井伏鱒二の小説『山椒魚』は、現代文の教科書でも親しまれる作品です。
「山椒魚が岩屋から出れなくなる話」と聞けば、汗ばんだ教室の風景が蘇るのではないでしょうか。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
目次
『山椒魚』の作品概要
作者 | 井伏鱒二(95歳没) |
発表時期 | 1929年(昭和4年) |
ジャンル | 短編小説、 寓話 |
テーマ | 人間社会の風刺 作者自身の孤独 |
『山椒魚』 あらすじ

谷川の岩屋に住む山椒魚は、ある時自分が岩屋の外に出れないことに気づきます。住処に閉じこもって過ごしているうちに、2年の年月が経過し、その間に体が成長し、頭が出入り口につっかえるのです。
山椒魚は自らの惨めな境遇に対して虚勢を張ります。それどころか、自分のことを棚に上げて他者を嘲笑する始末です。集団で移動するメダカを不自由なやつだと笑ったり、物思いに耽る小海老を見て、「屈託したり物思いに耽ったりするやつは莫迦だ」と罵るのでした。
しかし、いよいよ自身の境遇に焦りを感じ始めた山椒魚は、何度も外へ出ようと試みますが、全てが徒労に終わり、遂には涙を流して神に嘆きます。
「ああ神様! あなたはなさけないことをなさいます。たった二年間ほど私がうっかりしていたのに、その罰として、一生涯このあなぐらに私を閉じ込めてしまうとは横暴であります。私は今にも気が狂いそうです。」
『山椒魚/井伏鱒二』
ある日、岩屋に蛙が飛び込んできます。悪心を抱いた山椒魚は、 蛙を道連れにしようと岩屋の穴を塞ぎます。二匹ともが外に出られず、互いにいがみ合ったまま1年が過ぎ、2年が過ぎました。
長い年月の末に、山椒魚は蛙に和解を呼びかけます。しかし蛙は空腹で動けず、既に死期を悟っていました。 山椒魚は 「お前は今何を考えているようなのだろうか」と尋ねます。すると蛙は「今でも別にお前のことを怒ってはいないんだ」と答えるのでした。
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『山椒魚』 の個人的考察

何度も改稿された作品
井伏鱒二の最初に発表された作品ですが、60年余りの作家人生で何度も加筆修正されています。
作者が早稲田大学在学中に執筆した『幽閉』という小説が原型となります。しかし『幽閉』自体はそれほど評価されることがありませんでした。
しかし、当時まだ青森中学校の1年生だった太宰治は、この『幽閉』を読んで、「天才を発見したと思って興奮した」と、後に語っています。井伏と太宰が師弟関係になることは、必然的だったと言えるでしょう。
それから6年後に、井伏は『幽閉』を全面改稿し、『山椒魚』に作り替えます。
その後も多くの変更が加えられています。作家としての原点であると同時に、生涯彼の人生に尾を引いたテーマが描かれているということでしょう。
後年に結末の数行が削除されるなど、大幅な変更が施され議論を呼んだことでも有名です。
ちなみに、山椒魚を主人公にしたのは、当時流行だった象徴主義の影響だと言われています。
山椒魚は孤独な知識人の末路!?
二年間岩屋にこもっていた結果、体が大きくなり、頭がつっかえて外に出れなくなってしまった山椒魚でした。これはもちろん寓話であり、思弁家の人間を揶揄した物語でしょう。
自分の殻にこもって、あれやこれや考えをめぐらし、知識をため込み過ぎると、結果的に自分の身を滅ぼすことになるという教訓が記されていたのかもしれません。
事実、山椒魚は閉塞された状況であっても、メダカの群れた行動を嘲笑したり、物思いに耽った小海老を馬鹿にします。本当はメダカや小海老の方が自由に移動し、外の明るい世界を堪能しているのです。山椒魚は単に体の成長によって外に出れなくなったのではなく、彼らを小馬鹿にすることで自らの行動を制限し、結果的に身動きが取れない状況になっていたのでしょう。頭がつっかえるという描写も、頭でっかちな様子をユーモラスに描いているのだと思われます。
最終的には神様に嘆き、「寒いほどひとりぼっちだ!」と惨めな状況を露呈する羽目になります。ある意味、芸術家特有の内省的な性格を象徴しているようにも感じられます。ともすれば、小説家である自らの境遇を山椒魚の嘆きによって表現していたのかもしれません。
蛙の存在は何を象徴していた?
「今でも別にお前のことを怒ってはいないんだ」
この最後の一文にぐっと胸を掴まれた読者も多いのではないでしょうか。一般的な学校教育では、最後に山椒魚と蛙が和解した、という考察によって美談にすり替えられることが多いです。ところが、「今でも」という言葉が象徴するように、蛙は初めから横暴な山椒魚に腹を立てたりはしていなかったのです。むしろ、惨めな山椒魚の境遇を哀れんでいたとも考えられます。
事実、井伏鱒二は後年に最後の一文を削除し、次のような文章にすり替えます。
更に一年の月日が過ぎた。
『山椒魚/井伏鱒二』
二個の鉱物は、再び二個の生物に変化した。
けれど彼等は、今年の夏はお互い黙り込んで、
そしてお互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意してゐたのである。
一説では、山椒魚と蛙が和解したと捉えられることを作者が嫌って、意図的に二匹の険悪な状態を継続させたと言われています。ともすれば、哀れな山椒魚に心の救いを与えるという意図は初めからなかったのかもしれません。
蛙が最初から怒っていなかったという結末は、見方を変えれば山椒魚の惨めさを助長させる効果があります。自らの哀れな境遇のあまり蛙を陥れた結果、その蛙にまで哀れに思われる山椒魚は救いようがないほど惨めでしょう。空腹のために蛙は死期が近づいていますが、依然として山椒魚は生き続けることが予感されます。蛙が死んで、再び寒いほどの孤独に逆戻りした時の山椒魚の後悔と罪悪感を想像すれば、強情な人間がいかなる結果を招くか明確ですね。
こんな風に考察すれば、 「寒いほど独りぼっちだ」 という言葉がより生々しく感じられませんか?
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