猫軒の中では貴人と繋がれるかもしれないと嫌らしい期待をしていました。つまり資本主義における利益至上的な考えが2人に象徴されているのでしょう。利害に毒された人間を懲らしめる、という物語だったことが推測されます。

子供の頃は命の問題を考えるにピッタリな童話ですが、大人になれば当時の時代背景からもっと複雑な問題提起に気づかされるので、宮沢賢治の作品には驚かされます。

命に対する問題提起

ブルジョワ文化に対する批判が物語の主題であることは前述の通りですが、当然命に対する問題提起も含まれているでしょう。

宮沢賢治が菜食主義に傾倒していたのは有名な話ですが、彼は決して命を食すことを徹底的に否定していたわけではありません。

代表作『よだかの星』では、周囲に虐められた醜いよだかが、弟のカワセミに別れを告げる場面でこんな台詞を口にします。

そしてお前もね、どうしてもとらなければならない時のほかはいたずらにお魚を取ったりしないようにして呉れ。

『よだかの星/宮沢賢治』

生きる上で最低限必要な命に関しては認め、余計に殺す行為に宮沢賢治は警笛を鳴らしていたのでしょう。

『注文の多い料理店』の2人の紳士は、狩猟を娯楽として楽しんでおり、まさに余計に命を殺す行為を象徴しています。あるいは2人の紳士は猟犬が死んだことに対して、損害ばかりを気にしていました。自然の命を利害としか考えられなくなった我々の写し鏡です。

つまり、大量生産・大量消費の時代が到来し、利益ばかりを追求すれば、必要以上に命を殺すことになる命に勝手な価値を与えその価値を侮る、という事実を宮沢賢治は懸念していたのではないでしょうか。

くしゃくしゃになった顔

山猫軒で恐ろしい目にあった2人の紳士は、恐怖のあまり顔がくしゃくしゃになってしまいました。東京に帰ってお湯につけても決して治らなかった、という結末に宮沢賢治のシニカルな魅力が詰まっているように思います。

人間がいかに都合のいい生き物であるかを賢治は悟っていたのでしょう。つまり、年月が経てば人間は同じ過ちを繰り返す生き物ですから、あえて目に見える一生消えない刻印として「くしゃくしゃの顔」を与えたのだと思います。

2人の兵士は一生涯、鏡を見るたびにあの山猫軒での恐怖体験を思い出し、二度と山奥に立ち入る気にはならないでしょう。ともすれば「ブルジョワ文化による支配」「余計な命の殺傷」の抑制になるわけです。

あるいは、周囲の人間にとっても、「くしゃくしゃの顔」が一種の警告や教訓となり、2人のように同じ過ちを犯そうなどとは思わないことでしょう。

「くしゃくしゃの顔」とは、宮沢賢治の目に見える形での警告なのだと感じました。だとすれば、滑稽に見えていた二人の末路は、とてもシニカルで殆ど笑えませんね・・・。

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当ブログの筆者は長い間、アンチ電子書籍でした。

ところが電子書籍の魅力を知って以来、もう手放せない状況です。

「Kindle」の魅力については下の記事にて紹介していますので、アンチ電子書籍の人は騙されたと思って読んでみてください。

以上、宮沢賢治の『注文の多い料理店』のあらすじ考察を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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