村上春樹の短編小説『蛍』は、代表作『ノルウェイの森』の下書きにあたる作品です。4年の期間を経て長編化されました。
具体的には『ノルウェイの森』の第二章と第三章のベースになった物語です。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 村上春樹 |
発表時期 | 1983年(昭和58年) |
ジャンル | 短編小説 |
ページ数 | 44ページ |
テーマ | 原風景の懐古 喪失感 |
収録 | 『螢・納屋を焼く・その他の短編』 |
あらすじ
東京に進学した主人公は、病的に清潔好きな同居人と学生寮に住んでいます。
ある時、電車の中で知人の女性と偶然再会します。彼女は高校時代の親友の恋人であり、その親友は17歳の頃に自殺しました。親友が死んで以来、主人公はあらゆることを深く考えないように努力し、今まで彼女とも一切顔を合わすことはありませんでした。
彼女とは月に1度か2度会うようになります。例の同居人の話をしたり、何も話さなかったり、そんなふうに年月は巡ります。
20歳の誕生日を迎えた彼女は、精神的に危険な状態に陥っており、主人公が帰ろうとすると泣き出してしまいます。それが正解とも判らず、主人公は彼女とセックスをします。
それからしばらく、連絡が途絶えていた彼女から手紙が届きます。休学して京都の療養所に入る旨が書かれていました。
悲しみに暮れる主人公は、同居人から瓶に入った螢をもらいます。夕暮れ時に屋上から蛍を放した後も、主人公の中に小さな光が残っていました。手を伸ばしても、その光はいつも少し先にあるのでした。
『蛍』の登場人物は、『ノルウェイの森』では下記の通りになります。
『蛍』 | 『ノルウェイの森』 |
主人公 | ワタナベ |
自殺した彼 | キズキ |
彼の恋人 | 直子 |
同居人 | 突撃隊 |
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個人的考察
『ノルウェイの森』との相違点
前述の通り、『蛍』は『ノルウェイの森』の下書き的な短編であり、厳密には第2章と第3章の部分を切り取った物語になります。大学時代に直子と再会してから、彼女が京都の山奥の施設に入ってしまうまでの展開です。
総じて言うと、『蛍』の場合は、主人公の喪失感とそれを象徴する心象部分が強調的に描かれている印象です。『ノルウェイの森』の場合は長編としての展開のために、第2章と第3章がフラットな目線で描かれているように感じます。
例えば、主人公が彼女とセックスをした後に、どうして自殺した彼とは行為をしなかったのかを尋ねる場面が多少異なります。
『ノルウェイの森』の場合は、主人公の質問に対して、直子は再び泣き出し、後に不感症にまつわる問題へと繋がっていきます。キズキとは一度も濡れたことがなかったのです。ところが『蛍』の場合は、主人公の質問に一切リアクションがなく、そのまま音信不通になってしまいます。不条理な喪失感が増すように感じます。
このように、後に続くものがない分、彼女の問題が殆ど判らないまま、主人公は大きな喪失感を抱くことになります。
『ノルウェイの森』を読んだ人は、直子が抱えていた精神的な問題をご存知だと思いますが、『蛍』においてはその真相が明確には語られません。つまり、恋人の自殺がいかに彼女の精神に影響を与えていたかは、短編ではあまり焦点が当てられないということです。
直子から送られてきた手紙にも相違点があります。『ノルウェイの森』の場合は、会える準備ができたら改めて手紙を送る、というこの先の展開を示唆するような文章で締め括られています。一方で『蛍』の場合は、「この不確実な世界のどこかで会うことができたら」というある種観念的な表現になっており、もう二度と会えないのかもしれない、という寂寞の印象を残して文章が締めくくられます。
次に描かれる蛍の場面がより叙情的であることからも、主人公の喪失感や追いつけない感覚が強調されているように感じられます。
同居人が主役である
『ノルウェイの森』では同居人は「突撃隊」という愛称で呼ばれますが、物語の途中で完全に姿を消し、その後回想されることもありません。いわば、それほど重要ではない、憂さ晴らしの対象程度の人物になっているわけです。
ところが『蛍』においては、同居人との出会いに始まり、彼に貰った蛍による心象描写によって幕を閉じます。つまり、主人公と彼女の交流よりも、むしろ主人公と同居人の交流の方に物語の焦点が当てられているということです。
本作の主題は、一言で表せば「喪失」でしょう。親友を失った過去、あらゆる問題を深く考えないように試みた結果の社会との接続の喪失、そして最後には彼女さえも失いました。
主人公は失う恐怖を知っているからこそ、わざと周囲の物事と距離をとって自己防衛していたのでしょう。ところが、同居人が熱を出した時には彼女との約束よりも看病を優先します。主人公の中で同居人が何故か無視できない特別な存在であったように思います。目的を持たずに生きる自分とは対照的に、目的のために熱心に勉強する同居人に、ある種の幻影を見出していたのではないでしょうか。
つまり主人公にとって、同居人とは自分が既に失ったしまった対象物の象徴であり、心のどこかでは取り戻したいと思っている在りし日の自己であると推測できます。
親友が自殺して以来、物事に夢中になれない自分を内心では嫌悪していたのではないでしょうか。だからこそ同居人の存在がいちいち目についたのかもしれません。彼女との約束をすっぽかしてでも看病するくらい、彼を蔑ろにできなかったのは、ある種の喪失感に対する反抗のように感じられます。
「蛍」が象徴するもの
看病のお返しとして、同居人は瓶に入った蛍をくれます。自分のせいでデートをすっぽかす羽目になったことを知っており、女の子へのプレゼント用として送ってくれたのです。
蛍の光に対して、かつてはもっと明るく見えていた気がする、という印象を主人公は語ります。ところがすぐに、ただの記憶違いで実際はこれくらいの小さな光なのかもしれない、と自分の認識を訝ります。
蛍は喪失感の象徴であり、時と共に対象を捉えることさえ難しくなっていることが判ります。かつてはもっと鮮明に見えていたものが、だんだんぼやけてしまって、二度と追いつけない距離へ遠のいていく、そういう心象的な部分を表現しているのでしょう。歳を重ねるたびに17歳のままの死者と距離が広がっている、という主人公の喪失感と重なる部分があると思います。
親友の自殺の原因、彼女とのセックスの正当性、何もかもが判らないまま失われていく事実に対して、いくら手を伸ばしても後少しのところで届かないという、どうしても埋められない空白を主人公は抱えているのだと思います。
1960年代の原風景
『ノルウェイの森』にも共通して言えることだと思いますが、作品に描かれる喪失感の根元には、1960年代の近代化における原風景の喪失という問題が関係しているように思います。
屋上から放った蛍のか弱い光とは対照的に、新宿と池袋の街の光が描かれていました。蛍の光は、都市開発された近代化の光に掻き消されていたのです。ともすれば、主人公がこれまでに喪失してきたものは、近代化がもたらす弊害によって損なわれたと解釈することができます。
前日までビリヤードをしていた親友が突然自殺したり、彼女(直子)が精神的な問題を患ったり、あるいは『ノルウェイの森』では同居人は何の音沙汰もなく大学を辞めてしまいます。
急速に発展する時代の過渡期には相応の犠牲者が出るように、消えていった彼らは近代化の中で失われた主人公にとっての原風景だったのでしょう。いくら手を伸ばしても二度と取り戻すことのできないノスタルジックな幻影を、主人公は追い求めていのかもしれません。
それが蛍の小さな光に象徴されていたのでしょう。
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