川端康成『古都』あらすじ解説|生き別れになった双子の物語

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散文のわだち

川端康成の小説『古都』は、失われゆく京都の魅力を描いた代表作である。

京都を舞台に生き別れになった双子の数奇な運命が語られる。

特に海外からの評価が高く、ノーベル文学賞の対象作にもなった。

本記事ではあらすじを紹介した上で、物語を考察していく。

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作品概要

作者川端康成(72歳没)
発表時期  1962年(昭和37年)  
ジャンル長編小説
ページ数221ページ
受賞ノーベル文学賞

あらすじ

あらすじ

京都の呉服問屋の娘・千重子には、自分が捨て子だという悩みがある。20年前に祇園の夜桜の下に置かれていた赤子を両親がさらってきたと聞かされていたのだ。

5月のある日、千重子は友達と北山杉を見に行く。そこで友達は千重子そっくりな娘を発見する。しばらく経った祇園祭の日、千重子はついに、その自分そっくりな苗子という娘と対面する。苗子は北山杉の村娘で、生き別れになった双子の姉妹だった。

四条大橋のたもとで、西陣織屋の息子・秀男が、千重子と間違えて苗子に声をかける。それをきっかけに秀男は苗子に惹かれ、結婚を申し込む。千重子は賛成だったが、苗子は断るつもりだった。秀男が自分ではなく千重子の幻を愛していることを知っており、それに結婚によって自分の存在が公になれば、千重子に迷惑がかかると考えていたのだ。

千重子の両親は苗子を家に引き取ってもいいと言う。そして冬の夜、苗子は一晩だけ千重子の家に泊まりに来る。しかし苗子は身分も教養も違う2人の身を思い、雪の朝早く、北山杉へ帰っていくのだった・・・

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個人的考察

個人的考察-(2)

失われゆく京都の美

『古都』は1961年から1962年にかけて、朝日新聞に連載された小説である。

連載にあたり川端は次のように言及している。

『古都』とは、もちろん、京都です。ここしばらく私は日本の〈ふるさと〉を訪ねるような小説を書いてみたいと思っています。

京都の名所に訪れることはあっても、内部の生活を何も知らないということで、川端は京都の下鴨に邸宅を借りて執筆に臨んだ。

執筆の動機については、文化勲章の記者会見で次のように語っている。

古い都の中でも次第になくなってゆくもの、それを書いておきたいのです。

文化勲章の記者会見にて

『古都』が執筆された1960年代は、日本が急速に近代化を推し進めた時期である。

川端は京都の町を歩きながら、山が見えないことを嘆いた。自然や町づくりの美を踏み潰す景観破壊を危惧し、失われゆく京都の魅力を小説にとどめようと考えた。高度経済成長期の猛威に対する抵抗の書とも言える。

作中では各地の風景、四季折々の自然美、祇園祭をはじめとする年中行事が描かれ、小説的な面白さに加え、風土記としての魅力もある。

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睡眠薬を常用して執筆

川端康成が睡眠薬を常用していたのは有名だ。

『古都』執筆当時は特に過剰に摂取し、酩酊状態で書いたため記憶が無いという。

「古都」執筆期間のいろんなことの記憶は多く失われていて、不気味なほどであった。「古都」になにを書いたかもよくはおぼえていなくて、たしかには思い出せなかった。私は毎日「古都」を書き出す前にも、書いているあいだにも、眠り薬を用いた。眠り薬に酔って、うつつないありさまで書いた。眠り薬が書かせたようなものであったろうか。「古都」を「私の異常な所産」と言うわけである。

『古都-あとがき-』

歴史上、ドラッグの産物として誕生した芸術作品は多く存在するが、『古都』も例に漏れず睡眠薬の産物というわけだ。

川端は定まった構想がないまま『古都』の執筆を開始した。漠然と恋物語を想定していたようだが、睡眠薬に酔って完成したのは、意外にも双子の物語だったようだ。

他にも川端文学には、睡眠薬の影響を感じさせる作品がある。

例えば『眠れる美女』は、「秘密くらぶ」の会員となった老人が、意識なく眠らされた裸の若い娘と、添い寝をして過ごす物語である。その前衛的な内容は、デカダンス文学の名作とされている。

ちなみに『古都』連載終了を機に、川端は長年常用していた睡眠薬をやめようとして、禁断症状で入院することになった。

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四季を通して描かれる物語

『古都』の物語は、春に始まり、冬に終わる。

四季を通して、平安神宮の桜、夏の祇園祭、秋の時代祭、年末年始の事始めなど、京都の年中行事が多く登場する。そして季節の移ろいに伴う自然美がふんだんに描写される。

また物語の中心となる双子の姉妹の運命も、四季の移ろいに合わせて展開していく。

■春(運命の予感)

ある春の日、千重子は庭のもみじの幹に、二株のすみれが上下に1尺ほど離れて咲いていることに気づく。この離れて咲く二株のすみれが互いに知り合い、出会うことはあるのか、と考えて千重子は感傷的な気分になる。

言うまでもなく、この二株すみれは、生き別れになった双子を暗示しているのだ。そして春の終わり頃、友達と北山杉を見に行き、自分と瓜二つの娘が存在することを友達に知らされる。

多くの予感をはらんだ季節として、春が象徴的に用いられているのだ。

さらに言えば、千重子が捨てられたのは祇園の夜桜の下である。双子の運命そのものも、春という季節が発端になっているのだ。

■夏(出会い)

そして春の日の予感は、夏に実を結ぶ。

祇園祭の夜、例の瓜二つの娘と対面し、自分達が生き別れの双子であることを知る。

同時に夏は夕立の季節、二人が改めて北山杉で再会した日、豪雨と雷に襲われる。それは双子の運命を分断するかのような雷鳴だった。千重子は呉服屋の養父母に愛されて育った裕福な娘である。一方の苗子は北山杉に奉公する貧しい村娘で、とおに両親とは死別している。

実の姉妹でありながら、運命の悪戯か、二人には圧倒的な身分の違いが生じていたのだ。

■秋(心情の変化)

秋は思慮深い季節、様々な心情の変化が映し出される。

身分の違う双子は、会う折には人目を避けねばならなかった。それは苗子の慎み深い性格のためである。千重子の方は、双子の事実を両親に伝え、苗子を家に招こうと考えている。ところが苗子は断固それを拒否する。自分のように身分の低い人間が訪ね、世間に双子の事実がバレれば、千重子の世間体を悪くし、不幸にしてしまうと考えているのだ。

さらに結婚の問題ものしかかる。西陣織屋の息子・秀男が、苗子に結婚を申し入れるのだ。

秀男は元より千重子に好意を抱いていたが、瓜二つな双子の存在を知り、苗子に惹かれる。ゆえに苗子は、秀男が自分ではなく千重子の幻を愛していることに気づいている。それに秀男と結婚すれば、やはり自分と千重子の関係が世間にバレてしまう。その慎み深い性格から、苗子は結婚を断るつもりだった。

■冬(別れ)

そして冬は別れの季節である。

一晩限りの約束で、苗子は千重子の家を訪ね、同じ布団で幸福な一夜を過ごす。ずっと一緒にいて欲しいと千重子は懇願する。呉服屋の養父母も、苗子を引き取ることに賛成だった。だが苗子は、身分も教養も違う2人の身を案じ、雪の朝早く、人目に付かぬよう北山杉へ帰っていくのだった。

遠い春の日、庭のもみじの幹には、二株のすみれが、上下に1尺ほど離れて咲いていた。二つの花は確かに互いに知り合い、出会うことが叶ったようだ。いずれ春が来れば、また同じように、二株のすみれが花を咲かすだろう。しかし二つの間に生じた1尺ほどの距離は、永久に埋まらないようだ。

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北山杉と双子の生命力

京都の名産品に、北山杉の丸太がある。室町時代から茶室建築などに使われる伝統品だ。

北山杉は垂直に成長させるため、人の手で特殊なしつけが施されている。杉山自体が人工的な細工品なのだ。そして生き別れの双子・苗子は、北山杉で丸太造りをする村娘である。

そんな苗子は、人工的な細工品である北山杉について、否定的な想いを暴露する。

(北山杉は)もう、切られて、柱なんかにされてしまうのどす。そのままにしといたら、千年も、太って、のびるのやおへんやろか。(中略)うちは、原生林の方が好きどす。この村は、まあ、切り花をつくってるようなもんどっしゃろ。

『古都/川端康成』

この世に、人間というものがなかったら、京都の町なんかもあらへんし、自然の林か、雑草の原どしたやろ。このへんかて、鹿やいのししなんかの、領分やったんとちがいますか。人間て、なんでこの世に出来ましたんやろ。おそろしおすな、人間て・・・・ 

『古都/川端康成』

自然の生命は、人間の手で矯正され消耗されることを、苗子は訴えているのだ。しかしこれは単に自然のあり様を嘆いている訳ではない。人間の生命もまた、人間の手で矯正される。

千重子の養父は、人間の娘を北山杉に喩えて、こう言及する。

北山杉みたいな子は、そらもう可愛いけど、いやへんし、いたとしたら、なんかの時に、えらいめにあわされるんとちがうやろか。木かて、まがっても、くねっても、大きくなったらええと、お父さんは思うけど・・・・。

『古都/川端康成』

これは養母が千重子の真っ直ぐさを北山杉に喩え、それに対して千重子が、自分の魂は曲がりくねっている、と反駁する場面での、養父の慰みの言葉である。

捨て子である千重子は、養父母に愛され、大事に育てられた。家が由緒ある呉服屋なので、着物にこだわり、四季折々に合わせた柄で着飾る場面が描かれる。そういう意味では、千重子は北山杉のように、人間の手で丁寧に躾けられた存在である。むしろ平均以上に、真っ直ぐ綺麗に細工された、裕福な家の娘だ。

それなのに彼女は、そこはかとない孤独を抱えており、自分の魂が曲がりくねっていると感じている。それは捨て子という事実が関係しているだろう。本来なら彼女は、苗子と同じ、曲がりくねった人生を送るはずだった。

苗子はとおに両親を亡くし、北山杉に奉公する貧しい村娘である。千重子にとっての養父母のような、愛情をくれる存在が皆無で、独りで生きねばならない孤独を抱えている。いわば苗子は、人の手で躾けられた北山杉ではなく、人の手が加えられない原生林なのだ。

しかし原生林だからこそ、苗子は独りで生きていく強い生命力を持っている。北山杉は数十年で切り落とされるが、原生林は千年だって成長する。それは養父が言及した「まがっても、くねっても、大きくなる」生命力である。

千重子も双子である以上、根底には原生林の生命力を培っている。その証拠に、雇いの番頭が呉服屋で幅を利かせ、店を乗っ取る噂が立っている場面で、千重子は養父母に代わって強く居直ることができた。彼女は養父母とは違い、人生を切り開く力を持っている。それは彼女の体内に、養父母の血(北山杉)ではなく、捨て子(原生林)の血が流れているからだ。

千重子と苗子は、社会的な身分においては、北山杉と原生林ほどの違いがある。しかし双子である以上、根底には同じ原生林の生命力を共有している。その力強い二人の生き様が、京都の自然と重ね合わせて描かれているのだ。

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交わらない二人の幸福

庭のもみじの幹には、生き別れの双子を象徴するように、二株のすみれが生えていた。

双子が知り合う以前の春、すみれは花を咲かしていた。ところが二人が対面した夏、花はなくなっている。双子の間に秀男が介入にし、結婚の問題が持ち上がった秋には、すみれの葉は薄黄ばんでいた。双子の関係が深まるごとに、すみれの生命は衰退していくのだ。

これは決して交わることのない双子の運命を表している。

千重子にとっての幸福は、苗子と共に生きることである。苗子を養父母に引き取ってもらい、元の姉妹の形に戻ることを望んでいる。苗子にとってもそれが幸福だと考えている。そう考えられるのは、千重子が愛情深い養父母を持つ、恵まれた境遇だからだ。

一方で苗子にとっての幸福は、姉の千重子が幸福になることである。彼女はひたむきに千重子の幸福だけを望んでいる。仮にも身分の違う自分が姉妹の形に戻るなら、千重子の幸福を傷つけてしまうと考えている。貧しい身分の捨て子である事実が露わになり、千重子の世間体が悪くなる可能性を恐れているのだ。

こんな風に、お互いがお互いの幸福を望んでいるのに、その想いは決して重なり合わない。

同じ寝床で過ごした翌朝、苗子は人目に付かぬよう雪の中を帰っていく。千重子からコートと傘と高下駄を勧められるが、苗子は断る。借り物をしないこと、それは2度と千重子と会わない決心の表れだろう。千重子の幸福を願うゆえの、悲しい決心である。

ひたむきに姉の幸福だけを願う苗子の、真っ直ぐな愛情と、慎み深さが、悲しくて美しい。

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映画『伊豆の踊子』おすすめ

川端康成の代表作『伊豆の踊子』は、6回も映画化され、吉永小百合や山口百恵など、名だたるキャストがヒロインを務めてきた。

その中でも吉永小百合が主演を務めた1963年の映画は人気が高い。

撮影現場を訪れた川端康成は、踊子姿の吉永小百合を見て、「なつかしい親しみを感じた」と絶賛している。

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