レイ・ブラッドベリ『華氏451度』あらすじ解説|映画も紹介

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華氏451 アメリカ文学

レイ・ブラッドベリの『華氏451度』は、読書が禁じられた社会を描いたSF小説である。

オーウェルの『1984』、ハクスリーの『すばらしい新世界』と並んで、ディストピアの名作とされている。

本記事では、あらすじを紹介した上で、内容を考察しています。

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作品概要

作者  レイ・ブラッドベリ  
アメリカ
発表時期1953年
ジャンルSF小説
ディストピア小説
ページ数299ページ
テーマ禁書の社会
メディア漬けの社会
神が不在の社会

あらすじ

あらすじ

その社会では、書物は有害な情報を市民にもたらし、社会秩序を損なうものとして禁じられている。密告された違反者は逮捕され、書物は「昇火士」によって焼却される。書物を禁じられメディア漬けにされた市民は、極端に記憶力と思考力が低下している。

主人公のモンターグは、当初は模範的な昇火士だったが、風変わりな思考を持つ隣人の少女や、燃やされた書物と共に自殺した違反者と出会ったことで、書物への好奇心を強め、自分の職務に疑問を抱くようになる。

違反者の家から書物をこっそり持ち帰ったモンターグは、情報統制された社会に反発するようになり、同志を探して行動を起こす。ところが妻に書物の所有を密告され指名手配にかけられる。逃亡生活の中で同じ思想の人間が集うコミュニティに遭遇し、彼らと行動を共にする中で、なぜ人間に書物が必要なのかを理解する・・・

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個人的考察

個人的考察-(2)

マッカーシズムと反知性主義

『華氏451度』はディストピア小説の名作で、オーウェルの『1984』や、ハクスリーの『すばらしい新世界』と並んで人気が高い。

ディストピア小説の鉄則は思想統制された管理社会だが、本作『華氏451度』は、不安や恐怖によって市民を支配するオーウェル的ディストピアとは違い、不穏分子(書物)を禁止することで幸福な社会を維持する、という表面的に幸福な世界が描かれる。

例えばオーウェルの『1984』では、市民はテレスクリーンと呼ばれる装置で政府に監視されているが、『華氏451度』では、市民が進んで互いを監視している。それは多くの市民が、書物がある社会よりも、書物がない社会の方が幸福だと感じているからだ。

幸福は見たくないものから目を背けることで実感できる。仮にも書物を通じて「真実」を知れば、人々は社会に対して不安を抱く。それが疑念や不満に繋がり、不幸な感情をもたらす。ならば都合よく操作されたメディアだけを信じれば、人々は社会に不満を抱かず、偽りの幸福を実感していられる。

こうした反知性主義の管理社会を、ブラッドベリがSF小説で描いた動機は、マッカーシズムの影響が挙げられている。

■マッカーシズムの赤狩り
第二次世界大戦終結後のアメリカでは、ソ連をはじめとする社会主義国家の脅威に対抗すべく、共産党員を排除する「赤狩り」が活発になった。政府関係者のみならず、芸能人や文化人などを連行し、自白・密告・隠蔽を強要した。「赤狩り」の影響は西側諸国全体に行き渡ることになった。

反知性主義のマッカーシズムの猛威。市民が自ら反知性的な生き方に馴染み、そこに生きやすさを見出す様。盲目の幸福。

この反知性的な社会の象徴として、ブラッドベリは焚書ふんしょに着目し、さらに反知性的な生き方を助長する要因として、テレビやラジオのように絶えず刺激を与えてくれるメディアを懸念していたのだろう。

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キリスト教の信仰を取り戻す物語?

物語の本筋は、書物の所有者を取り締まる昇火士のモンターグが、焚書で情報統制する社会に違和感を抱いて反発する葛藤が描かれる。

実はこの物語の背後には、反キリスト的立場のモンターグが、キリスト教の信仰を取り戻すという裏テーマが隠されている。

まず第1章のタイトル「炉と火龍」について。

「火龍」は、モンターグ含む昇火士が現場に向かう際の乗り物を指す。キリスト教で「火龍」は悪魔の使いの象徴だ。つまりモンターグは、悪魔の使いとして現場に赴き、書物を燃やしていることになる。

さらに書物を燃やす描写は、「大いなる蛇が有毒のケロシンを世界に吐きかける」と表現されている。キリスト教で「蛇」も悪魔の使いの象徴だ。その様子を眺めるモンターグは凶暴な笑みを浮かべて悦に入っている。

これらの表現から、モンターグが反キリストの立場である悪魔的な存在として描かれていることが分かる。

続いて、モンターグが社会に違和感を抱く決定的なきっかけとなった、燃える本と共に自殺した老女について。

老女は自殺の直前に、かつて異端の罪で火炙りにされたキリスト教徒と自分を同一視する。何が言いたいのかというと、悪魔の使いである昇火士が、禁書時代に「異端」とされるキリスト教徒を迫害している構図が描かれているのだ。

このように反キリスト教の立場だったモンターグは、しかし隣人の風変わりな少女や、書物と共に自殺した老女との出会いにより、焚書を強いる社会に違和感を抱くようになる。それは同時にキリスト教を迫害する社会に対する違和感とも考えられる。

その違和感を共有できる同士を求めて、モンターグは過去に書物所有の違反を見逃したフェーバー教授を訪ねる。その際にモンターグは聖書を持っていく。それもまた、反キリストの立場だったモンターグが、キリスト教に接近している心情の変化が表れている。

極め付けは、逃亡生活の中で、モンターグは旧約聖書の「伝道の書」「ヨハネ黙示録」の1部を思い出す。それを忘れないように頭の中で反芻し、それぞれの1節が最後に記されて、物語は幕を閉じる。

「伝道の書」は、神の必要性を説いた書物だ。

「ヨハネ黙示録」は、ローマ帝国に迫害されたキリスト教が、いずれ再臨する啓示を記した希望の書だ。

つまりモンターグは、最後には、神の必要性を感じ、神の再臨を願っていたことになる。繰り返しになるが、反キリストの立場である悪魔的な存在だったモンターグが、最後にはキリスト教の信仰を取り戻したのだ。

そもそも本作の世界では、なぜキリスト教が迫害の対象なのか。次章にて詳しく考察する。

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キリストという山を排除した世界

前章では、書物の禁止がキリスト教の迫害と重ね合わせて描かれていると解説した。

ではなぜキリスト教が迫害の対象なのか。

その答えは、モンターグと上司ベイティーの会話に隠されている。

憲法とは違って、人間は自由平等に生まれついてるわけじゃないが、結局みんな平等にさせられるんだ。誰もが他の人をかたどって造られるから、誰もかれも幸福なんだ。人がすくんでしまうような山はない、人の値打ちをこうと決めつける山もない。

『華氏451度/レイ・ブラッドベリ』

このベイティーの台詞には不可解な点が多いので、その意味を1つ1つ考察する。

まず「憲法とは違って、人間は自由平等に生まれついてるわけじゃない」という1節だが、その意味を理解するにはアメリカ独立宣言を知る必要がある。

すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている

『アメリカ独立宣言』

ここで重要になるのが、自由や平等は「創造主(神)」によって保証されていることだ。

では、もし神が存在しなければ?

そう、本作ではキリスト教が迫害され、神の権威が失墜しているため、憲法とは違って人々の平等を保証する神が不在になっているのだ。

さらにベイティーは、「結局みんな平等にさせられるんだ。誰もが他の人をかたどって造られるから、誰もかれも幸福なんだ」と続ける。

神が不在の世界では平等は保証されないが、結局みんな平等にさせられる、というのは矛盾に聞こえる。これはつまり、全体主義的な平等を意味しているのだろう。人々は反知性主義の生き方、メディア漬けの無知な奴隷に案外満足している。誰しもがそういう状態をかたどって造られているから、ある意味では平等なのだ。

そんな中で、仮にも書物を有する知識人(人がすくんでしまうような山)が登場すれば、それは彼らにとって脅威になり得る。なぜなら、反知性主義の生き方が否定され、奴隷の平等が危険に晒されかねないからだ。だから彼らは不穏分子を自ら密告することで、無知の安心、盲目の幸福を維持しようと躍起になっているのだ。

誰かを政治問題で悩ませて不幸な思いにさせるのは忍びないと思ったら、ひとつの問題に二つの側面があるなんてことは口が裂けてもいうな。ひとつだけ教えておけばいい。もっといいのは、なにも教えないことだ。戦争なんてものがあることは忘れさせておけばいいんだ。

『華氏451度/レイ・ブラッドベリ』

ここで言いたいのは、「幸福」と「正しさ」は根本的に相容れないということだ。

例えば、先進国で安価に物が手に入るのは、途上国で倫理に反した労働を強いられる人間が存在するからだ。それは決して正しいことではないが、それを無視して生きることで人々は幸福を実感している。同様に政治問題についても、知識を持って追及するエネルギーを捨て、無知のまま無関心でいられたら余計に疲弊しなくて済む。物事を一面的に捉える限り、世界は常に平和で、平等で、安心なのだ。もしキリスト教の隣人愛など知れば、我々の平和は後ろ暗いものになる。そんなのは御免なのだ。

多かれ少なかれ人々には、こうした「ことなかれ」の精神があるが、モンターグはそれに違和感を抱き、危険を顧みずに書物に手を出し、キリスト教に接近する。そして彼は、書物を燃やしてはいけない理由に到達した。

人類は何のために書物を遺してきたのか、詳しくは次章にて考察する。

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奪うのではなく与えるための火

指名手配になり失踪するモンターグは、ふと夜空の月の光を見て考える。

月を光らせているのは太陽で、太陽は来る日も来る日も燃え続けることで、時間を燃やしている。太陽が時間を燃やす限り、全てのものが燃え尽き、過去へと失われていく。

だからこそ人類は書物を通して、燃え尽きるはずの時間を記録し、貯蔵してきた。先人たちが書物に記録することで、人類は同じ轍は踏まぬよう、同じ過ちを犯さぬよう、留意してきた。

社会が間違った方へ突き進むのを止めるには、歴史が、書物が必要なのだ。

ゆえに歴史の隠蔽・改ざんは、ディストピア小説の鉄則である。物事の正当性を追求するのに必要なのは、過去の記録と照合することだ。そして照合する歴史が隠蔽されると、人々は物事の正当性を追求できなくなり、権力者の思うがままに操られてしまう。『華氏451度』の世界では、書物を禁じられたことで、人々は極端に記憶力や思考力を損ない、現状に違和感を抱く回路を絶たれている。

政治の腐敗を見て見ぬふりで過ごし、権力者の汚職を時と共に忘れる生き方は楽だろう。けれども楽な生き方に甘んずるなら、人間は一体何のために莫大な書物を遺してきたのだろうか。

モンターグは逃亡生活の中で、同じように書物の必要性を説く仲間と出会った。彼らが燃やす焚き火は、奪うための火ではなく、与えるための火としてモンターグの目に映った。

彼らの頭には書物の内容が記録されている。それがいつの日か、ディストピア社会に革命を起こす巨大な炎になるだろう。

歴史を燃やす火は消してしまえ、けれども心に燃える火は何があっても絶やすな。

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