村上春樹『風の歌を聴け』あらすじ解説|謎だらけの物語を考察

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風の 散文のわだち

小説『風の歌を聴け』は、当時30歳の村上春樹が群像新人賞を受賞したデビュー作である。

大学生の<僕>が友人の<鼠>と過ごすひと夏の物語で、『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』と共に「鼠三部作」と呼ばれる。

ジャズ喫茶を経営していた29歳の村上春樹が、明治神宮で野球観戦中に、突然小説の執筆を思い立ったという逸話は有名である。

短い断章を順不同にシャッフルする技法が使われており、登場人物の関係性や、過去の出来事が謎に包まれている不思議が魅力がある。

本記事では、あらすじを紹介した上で、謎だらけの物語を個人的に解明していく。

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作品概要

作者村上春樹
発表時期  1979年(昭和54年)  
ジャンル中編小説
ページ数168ページ
テーマ執筆に対する想い
死生感
青春の喪失感
受賞群像新人文学賞
芥川賞候補

あらすじ

あらすじ

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

『風の歌を聴け/村上春樹』

この有名な一節に始まり、「僕」が文章の多くを学んだ作家デレク・ハートフィールドについて記される。そして20代最後の年を迎えた今、まだ大学生だった1970年の夏の出来事が語られる。

その夏は故郷に帰省して、ジェイズ・バーで友人の鼠とビールばかり飲んでいた。鼠は女性関係で悩んでいるようだが、彼の口から詳細は殆ど明かされない。ただ鼠は、自分が金持ちであるにもかかわらず、金持ちに対して嫌悪感を抱いている。

同じくジェイズ・バーで、「僕」は4本指の女性と出会う。店の洗面所でぶっ倒れていた彼女を家に送り届け、後日レコード屋で偶然再会する。そして数日後にレストランで食事をするのだが、彼女もまた何かに悩んでいるようだ。ひとつ分かったのは、彼女が中絶したばかりと言うことだ。

「僕」は過去に何人かの女性と交際し、その1人は自殺している。それが原因か「僕」は他者と深い関係を築こうとせず、鼠や四本指の女性の悩みについて殆ど詮索しない。あらゆるものは通りすぎ、それを捉えることはできない、「僕」はそんな風に生きている。

その年の冬にもう一度故郷を訪れたが、4本指の女性の消息は分からなくなっていた。

そして29歳になった現在、「僕」は結婚して東京で暮らしている。作家を志す鼠は毎年クリスマスに自作の小説を送ってくる。

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個人的考察

個人的考察-(2)

創作背景

世界的作家・村上春樹の記念すべき処女作は、前述した通り、当時29歳でジャズ喫茶を経営していた著者が、明治神宮で野球観戦中に、突然小説の執筆を思い立ち生まれた。

大学在学中に国分寺で「ピーター・キャット」というジャズ喫茶を開業した村上春樹は、営業後にキッチンテーブルで毎晩1時間ずつ小説を書き、4ヶ月かけて『風の歌を聴け』を完成させた。

冒頭の「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」が書きたかっただけで、あとはそれを展開させただけとインタビューで語っている。

そして1979年に群像新人文学賞を受賞し、商業作家デビューが決まった。同年芥川賞の候補作に選出されるが受賞はしなかった。

作品に関しては当時賛否両論があった。群像新人文学賞では、選考委員から支持を得て受賞するも、出版社内では「こんなちゃらちゃらした小説は文学じゃない」という声があり、出版部長にも受け入れられなかったと、エッセイ『村上ラヂオ』で明かしている。

芥川賞の選考会においても、「アメリカ文学を模倣した作品」とダメ出しされたが、特別な原石を感じ取って好印象を示す選考委員もいたという。しかし村上春樹はエッセイ『職業としての小説家』にて、文学賞は作家がおこなってきた作業の成果でもなければ、褒賞でもないと言及している。

ともあれ、記念すべきデビュー作となった『風の歌を聴け』は、続いて発表された『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』と合わせて初期三部作と言われている。共通して「僕」と「鼠」の物語が続編的に描かれるため、鼠三部作と呼ばれることもある。

『1973年のピンボール』では、「僕」が抱える孤独の原因、とりわけ過去の女性関係が中心に描かれる。『風の歌を聴け』で断片的に記される死別した恋人の謎が解明される。

続く『羊をめぐる冒険』では、「鼠」が一体何に悩んでいて、最終的にどうなるのか、それら全てが解明される。

ちなみに、このタイミングで村上春樹はジャス喫茶を閉業し、専業作家として執筆に取り組むようになった。

作品単体でも十分物語を楽しめるが、散りばめられた謎を解明したい場合は、三部作全て読むことをおすすめする。

本記事では、『風の歌を聴け』の中だけで解決する謎を中心に考察していく。

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作家「ハートフィールド」とは

冒頭では、本編から独立した「ハートフィールド」という作家について記される。ヘミングウェイやフィッツジェラルドと並べられ、あたかも実在の人物に思えるが、これは村上春樹が勝手に作り上げた空想の作家である。

ハートフィールドは、その作家人生を不毛に過ごし、ビルの屋上から飛び降りて死んだ。彼は自分の闘う相手を明確に捉えることができなかったため、そのような結果に至った。それでも語り手である「ぼく」は、文章についての多くを彼に学んだと話している。

なぜ直接本編に入らず、空想の作家について語る必要があったのか。それはハートフィールドの執筆に対する信念が、本編の物語を紐解く重要な鍵になっているからだろう。

文章を書くという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感受性ではなく、ものさしだ。

『風の歌を聴け/村上春樹』

本編の物語では、大学生の「僕」が故郷で友人の鼠や、四本指の女性と交流すると同時に、自分の人生を次々に通り過ぎた人々について明かされる。その中には死んだ恋人もいる。そんな風に過去に消え去った人々の声(風の歌)を聴くことで、「僕」は事物との距離を確認しようとしているのだろう。

加えて「認識しようと努めるもの」と「実際に認識するもの」の間には深い淵が横たわっていると語られる。

これは村上作品に共通する、二つの世界を行き来する物語の核となる考えだ。理由も分からず失ったものとの距離を図るべく、主人公は深い淵を潜って、もうひとつの世界へ入っていく。

『風の歌を聴け』では、まだそこまで円熟した物語は描かれない。あくまで自分の人生を通り過ぎた人々との距離を測ろうとして、何もできずに孤独感を抱える「僕」の姿が描かれる。

次章からは、「僕」が過去に失った恋人と、鼠と四本指の女性について考察していく。

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首を吊って自殺した恋人

「僕」が過去に交際した女性についてだが、印象的な人物が2人描かれる。

1人は仏文科の女の子で、彼女はテニスコートの脇の雑木林で首を吊って自殺した。

おそらく主人公の孤独感や虚無感は、この女性との死別に起因している。次作『1973年のピンボール』では、過去に死別した「直子」という女性との物語が描かれるが、この首を吊って自殺した女性のことだと考えられる。

『1973年のピンボール』では、「直子」に起因する主人公の孤独感は克服されるが、依然として彼女の正体や、彼女といかにして死別したのかは謎のままだ。これはのちの傑作『ノルウェイの森』で、再び「直子」が登場し、二人の間に起きた出来事が明かされるので、気になる方は読んでいただきたい。

そして「僕」は少なからず、この首を吊った恋人と、4本指の女性を重ね合わせている。ジェイズ・バーの洗面所で酔い潰れた4本指の女性を、見ず知らずの「僕」が、わざわざ家に送り届けた理由は、過去に酒を飲んで元気に別れた翌日に、急性アルコール中毒で死んだ友人がいたからだ語られる。

その友人然り、首を吊った恋人然り、「僕」はある日突然身近な人間がいなくなる経験を痛いほどしたからこそ、4本指の女性に自ら関わろうとしたのだろう。それもまた現在の言動を通して、過去に消え去った人々との距離を測ろうとする試みだと考えられる。

だが最終的に四本指の女性は音信不通になる。またしても「認識しようと努めるもの」と「実際に認識するもの」の間の深い淵にぶち当たるわけだ。

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1番目に交際した高校のクラスメイト

もう1人印象的な過去の恋人は、高校時代のクラスメイトだ。彼女の正体は、唐突に挿入されるラジオ番組のディスクジョッキーの場面にヒントが隠されている。

ラジオ番組の中で、謎の女の子が「僕」宛にビーチボーイズの楽曲をリクエストする。その女の子が誰だかさっぱり分からないが、ひとつ覚えているのは、高校の頃に同級生の女の子からビーチボーイズのレコードを貸してもらった記憶だ。そのレコードは紛失して返していないままだ。

翌日「僕」は、本指の女性が働くレコード屋でビーチボーイズのレコードを購入する。そして、昨夜ラジオにリクエストした女性が進学した大学に連絡するが、彼女は病気の療養のため退学していた。

2度目のラジオ番組では、17歳の病気の少女が、病室でずっと付き添ってくれている姉に代筆してもらった手紙が番組に届き、その内容が読まれる。ここに1度目のラジオ番組との関係性が考察できる。

1度目にビーチボーイズをリクエストした女の子は療養のために大学を退学していた。そのため2度目の病気の女の子と同一人物かと一瞬考えるが、大学生だと年齢は18を超えているので別人だ。おそらく1度目の女の子は、自分の療養ではなく、妹の看病のために大学を辞めたのだと考えられる。

そして作中に登場する高校時代の同級生は、交際していた事実が記される女の子と、ビーチボーイズのレコードを借りた女の子しか登場しないので、この二人を同一人物と考えるのがしっくりくる。つまり高校時代に交際していた恋人が、ラジオで「僕」宛にビーチボーイズをリクエストしたのだろう。連絡先を探し出して、レコードを返そうとする「僕」の言動からもそれがうかがえる。

しかし住所を探し出した結果、彼女は大学を退学していたため再会できない。「僕」はことごとく過ぎ去った人との距離を図ることが叶わないのだ。

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鼠の女性問題の真実

謎を多き本作で最も気になるのは、鼠が抱えていた女性問題だ。

鼠が悩んでいた女性の正体は、「僕」が他方で親交を深めた四本指の女性だと考えられる。

それを決定づける描写がいくつか記される。まず1つ目が指の問題だ。

「鼠はそれっきり口をつぐむと、カウンターに載せた手の細い指をたき火にでもあたるような具合にひっくり返しながら何度も丹念に眺めた。僕はあきらめて天井を見上げた。10本の指を順番どおりにきちんと点検してしまわないうちは次の話は始まらない。いつものことだ。」

『風の歌を聞け/村上春樹』

ジェイズ・バーで鼠が指の本数を気にしている様子が描かれる。

何気ない描写のため見落としてしまうが、本作で指の本数を気にする行為は、四本指の女性に関係しているとしか考えられない。

また、自分の指を点検する鼠は、金持ちに対する嫌悪感を吐露する。自分自身が金持ちの息子であるにもかかわらず、金持ちを非難しているのだ。おそらく、鼠は四本指の女性と交際していたが、裕福な家庭であるため、鼠の両親は四本指と言う風変わりな女性との交際を認めなかったのではないだろうか。そのため、鼠は自ら裕福な家庭に属しながら、金持ちを批判したのだと考えられる。

あるいは、「僕」が鼠とジャイズ・バーで過ごす中で、小説についての話題が持ち上がる。

鼠は仮に自分が小説を書いた場合の物語を即興で話す。その物語には「ケネディ」の名前が登場する。一方で、洗面所でぶっ倒れていた四本指の女性を「僕」が家に送り届けた場面で、酔って昨夜の記憶がない彼女は自分がどんな話をしていたかを尋ねる。その時に「僕」は、彼女が「ケネディ」の話をしていたことを明かす。

「鼠」と四本指の女性が交流する場面は描かれない。だが双方から同じ「ケネディ」の名前が出るということは、二人には面識があり、特別な関係だったと考えられる。

僕は二人が交際していることを知らずに、双方と個人的に関係を深めていたのだ。それが冒頭で記されていた、「認識しようと努めるもの」と「実際に認識するもの」の間に横たわる淵なのだろう。二人のことはそれぞれ個人的に認識しても、二人の関係性については認識することがなかった。それは「僕」が認識しようと努めなかったからだ。「僕」は他者の事情に介在することに消極的で、そのため自分が知らない場所で様々な問題が発生している。

そんな「僕」が、臆病な自分を克服し、自ら行動を起こしていく姿は、三部作の最終章『羊をめぐる冒険』で描かれる。

以上が『風の歌を聴け』の謎解きである。あくまで個人的な考察なので、みなさんなりに初期の村上春樹の謎だらけの世界観を楽しんでいただけたら幸いである。

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映画『風の歌を聴け』

3部作の第1作『風の歌を聴け』は1981年に映画化された。

原作との相違点は多いが、映画の世界観が村上作品の雰囲気と絶妙にマッチしている。

ロケに使われた「ジェイズ・バー」は、ファンの巡礼地として神戸に残っている。

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