井伏鱒二の小説『山椒魚』は、学生時代の習作『幽閉』を改稿した処女作である。
教科書にも掲載され広く親しまれているが、晩年まで改筆が続けられた複雑な作品でもある。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察していく。
作品概要
作者 | 井伏鱒二(95歳没) |
発表時期 | 1929年(昭和4年) |
ジャンル | 短編小説 寓話 |
ページ数 | 10ページ |
テーマ | 人間社会の風刺 無力な虚勢 |
あらすじ

谷川の岩屋をねぐらにする山椒魚は、自分が岩屋から出られないことに気づく。二年間岩屋に閉じこもるうちに、体が成長し、頭が出口につっかえるのだ。
山椒魚は初め虚勢を張る。自分の惨めな境遇を棚に上げ、集団生活をするメダカを不自由なやつだと嘲笑ったり、物思いに耽る小海老を馬鹿だと罵ったりする。しかし、いよいよ本当に出られないと知ると、山椒魚は涙を流して神に嘆く。
ついに悪心を働いた山椒魚は、岩屋に飛び込んで来た蛙を道連れにすべく、出口を塞いでしまう。二匹ともが外に出られず、いがみ合ったまま1年が過ぎ、2年が過ぎる。
空腹で弱り切った蛙に、「お前は今何を考えているのか」と尋ねる。すると蛙は、「今でも別にお前のことを怒ってはいない」と答えるのだった・・・
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個人的考察

創作背景
井伏鱒二は世に出るまで苦節十年、30歳を過ぎてようやく新興芸術派として文壇に台頭した。
新興芸術派とは、プロレタリア文学が主流だった当時、それに対抗すべく登場した作家のことである。川端康成、横光利一、尾崎士郎などが挙げられる。
井伏鱒二の処女作は、『幽閉』という学生時代の習作で、これがのちに『山椒魚』へ生まれ変わった。動物を題材にした作風は、当時流行っていたシンボリズム(象徴主義)の影響で、人間に対するシニカルな風刺を、山椒魚というシンボルで表現している。
『山椒魚』を書くにあたり、井伏鱒二はチェーホフの『賭け』から着想を得た。
■『賭け』のあらすじ
法学者と実業家は、終身刑と死刑どちらが残酷かを討論する。終身刑の方がましだと主張する法学者は、それを証明するため、200万ルーブルを賭けて、15年の幽閉生活を実践する。しかしその期間に読書に耽った法学者は、結局賭け金を受け取らなかった・・・
井伏鱒二はこの物語に「悟りへの道程」というテーマを読み取った。つまり、読書で知識を得た法学者は、金を必要としない悟りの境地に達したのだ。それに影響を受けた井伏鱒二は、岩屋に幽閉された山椒魚の物語を描いた。
しかし山椒魚は、『賭け』の法学者のように悟りの境地に達していない。山椒魚が到達したのは、道連れにした蛙との「和解」のみである。
それが不満足だったのだろう、井伏鱒二は60年の年月を経て、和解の場面を削除した。その改変版では、下記の文章で締めくくられる。
更に一年の月日が過ぎた。二個の鉱物は、再び二個の生物に変化した。けれど彼等は、今年の夏はお互い黙り込んで、そしてお互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意していたのである。
『山椒魚/井伏鱒二』
山椒魚と蛙が互いに歪み合ったまま物語が終了するのだ。
教科書で広く親しまれた作品だけに、この改変には批判の声が多かったみたいだ。朝日新聞の天性人語では、「(和解の削除について)87歳になった作家の、人間と現代文明への絶望ではなかったか」と考察していた。
理由は何であれ、作品集に再録されるたびに修正を繰り返し、挙句60年経って大胆に改変するのだから、著者にとってそれだけ大切な作品だったのだろう。
余談だが、『山椒魚』の草稿『幽閉』を読んだ太宰治は、天才が現れたと衝撃を受け、のちに二人は師弟関係を結ぶことになる。
頭でっかちな山椒魚
ああ神様!あなたはなさけないことをなさいます。たった二年間ほど私がうっかりしていたのに、その罰として、一生涯このあなぐらに閉じ込めてしまうとは横暴であります。
『山椒魚/井伏鱒二』
2年間で体が大きくなった山椒魚は、頭が出口につかえて岩屋から出れなくなった。
これは、人生に対する無力さを認めずに虚勢を張る、プライドが高い人間の寓話であろう。肥大化した頭(プライド)によって、自ら出口を塞いでしまったのだ。
そもそも、どうして山椒魚は2年間も岩屋に閉じ籠っていたのか。それもまた彼の、臆病と卑屈とプライドの高さによるものだ。彼は岩屋という暗い場所から、外の世界を覗くのが好きだった。自分の殻に籠って、外の世界(世間)を小馬鹿にしていたのだ。
例えば、集団生活をするメダカを見れば、不自由な奴らだと嘲笑する。周囲に合わせることに必死な大衆を軽蔑しているのだ。岩屋に籠って大衆を見下す自分を孤高とでも思い込んでいるのだろうか。だが実際、岩屋から出れない山椒魚と、外の世界を生きるメダカ、そのどちらが不自由であろうか?
他にも、物思いに耽る小海老を見れば、屈託する奴は馬鹿だと罵る。実際に屈託せねばならないのは、岩屋から出れない山椒魚の方だ。今すぐ外に出る方法を考え出す必要がある。そんな自分を棚に上げて世間を非難し、自分は彼らとは違う、とプライドばかり肥大させる。
そう、自分は彼らとは違うというプライドによって、山椒魚は2年間も岩屋に閉じ籠り、その間にますますプライドは大きくなり、ついには完全に突破口を失ったのだ。
自分の殻に籠っていれば、自分の無力さを直視せずに済む。そういう臆病なプライド、間違った自尊心によって、外の世界で生きる者を小馬鹿にしてきた。山椒魚はうっかりしているうちに岩屋から出れなくなったのではない。自らの手によって、外の世界に出ることを、放棄し続けたのだ。
井伏鱒二の境遇に置き換えて
山椒魚の幽閉生活は、井伏鱒二の境遇に置き換えることができる。
文学を始める前の井伏鱒二は、画家を志していたが、ある画家に弟子入りを拒否され、志し半ばで挫折する。その後は文学に転向し、早稲田大学文学部に進学するが、教授からセクハラを受けて不条理に退学を余儀なくされる。さらには、文学を志す井伏にとって、心の支えだった親友が自殺する。何もかもが思い通りにいかない紆余曲折の人生だ。
そして作家としては苦節十年、定職もない無名の状況が長く続く。
また当時は、ロシア革命と経済不況の影響で、社会そのものが閉塞状態だった。おまけに井伏が参加する同人誌は、時代の波に便乗してプロレタリア系に変化し、彼を除く全ての作家が左翼に傾倒した。彼は時代に取り残されたのだ。
ああ寒いほどひとりぼっちだ!
『山椒魚/井伏鱒二』
ああ神様、どうして私だけがこんなにやくざな身の上でなければならないのです?
『山椒魚/井伏鱒二』
作家として世に出れない焦り、時代の閉塞感、左翼化の波に取り残された孤独感。そうした当時の境遇が、岩屋から出れなくなった山椒魚を通じて描かれていたのかもしれない。
蛙との和解について
今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ。
『山椒魚/井伏鱒二』
岩屋から出れず悲嘆に暮れた山椒魚は、ついに悪心を起こし、蛙を道連れにする。
二匹は互いに歪み合い、罵り合うが、2年も経てば緊張状態はなくなる。むしろ山椒魚は友情のような気持ちを抱き、蛙の方も別に怒っていないと口にする。
こうして二人は和解を果たすのだが、それは同時に世間との和解でもある。
山椒魚にとって蛙は、メダカや小海老と同様、彼が小馬鹿にしてきた外の世界の者、つまり世間そのものだ。それが今や友情のような感覚を抱くのは、彼が醜いプライドを捨て、世間と和解した結果に他ならない。
ところが井伏鱒二は、この和解の結末を60年越しに削除する。もっと早くに削ればよかったとさえ言及している。
前述した通り、チェーホフに影響を受けた井伏は「和解」ではなく「悟り」を描きたかった。孤独な幽閉生活の中で、山椒魚に何かを悟らせる必要があった。その上で、蛙との和解という月並みな結末は、彼の意図するところではなかったのだろう。
しかし結局は、和解を削除したところで、山椒魚の悟りは不在のままだ。一体、山椒魚は何を悟るべきだったのか。それは誰にも判らない、作者にさえも。
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