村上龍の『限りなく透明に近いブルー』あらすじ考察 巨大な存在に押し潰さた青春の色彩

限りなく透明に近いブルー 散文のわだち
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村上龍が23歳の頃に1週間で書き上げた、デビュー作『限りなく透明に近いブルー』。

群像新人文学を受賞し、続けて芥川賞も受賞したベストセラー小説です。

ドラッグやセックスに溺れる若い男女が、主人公リュウの一人称目線で描かれているにもかかわらず、感情の少ないフラットな文章である点が、当時の文学界では革新的だったようです。

本作は村上龍の実体験が基になっています。当初のタイトルは「クリトリスにバターを」だったようですが、あまりに露骨な性表現であるため、現在のタイトルに改題されました。

詩的な文章で綴られる、はっきりとした手触りでは掴めない精神世界のテーマ。感情をほとんど露わにしないリュウが訴えていた「限りなく透明に近いブルー」な存在とは、一体何を表現していたのか、考察していきます。

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『限りなく透明に近いブルー』の作品概要

作者村上龍
発表1976年(昭和51年)
ジャンル長編小説
テーマ近代化に伴う若者の喪失感 
受賞群像新人文学賞、芥川賞

『限りなく透明に近いブルー』の300文字あらすじ

東京の米軍住宅で、主人公のリュウは仲間たちと荒廃的な生活を送っています。

ロックンロールのレコードが流れる部屋で、若い男女がヘロインを打ち、黒人とセックスパーティーを開催します。連中が部屋にやって来ては去っていく、その単純な日常の中で、リュウは閉塞感を抱いています。

没主体的に描かれるリュウの頭の中の妄想都市と、それを破壊する巨大な鳥の存在。日常の閉塞感から解放されたいと願う彼は、過激な時間の中で静かに狂っていきます。

恋人リリーのアパートを後にした気の触れたリュウが、夜明けの空気に染まったガラスの破片を見て、限りなく透明に近いブルーを感じます。そして自分もそんな存在になりたいと心の中で思うのでした。

『限りなく透明に近いブルー』のあらすじを詳しく

①セックス・ドラッグ・ロックンロール

仕事帰りの恋人リリーの品のない会話、生活感のある部屋の描写、そして主人公「リュウ」のフラットな目線。

二人の生活に当然のように付き纏うセックスとドラッグ。今日もまたリリーが注射器で液体を体に注ぎ込みます。そしてパンティーを脱いだリリーがリュウを呼びつけるのでした。

あるいは、リュウの部屋に仲間たちが集い、若い男女がドラッグに溺れるだけの無意味な時間が繰り広げられます。友人のオキナワがリュウの血管にヘロインを流し込み、リュウは酩酊状態に陥ります。何気ない無気力な日々のワンシーンです。

彼らの日常には、パーティーがあります。ハシシが香炉で焚かれた部屋で、仲間以外には黒人を集めて、夜通し乱行パーティーを開催するのです。ロックンロールのレコードと、ドラッグと、乱行パーティー、希望を失った若者たちは、自分たちの内側に陶酔を求め、どこにも抜け出せない陰鬱とした日々を送っています。

②リュウの妄想都市

過剰な仲間たちの中で、素朴な哀愁を放つリュウは、人一倍内向的な性格です。言葉や態度よりも、自分の頭の中で物事を組み立てる傾向があります。

リュウには、自分の頭の中で宮殿や都市を作り上げる癖があります。目に映る風景や思い通りの建物を用意し、自分だけの妄想都市を組み立てていくのです。

ある時、ドラッグでキマった状態のリュウとリリーは、当てもなく車を走らせます。普段は内向的なリュウですが、この時ばかりは薬のせいか、自分の頭の中の妄想都市について饒舌に話し始めます。

リュウが「頭の中の都市に飛行場を用意するのを忘れていた」と抽象的な話を口にした矢先、二人は偶然、米軍基地の飛行場に到着します。

肌を刺す豪雨、滑走路を駆け抜ける飛行機、二人を襲う突風と振動。自分たちの生活を取り巻く近代化の脅威に、ラリったリュウは閉塞感を覚えます。既に頭の中の都市などは失われていました。同じく身を震わせるリリーは「殺してほしい」と口にしながら、リュウを抱きしめるのでした。

③日比谷野外音楽堂

雨が上がった翌日、仲間たちの元に警官が訪ねて来ます。運よくハシシの存在がバレなかった彼らは、始末書を提出するのみで免れます。警官は彼ら若者の荒廃的な生活を軽蔑した態度で非難します。

始末書提出後に、彼らは日比谷野外音楽堂のライブへ向かいます。駅のトイレでニブロールという薬を共有し、仲間内でキメてから、ふらふらとロックの大音響に紛れ込みます。

会場の通路の隅の水飲み場で、リュウは昔の友人と再会します。思い出話に花を咲かせながらも、物事が過去に流れ、懐かしいことが増え、更生したいけれど何をすればいいのか分からない、そんな若者たちの心境が告白されます。

一方、リュウ以外の仲間たちはライブ会場の警備員と争い、暴力沙汰に発展していました。あるいは、帰り道も電車内で見知らぬ他人に汚らしく絡み、駅員に追いかけられ、暴力をふるい、血を流します。そこに思想や理由はありません。彼はただ無気力な日常から抜け出すための方法を見つけられないだけなのです。




④仲間たちの無気力感

後日、アパートの庭に降りて来た鳥に、リュウはパイナップルをあげようとします。すると近くにいたアメリカ人の夫人が、ポプラの根本に置いておくと鳥が食べると教えてくれます。

いつものように部屋には仲間たちが集まっています。しかし、彼らの無気力感は少しずつ飽和点に近づき始めています。

恋人同士であるヨシヤマとケイの関係はもつれ、ヨシヤマはケイに過激な暴力をふるいます。その直後にヨシヤマは謝罪の言葉を口にし、洗面所で手首を切るのでした。結果的に自殺未遂で済みます。

行き場のない苛立ちと焦りと退屈が、周囲の存在を傷付け、それ以上に自らを抑圧していく、そんな日常にリュウが何を感じていたのか、何一つ綴られないまま、虚しさだけが拍車をかけます。

何となく興醒めした部屋から、人の気配は自動的に少なくなっていきます。

⑤巨大な鳥の存在

リリーと部屋に二人、リュウの精神に陰りが見えます。

リリーは心配していますが、リュウはほとんど上の空です。彼女の声は遠く、何を喋っているのか分かりません。寒気は無くならず、視界は定まりません。熱を持った頭と、空っぽの心と、死ぬほど恐ろしい感覚に襲われ、もはや夢の中でリリーと会話をしているようです。無意味な日常のわだちが、突破口の見当たらない軌跡にしかならなくて、その精神のもつれが露わになり始めています。

リュウは精神世界の中で巨大な鳥を目にします。全体を捉えることのできない巨大な存在に押しつぶされる精神状態が、鳥になってリュウを圧迫しているのです。

「あの鳥を殺さなければ自分が殺される」と発狂するリュウ。気が狂ったリュウに、涙を流し悲鳴を上げるリリー。

リュウはブランデーのグラスを床に叩きつけ、ガラスの破片を握り締め、震えている腕に突き刺しました。

⑥限りなく透明に近いブルー

病院にいるリュウは、リリーの部屋を後にした時のことを回想します。

握りしめたガラスの破片をポケットに詰め、霧に霞んだ道路を走りました。何度も転び、その度にポケットの中のガラスは砕けます。そしてリュウは空き地の草むらに倒れてしまいます。

自分はずっと訳の分からないものに触れ、巨大な黒い鳥から逃れることができないのだと感傷的になります。そしてポケットから血の付着したガラスの破片を取り出します。夜明けの空気に染まったガラスの破片は、限りなく透明に近いブルーでした。リュウは立ち上がり、自分のアパートに向かいながら、このガラスのような存在になりたいと思います。

アパートの前のポプラの木の近くには、昨日置いたパイナップルがまだ転がっていました。リュウはしゃがみ込み、鳥を待ちました。いずれ長く伸びた自分の影が、灰色の鳥とパイナップルを包むのだろう、そんなことを考えているのでした。

それからどれくらいの年月が経ったのでしょうか。今は近くにいないリリーに、リュウがもう一度会いたいと気持ちを綴った手紙を最後に、物語は幕を閉じます。







『限りなく透明に近いブルー』の個人的考察

妄想都市の正体

主人公リュウが自らの頭の中で作り上げていた妄想都市。これは物語の中で一体何を表現していたのでしょうか。

恐らく、自分の内側に陶酔を求める生活から、逃避したいと願うリュウの理想のイメージなのだと思われます。

現実世界においては、希望に満ちた人生に更生する手段が見つけられずにいました。つまり若くして、理想的な人生を選択することが叶わなくなっている状況です。そのため、頭の中で自分の思い通りに街を組み立てる行為が、一種の現実逃避として癖になっているのだと思われます。無意味な生活から逃避したいと願う一方で、自分の頭の中に理想を見出してしまう矛盾が、リュウをより一層内向的にしているのでしょう。

リュウはリリーとドライブをした際に、「頭の中の都市に飛行場を加えるのを忘れていた」と口にします。内向的な世界から飛び立つ滑走路を用意し、現実世界に理想的な人生を見出したいと暗に願う、リュウの抵抗がここに描かれているように思われます。

また、作者である村上龍は、後に本作のテーマを「近代化の達成後に残る喪失感」と述べています。執筆された時期は丁度、高度経済成長期の直後です。経済の豊さと心の豊さが必ずしも共通するわけではありません。経済成長を追求し過ぎたことによる現実世界の歪みが、若者の荒廃した青春時代によって表現されていたのでしょう。
事実、テレビの中に映る男と、電源を消した後に反射するリュウの顔を対比する場面が描かれています。メディアが訴える世の中のイメージと、自分の心の中の鬱屈とした感情とのギャップにリュウは違和感を抱いていたのかもしれません。

太宰治の小説「斜陽」には、時代が移り変わる瞬間の、旧式の概念に囚われ苦しむ人間が描かれていました。いわゆる、時代の過渡期の犠牲者です。村上龍が本作を執筆した高度経済成長期直後の日本も、時代の過渡期として、若者に漠然とした人生の不安を与えていたのかもしれません。

巨大な黒い鳥の正体

巨大な黒い鳥という抽象的な存在が、リュウのことを抑圧しています。その巨大な存在とは一体何を指しているのでしょうか?

一次的には、ドラッグやセックスに溺れた荒廃的な生活から抜け出せない、日常の閉塞感を表現しているように思われます。

より深掘りするのであれば、「米軍」という存在が関係してくるでしょう。リュウやその仲間たちは米軍基地に近い福生という街で生活しています。日常生活において米軍の存在を肌で感じていたリュウは、潜在的に日本がアメリカに支配されているという感覚を抱いていたのかもしれません。ないしは、彼らの日常を荒廃させる元凶のドラッグは、米軍から横流しされて入手したものです。日常的に行われるセックスパーティーには当然黒人の存在が関与しています。短絡的に堕落した若者ではなく、米軍基地の付近という生活環境だからこそ、ドラッグやセックスが彼らの生活を拘束していたのです。

本作では度々、蛾やゴギブリなど虫の存在が描かれています。それをリュウが殺した時に溢れる体液まで生々しく綴られています。一方で、リュウたちは米軍横流しのドラッグに溺れ、黒人たちとセックスをし、汗やよだれや精液など、様々な体液を放出します。要するに、虫と若者が対比的に同一の存在として捉えられているのです。

「この部屋の外で、あの窓の向こうで、黒い巨大な鳥が飛んでいるのかも知れない。黒い夜そのもののような巨大な鳥・・・ただあまり巨大なため、嘴にあいた穴が洞窟のように窓の向こう側で見えるだけで、その全体を見ることはできないのだろう。僕に殺された蛾は僕の全体に気づくことなく死んでいったに違いない。」

『限りなく透明に近いブルー/村上龍』

支配者と被支配者の関係。つまりリュウにとっての米軍や、高度経済成長期直後の現実の歪みなど、若者を支配する存在はあまりに巨大(あるいは漠然)であるため、自分を支配する存在に気づかないまま押し潰されてしまうということを訴えているように思われます。

ラストには、「パイナップルを与えた自分の影が、寄って来た鳥を包むだろう」と綴られています。要するに、経済成長や米軍基地など、国民の生活を安全で豊かにする建前は、必ず国民を巨大な陰で覆ってしまうことを意味しているのではないでしょうか。巨大な黒い鳥とは、甘い言葉で日常に溶け込む支配者の陰を意味しているのだと思います。

「限りなく透明に近いブルー」が表現するもの

リュウはブランデーグラスの割れた破片を朝日に透かした様子を、「限りなく透明に近いブルー」と表現します。そして、自分もそのような存在になりたいと願います。

「・・・このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。」

『限りなく透明に近いブルー/村上龍』

「白い起伏」とは、影のように映る「町の起伏」を指しています。そしてリュウは「自分を包み込む街の起伏」を反射させるような存在になりたいと願ってます。それは一体どんな存在なのでしょうか。

恐らく、頭の中の妄想都市を映し出す存在でしょう。

終始フラットな目線であり続けるリュウは、頭の中で物事を組み立てるのが癖になっている内向的な青年です。頭の中に作り上げた世界を、自分というガラスのような存在を使って、外の世界に映し出したいという願望が表現されているのではないでしょうか。つまり、自分の内側に陶酔するのではなく、外部に表現することで、鬱屈とした青春時代から脱却しようと考えているのかもしれません。

事実、リリーとドライブをする場面で、リュウは「自分の頭の中を表現した映画があれば見てみたい」と話します。自分の内側を作品によって表現し、昇華することを望んでいる様子が読み取れます。

結果的にリュウは、小説というジャンルで自分の内面を外の世界に映し出すことが叶ったわけです。自分の内面を映し出す存在としての透明度、あるいは鬱屈とした青春時代からの脱却という意味での色調の薄れ「限りなく透明に近いブルー」は完全な透明ではありません。それはラストのリリーへの手紙に記されたように、青春時代に心残りが多少あるからなのでしょうか。それとも、100パーセントそのまま映し出すのではなく、自分を形成したブルーなフィルターを通して表現する、芸術に対する独創性の意思表明だったのでしょうか。一つだけ言えるのは、後の村上龍の作品に透明度100パーセントの小説など一つも存在しないということです。




読書感想文

当ブログの筆者が村上龍の『限りなく透明に近いブルー』と出会ったのは、今思えば平成の終わり頃、17歳の時でした。当時の率直な感想として、「セックス・ドラッグ・ロックンロール」を題材に描いた小説が文学作品になるなんて少し不思議な感覚でした。とんだ時代錯誤で、平成生まれの自分にはSF小説を読むくらい非現実的な世界観だったわけです。セックスに憧れはあっても、セックスに堕落する精神状況は理解できませんでした。当時脱法ドラッグが社会問題になりましたが、頭の悪い連中がいちびって使っているようなイメージが強かったです。そしてフェス文化の成長期として、ロック音楽はシーンメイキングのように健全な界隈に発展していました。むしろユースカルチャーの担い手としては、依然としてヒップホップの方が主流です。

平成という潔癖な雰囲気の中で成長した自分は、「異常性癖・脱法ハーブ・ヒップホップ」には少しも相容れなかったのです。むしろ「ダサいな」とすら思っていました。

それでもこの小説に強く引かれた理由は、主人公のリュウが実態の分からない巨大な存在と葛藤していたからです。本作を読まれた方の感想を見ると「何を表現しているのかさっぱり分からなかった」「表現が過激で読むのに疲れた」というコメントが非常に多いです。それらのコメントは本作を的確に言い表していると思います。それこそが17歳の自分が求めていた答えだったのです。

なぜなら、我々は現実世界において、「さっぱり分からない」「過激な」ものと常に葛藤しているからです。今回の記事では、多少なりとも具体的に考察しました。しかし結局のところ、今も17歳の頃も「さっぱり分からない」のです。「さっぱり分からない」ものに悩んでいるからこそ、我々は『限りなく透明に近いブルー』という小説に強く惹かれるのでしょう。

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「Kindle」の魅力については下の記事にて紹介していますので、アンチ電子書籍の人は騙されたと思って読んでみてください。

以上、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』のあらすじ考察を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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