小説『クリスマス・キャロル』は、英国の作家ディケンズの不朽の名作である。
守銭奴のスクルージが、聖なる夜に現れた精霊と共に、過去・現在・未来を旅する中で、お金より大切な慈悲の心を取り戻す、感動の物語が描かれる。
世界で最も有名なクリスマス・ストーリーで、今なお映画や演劇に使われ続けている。
子供向けの物語として人気だが、しかし大人にこそ強く訴えるディケンズのメッセージが込められている。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語を詳しく考察していく。
作品概要
作者 | チャールズ・ディケンズ |
国 | イギリス |
発表時期 | 1843年 |
ジャンル | 中編小説 |
ページ数 | 168ページ |
テーマ | クリスマスストーリー 慈悲の心 キリストの精神 |
あらすじ
会計事務所の経営者で初老のスクルージは、血も涙もない金儲け一筋の守銭奴で、人々から避けられている。共同経営者のマーリーが七年前に死んでからは、彼がひとりで経営を担っている。スクルージ自身、人に好かれたいと思わず、完全に心を閉ざしている。
スクルージにとってクリスマスとは、馬鹿な連中が金にもならないのに浮かれる不快な日だった。クリスマスの食事を誘いに来た甥を罵倒して断り、飢えた人々への寄付を募る紳士に「余分な人口が減って丁度いい」と言って追い返し、会計助手がクリスマスに休暇を取ることに文句を垂れる始末だ。
聖夜を祝う気などないスクルージは、部屋で孤独に過ごしていた。すると突然、七年前に死んだマーリーの亡霊が現れる。マーリーが言うには、金銭欲にまみれた冷酷な人間は死後に後悔ばかりの悲惨な末路を歩むらしい。そして自分と同じ運命をスクルージに辿らせないために、これから三人の精霊が訪れることを伝えてマーリーは消える。
部屋に訪れた三人の精霊は、順番に過去・現在・未来の世界をスクルージに旅させる。
過去の旅では、貧しかった少年時代の自分を見せられ、やがて金に取り憑かれて別人のようになり、恋人に別れを告げられた出来事が回想される。
現在の旅では、会計助手の家族や、甥の家族が、聖なる夜に貧しいながらも幸福な夕食を楽しんでいる姿を見せられる。
未来の旅では、自分が天涯孤独のまま死に、誰も悲しむ者がおらず、荒れ果てた墓地に埋められる悲惨な末路を見せられる。
朝を迎えたスクルージは、精霊に見せられた悲惨な未来を変えるため、冷酷無比な心を改めて、貧しい人々に慈悲をかける、愛情深い人間に生まれ変わるのだった。
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個人的考察
時代背景
チャールズ・ディケンズは、十九世紀の英国を代表する小説家で、シェイクスピアと並ぶ国民作家として不動の地位を確立している。
ゴッホや、ドストエフスキーも、ディケンズの熱心な読者で、日本では村上春樹が10代の頃の愛読書としてディケンズの名を挙げている。
ディケンズを語る上で、クリスマスを切り離すことはできない。「イギリスのクリスマスを創始した男」という異名を持つほど、生涯数多くのクリスマス小説を発表した。毎年「クリスマスブック」なるものを刊行し、その第1作目が本作『クリスマス・キャロル』である。
世の中に存在するクリスマス・ストーリーの中で最も有名で、事実、本作はディケンズを世界的な作家にした記念碑的作品である。発売1週間で当時では異例の5000部を記録し、熱狂的な読者の中にはディケンズをサンタクロースと同一視する者もいたという。日本でも、幕末から明治の近代化において最初期に翻訳された英文学として馴染み深い。あるいはディズニー映画や演劇でも広く親しまれている。
そんな『クリスマス・キャロル』が発表された19世紀のイギリスは、産業革命と植民地支配で最盛期を迎えたヴィクトリア朝時代である。一般的には大英帝国の黄金時代とされるが、しかし「切り裂きジャック」の名で知られる連続娼婦殺人事件に象徴されるように、栄華の裏には影があった。貧富の差が拡大し、そして1840年代に入ると大飢饉が発生して、労働者たちは赤貧に喘いだ。
こうした世相を反映して書かれたのが『クリスマス・キャロル』である。作中では貧しい人々に対する慈愛精神と、守銭奴に対する風刺が描かれるが、実際に当時の英国では、弱者への慈善を訴える声が高まりつつあった。そしてクリスマスは、キリストの慈愛精神が最も高まる時期なのだ。
ディケンズ自身、貧しい少年時代を送った。10歳の頃に生家が破産すると、両親は借金の不払いで投獄され、ディケンズは12歳で靴墨工場に働きに出された。そこで酷い仕打ちを受け、精神に深い傷を負ったという。こうした過酷な貧困体験から、ディケンズは下層階級の視点で社会を諷刺する物語を多く発表し、市民から熱狂的な支持を得た。
『クリスマス・キャロル』は、勧善懲悪の物語であるため、とりわけ子供からの人気が高かったようだ。しかし改めて読み返せば、大人にこそ強く訴えるメッセージが込められていることに気づく。次章より詳しく考察していく。
守銭奴スクルージの孤独と不幸
会計事務所を経営するスクルージは、いわゆる冷酷無比な中産階級の守銭奴で、大衆文学における典型的な悪役の様相を帯びている。
何よりも金が大切で、他人に恵んでやる精神のカケラもない。会計助手を低賃金で雇い、おまけに暖炉の炭を少ししか与えず寒い部屋で働かせている。彼の冷酷さは真冬の外気以上とさえ表現される。
当然スクルージを好む者はいない。すれ違い様に挨拶を交わす人は皆無で、犬にも避けられる始末だ。これがほんとの犬も喰わない嫌な奴である。スクルージ自身、他者に共感されることなど無用だと考え、完全に心を閉ざしている。
しかしスクルージは決して悪人ではない。血も涙もない憎まれ口を叩くものの、仕事の面では清廉潔白だ。悪事を働いて財産を築いたわけではなく、ひたすら真面目に努力して、中産階級の立場を手に入れた。冒頭でスクルージの署名が全ての商品取引所で通用すると記されることからも、ビジネスにおいては大いに信頼される人物だとわかる。ただ街の人々からすれば、金に欲深い因業ジジイなのだ。
スクルージの勤勉の背景には、少年時代の貧困体験によるトラウマがある。少年時代のスクルージは貧困で、両親との関係も悪く、友達もいなかった。これは前述したディケンズの少年時代が自伝的に描かれている。そして貧乏ほど惨めなことはないと痛感したスクルージは、一心不乱に努力して財産を築き上げた。そして貧困体験の反動で極度の守銭奴になった。相当の財産を持っていても豪遊せず、むしろ質素な生活を送っている。物欲や名誉欲を満たすために金に執着しているのではなく、貧困を恐れ嫌悪するあまり、貯蓄に執着しているのだ。
「商売は誰に恥じることもない、正々堂々の行為だ! 世の中に、貧乏ほど始末の悪いものはない。それなのに、金儲けというと、世間では蛇蝎のように忌み嫌う!」
『クリスマス・キャロル/ディケンズ』
スクルージは貧困を憎むゆえに、貧乏人が浮かれるクリスマスを不愉快に思う。貧しい連中が貧しい境遇を慰め合う慈悲の精神など全く無意味だと考えているのだ。彼にとっては金だけが実際的な意味を持つものである。
そんなスクルージに対して甥のフレッドは、人間は金儲け以外にも、慈しみの心によって互いに多くのものを与え合うことができ、その最たる時期がクリスマスだと主張する。しかし他者を慈しむ精神がないスクルージは、甥が帰った後に現れた、飢えに苦しむ人々を救済する募金を願う紳士を、こんな冷血な言葉で追い返す。
だったら、さっさと死ねばいい。余分な人口が減って、世のためというもんだ。
『クリスマス・キャロル/ディケンズ』
スクルージは決して貧乏人の気持ちが分からないわけではない。むしろ少年時代に痛いほど経験した。そして努力して財産を築き上げた。だからこそ、努力して貧困から抜け出そうとしない人々の気持ちが理解できないのだ。実際は誰もが努力で出世できるわけではないが、それを成し得たスクルージにとっては、貧乏とは当人の努力不足でしかないのだ。自分が努力して築き上げた財産を、どうして努力もしない人間に与えなければいけないのか。こういう卑しい考えがスクルージにはあったと思われる。
こんな風に捻くれたスクルージの元に、7年前に死んだ共同経営者マーリーの亡霊が登場することで、物語は展開するのだが、マーリーはスクルージに対してこんな助言をする。
「隣人、同胞と進んで広く交わって、心を通わせなくてはいけない。そのためには、遠路をいとわずどこへでも出かけるようでなくては駄目だ。生きている間にそれをしないと、死んでから重荷を負って歩くことになる。」
『クリスマス・キャロル/ディケンズ』
この物語の面白い点は、スクルージが憎まれるどころか、むしろ憐れまれていることだ。というのもディケンズは自身の思想で、「閉ざした心を他者に開く」ことの重要性を説き、孤独こそが不幸の最たる原因だと主張している。完全に心を閉ざして、誰とも関わろうとしないスクルージは、周囲から見れば天涯孤独の可哀想な人間なのだ。実際に甥のフレッドは、次のようにスクルージを憐れんでいる。
「考えてみれば、気の毒な人だよ。どうしても伯父には腹が立たないんだなあ。あの頑固でひねくれた根性で、いつも結局は自分が損してばかりだからね。」
『クリスマス・キャロル/ディケンズ』
甥のフレッドが言うには、スクルージは金儲けに頑固になるせいで、聖なる夜の団欒のような現在の楽しみを損し続けているのだ。それだけではない、若き日のスクルージは、金に取り憑かれて別人のように変わったことで、恋人に別れを告げられた。彼は金儲けの代償に多くのものを失い、まったくの孤独になったのだ。
そして三人の精霊に導かれる、過去・現在・未来の旅は、彼がこれまで失ってきたものの大切さに気づく体験である。失った恋人や、拒絶した聖なる夜の団欒を見せられるうちに、徐々にスクルージに心変わりが生じる。そして未来の旅において、自分が誰にも悲しまれず死に、荒れ果てた墓地に埋められる最期を知って、初めて彼は貧乏よりも惨めな孤独に気づく。
この物語は、スクルージが金儲けより大切な他者との繋がりを取り戻し、惨めな未来を変える結末に終わる。ディケンズは、単に他者に与えることの重要性を説くばかりでなく、それを拒否することは自分をも不幸にする、という教訓を訴えているように思う。これはどこか宮沢賢治の、社会全体の幸福なくして個人の幸福はあり得ない、という思想を思わせる。自分が幸福になるためにも、他者を慈しむ心は不可欠なのかも知れない。
無知と貧困の問題
作中では聖霊のひとりが、マントの内から二人の子供を出し、男の子が<無知>で、女の子が<貧困>だと言い、彼らの額に<破滅>の文字が浮かんでいる、と何やら暗示的な話をする。
さらに未来の旅で、スクルージが自分の惨めな死を見せられる場面で、彼亡き自宅に盗人が忍び込み、家財を違法に売買する様子が描かれるのだが、これは十九世紀のイギリスの下層社会をリアルに反映させている。
恵まれた職に就くには教育が必要条件で、それを阻害するのが貧困だ。貧困が無知を招き、職に就けず犯罪に手を染める、という負の社会構造をディケンズはほのめかしている。
ディケンズの小説は、のちの時代に写実主義が主流になると非難される。リアルな現実社会を描写しない、いわゆる絵空事的な作風が、写実主義に反するからだ。確かに本作には、薄給で働かされる会計助手のボブ・クラッチが、貧しいながらも暖かい家族団欒によって幸福に暮らしている、というルサンチマン的な要素が垣間見える。貧しいボブ・クラッチが幸福で、財産を築いたスクルージの方が不幸というのは、まさにそれだ。実際に当時の読者は、スクルージの改心の物語よりも、ボブ・クラッチが貧しいながらも家族で結束し、明るく希望を捨てずに生きている姿に勇気づけられ、そのことを感謝する手紙が多数ディケンズに届いたという。
大衆というのは勧善懲悪の物語を好む。冷酷無比なスクルージが慈悲の心を取り戻すという意味では、それも勧善懲悪なのだが、それよりも貧しさを肯定し、同じ境遇の読者に自分は正しいと思わせてくれる、ルサンチマンとしてのボブ・クラッチが人気なのは、納得できる。
しかしディケンズは決して非写実的な、絵空事を描く作家ではない。むしろ当時のイギリス社会をリアルに反映させた写実的な作家である。ボブ・クラッチのように貧しいながらも幸福な人間を描く一方で、無知と貧困という社会的要因によって破滅する子供たちの存在を決して忘れない。
「この子供たちに、逃げ場なり、不幸を免れる方策なりはないものだろうか?」
『クリスマス・キャロル/ディケンズ』
この問いに呼応するように、ディケンズはマーリーの亡霊の台詞を借りてこう訴える。
「人類の福祉こそが私の仕事だった。万人の幸福を願うこと。慈善、愛憐、寛容、奉仕。まだこの上にも尽きない仕事があったのだ。本当の仕事の大きさ、奥深さから言えば、金儲けの商売などは大海の一粟でしかない!」
『クリスマス・キャロル/ディケンズ』
『クリスマス・キャロル』は、その超常的なシナリオや、金儲けより慈悲が大切という勧善懲悪のメッセージから、子供向けの作品と言われることが多い。しかしディケンズは、貧困と無知をなくす社会改革の必要性を強く訴え、その担い手である大人を戒めている。ボブ・クラッチのような家庭はある種の虚構であり、実際は貧困と無知によって子供たちは破滅する。それを防ぐためには、ディケンズの言うように、人類の福祉という名の仕事を、大人たちは決して怠ってはいけない。
日本人にとってクリスマスは、単なるイベントに過ぎないが、キリスト教圏の国々では、こうした主の精神を最も意識する日だ。聖なる夜だからこそ、万人の幸福を願い、苦しんでいる他者のために何かしようという慈悲の心が芽生える。ディケンズはそんな願いを込めて、『クリスマス・キャロル』を含む、数多くのクリスマス小説を書いたのだろう。
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