有島武郎の『小さき者へ』あらすじ考察 親が子に与える無償の愛とは

小さき者へ 散文のわだち
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有島武郎の小説『小さき者へ』は、妻を亡くした有島本人が、子に向けて書いた作品です。

当時の様子が私小説的に書かれているので、有島武郎の博愛的な精神と、彼の行末を案じる陰りに注目しながら考察していこうと思います。

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『小さき者へ』作品概要

作者有島武郎
発表時期1918年(大正7年)
ジャンル短編小説、私小説、随筆
テーマ子に向けた無償の愛
キリスト教人道主義

有島武郎は大正時代の文豪で、当時は芥川龍之介を凌ぐほどの人気があったと言われています。キリスト教信者である彼の作品には博愛・人道的な精神が描かれており、女性からの支持が強かったようです。代表作『或る女』では、大正時代の新しい道徳の中で、自由な恋愛感を持つ女性を描いたために、大衆的な女性の心を掴んだのでしょう。

ただし彼の生涯は最愛の妻を亡くしたことで、大きく傾いてしまいます。詳しくは下記にてエピソード形式で紹介しています。

『小さき者へ』の簡単なあらすじ

昨年に妻を失った主人公(有島)は、子供にとって最も大事な養分である母親が失われたことを哀れんでいます。幼くして母親を失うとは回復の道がない不幸だと言うのです。3人ともが愛されて生まれたという事実も子供に伝えようとしています。

3人の子が生まれた当時の主人公は様々な問題を内に抱えており、ある時には結婚を後悔する瞬間すらありました。その天罰でしょうか、妻は結核という不治の病を患い、入院することになりました。以来、主人公は仕事と子育ての両方を独りで担い、心身ともに疲労していきます。

自身が結核であることを知らされていない妻でしたが、当然病状を打ち明けなければいけない悲劇の瞬間が訪れます。妻は自分が結核である事実を知ると、真っ青な顔で覚悟するような様子を見せました。

再び入院することになった妻はその場に泣き崩れてしまいます。母親が流した涙は子供たちにとっての尊い所有物なのだと綴られています。妻が入院してから息を引き取るまで、子供たちは母親と顔を合わすことが許されませんでしたし、 葬儀の参列さえ認められませんでした。結核を移すことを恐れたばかりではなく、幼児にとって自分の死は有害であるとすら考えていたのです。母親は子供たちの魂に傷を付けたくなかったのでした。

世の中がなんと言おうと、母親の死を悲しむ気持ちを決して恥じてはいけないと主人公は子供たちに向けて強く明言します。そして子供たちを永遠に愛する親の気持ちは、報酬を受けるためではなく感謝を受け取って貰いたい一心なのだと訴えます。最後に主人公は、父親を救うのではなく父親を食い尽くして力強く人生に乗り出していけと、子供たちの将来を強く鼓舞するのでした。

前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ。

『小さき者へ/有島武郎』




『小さき者へ』個人的考察

主人公が抱えた様々な問題

作中では、子供の誕生に涙を流したものの、その後結婚を後悔する瞬間もあったと正直に綴られています。主人公はその当時に多くの問題を内に抱えていたために、そのような厭世的な考えに陥ったようでした。

これは実際に作者の有島武郎が当時抱えていた問題を示唆しているのでしょう。

有島武郎はある程度格式のある武家の子孫で、生家が地主という、いわゆる大金持ちのお坊ちゃんだったわけです。おまけに超エリートで、海外留学なども経験し、誰もが羨む大金持ちの天才でした。

ところが大正時代に移り変わり、西洋の文化や民主主義の潮流が入ってきた大正デモクラシーの影響で、有島は支配層である自身の生い立ちに違和感を抱くようになります。ひいてはソ連による社会主義国家の成立からプロレタリア文学の流行に発展し、労働者による地主批判は加速していきます。(これらは最終的に有島を破滅へ導きます)おそらくこういった風潮に対して、有島武郎は生涯後ろめたさを感じていたのでしょう。彼はキリスト教に没頭し、博愛と平等の精神を尊重していました。ところが自分の生家は格差の根源である大地主という、思想と現実とのギャップが当時の彼を悩ませていたのだと思われます。

さらには本作では何度も、子供が大きくなった頃に自分が生きているかは判らないという文章が強調されています。結核が流行していた時代背景も当然ありますが、時代の過渡期に際して、自分の行末が不透明であることを暗示しているように思われます。事実、妻の死後に彼の思想は破滅へと向かい、最終的には不倫相手と情死を図り、当人とも見分けがつかない腐乱死体で発見されました。

子供に向けた本当のメッセージ

幼くして母親を失った子供を哀れみ、自分たちの愛情を手記によって子供に伝えようとしていることはひと目で理解できます。ところが非常に重要なのは、父親である自分を踏台にして先へ進め、というような表現が幾度となく綴られることでしょう。

恐らく私が今ここで、過ぎ去ろうとする時代を嗤い憐んでいるように、お前たちも私の古臭い心持ちを嗤い憐むのかも知れない。私はお前たちの為にそうあらんことを祈っている。

『小さき者へ/有島武郎』

いずれ古臭くなる自分の思想を嘲笑して、子供たちには先へ進んで欲しい、という解釈になります。これはまさに先ほど解説した、「大正デモクラシー」なる影響で自分が葛藤した問題が関連しているのだと思われます。

つまり、自分が経験した明治から大正にかけての価値観の変化と同様に、この先大正の価値観が次の時代の価値観に変化することを予測し、子供たちには過去の道徳に囚われずに先に進む重要性を訴えていたのでしょう。自分が地主である生家という足枷によって苦悩した経験があるからこそ、子供には親の存在が足枷になって欲しくないので、自分を踏台にしろと伝えたのだと思います。

実際に有島武郎は新しい時代の価値観に傾倒した立場だったので、生家の所有する土地を勝手に開放して、親族と軋轢が生じたようです。子供にも同じように自分自身の自由な価値観を優先して欲しいと思っていたのでしょう。

小さなことが小さなことでない。大きなことが大きなことでない。

この言葉が象徴するように、自分がどうであるかという視点に重きを置いた有島武郎の人生哲学が伝わって来ます。




両親の無償の愛とは

私はお前たちを愛した。そして永遠に愛する。それはお前たちから親としての報酬を受けるためにいうのではない。

『小さき者へ/有島武郎』

札幌農学校に進学した10代の有島武郎は、クラスメイトにキリスト教徒がいたことで、自身もキリスト教に没頭した果てに入信します。そのため、彼の作品にはキリスト教の人道的な観点が主題として描かれることが多いのですが、本作『小さき者へ』でも、親が子を思う気持ちに報酬など求めていないという無償の愛、キリスト教的なアプローチが記されていました。

無償の愛が結果的に子を護ることになるのだと綴り、母を亡くし自分もいずれいなくなるかもしれない子供たちの不幸な未来に、ある種の信仰的な救いを求めていたのでしょう。

あるいは、父が始終子供を不幸だと指摘するのは、もちろん母親が不在であることが原因ですが、結核である母親が絶対に子供と会わなかったことや、葬儀にさえ参列させなかったことも含んでいると思われます。それらの事実はいずれ子供たちが大きくなった時に、怒りや悲しみを招くでしょう。ただし、決して両親の利己的な考えで実行したのではなく、子供を1番に考えた結果、子供の魂に傷を付けたくないと想った結果であることを理解して欲しかったのでしょう。無償の愛によって子供たちを想っていた故の行為なので、どうか父や母を恨まないで欲しいという弁明の意も含まれていたのだと思われます。

何より、二度と子と会えない運命に泣き崩れた母親の姿がありました。有島が、 「母親が流した涙は子供たちにとっての尊い所有物なのだ 」と綴ったのは、母親が自身の残酷な境遇を受け入れてでも子供を優先して考えた無償の愛が、子供にとって決して忘れてはいけない尊い所有物であることを示唆していたのでしょう。

有島武郎の奇想天外なエピソードは次の記事で紹介していますので、是非併せてご覧ください。

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以上、有島武郎の『小さき者へ』のあらすじ考察を終了します。

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