梶井基次郎の『檸檬』あらすじ考察 美は想像上のテロリズム

檸檬 散文のわだち
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梶井基次郎の小説『檸檬』は、1925年に発表されたデビュー作になります。

詩的な心情描写と、事物を感情の象徴として描く手法が非常に巧みで引き込まれます。故に難解な部分も多いので、作品を通して彼が何を訴えていたのか考察します。

ちなみに、本ブログの筆者は梶井基次郎と出身中学が同じであるため、多少なりとも親近感を持っております。最大限の敬意を持って、檸檬の爆弾を紐解いていきます。

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『檸檬』の作品概要

作者梶井基次郎
発表時期1925年(大正14年)
ジャンル短編小説、私小説、詩的文体
テーマぼんやりした憂鬱
精神の愉悦

梶井基次郎は、作家としての活動期間が10年にも満たず、生涯で20遍あまりの短編しか残していません。その中でも処女作兼代表作が、この『檸檬』になります。

今でこそ、文学界を一任する存在として高く評価されていますが、生前はほとんど成功しなかった作家です。

本作『檸檬』に関しても、発表当初は文壇に見向きもされず、一部から評価される程度の駄作でした。事物や心情を詩的に描く作風は、当時の文学史においてとりわけ革新的とは言えず、注目されなかったのです。

しかし、後の時代に三島由紀夫など有名な作家たちがこぞって彼を評価したことで、今日では一流の文豪として認められています。芸術家にありがちな、後世に評価される部類の作家だったわけです。

『檸檬』の300文字あらすじ

主人公は「不吉な塊」に抑圧されています。

そのせいか、美しいものが受け付けなくなり、その代わりに、みすぼらしいものに惹かれるようになります。その中でも、主人公が最も引き付けられた檸檬でした。

檸檬を握った途端、「不吉な塊」の抑圧は緩み、主人公は幸せな気持ちにすらなります。

「不吉な塊」に囚われて以来、何故か避けていた丸善に、久しぶりに入ります。そして、かつて好きだった画本に目を通します。しかし案の定、憂鬱な気持ちに襲われます。

憂鬱を紛らすために檸檬を握り、彼はある企みを考えます。

丸善の美術コーナーの棚に、檸檬の爆弾を仕掛ける計画です。そして彼は、丸善が木っ端微塵になる様子を熱心に想像するのでした。

『檸檬』のあらすじを詳しく

①「不吉な塊」の抑圧

主人公は得体の知れない「不吉な塊」に始終抑圧されています。

神経衰弱や借金が、憂鬱の原因ではありません。不吉な塊」が全ての元凶なのです。

以来、主人公は美しい音楽や詩などが一切受け付けなくなりました。その代わりに、みすぼらしいものに関心を持つようになります。壊れかかった街や、裏通りの風景が妙に愛おしく感じられるのです。

彼は京都の街を浮浪しては、自分が遠く離れた知らない街を彷徨っている錯覚に陥ります。その錯覚の中で、現実の自分自身が見失われる感覚を楽しんでいるのです。

憂鬱に生活が蝕まれる前は、彼は丸善に行くのが好きでした。オーデコロンや香水瓶や煙管など、贅沢品を眺めるのに時間を費やすことが、一種の楽しみだったのです。

しかし、今となっては丸善も重苦しい場所に過ぎません。借金を抱える主人公にとっては、書籍も学生も勘定台も、借金取りの亡霊のように見えて息詰まってしまうのです。

果物屋の檸檬

ある朝、主人公はいつものように街の裏通りを彷徨っていました。

彼は果物屋の前で足を止めます。決して立派な店ではありませんが、彼にとっては最も好きな風景の一部です。

その日は珍しく、店頭に「檸檬」が売られていました。

絵具をチューブから絞り出して固めたような単純な色と、紡錘形の格好に惹かれ、主人公は檸檬を一つ購入します。

檸檬を握った途端、主人公を始終捕えていた「不吉な塊」の抑圧が、緩んでいくのを感じます。

身内に染み透っていくような冷たさ、産地の情景が思い上がるような香り、美を重量に換算したような重さ、それら檸檬の特徴が彼を幸福にするのでした。




檸檬の爆弾

「不吉な塊」に囚われて以来、避け続けていた丸善の前に到着しました。

その時ばかりは、檸檬のおかげで気分が昂奮していたため、試しに入ってみようという気持ちになったのです。

しかし、丸善の中に入った途端、檸檬によって満たされていた幸福感が逃げ去っていきます。香水の瓶にも煙管にも心は惹かれず、むしろ憂鬱が押し寄せてきます。

主人公は画本の棚の前に行き、重たい画集を取り出して目を通します。彼は元来画集が好きだったのです。しかし、やはり気持ちは憂鬱になるばかりです。

次の瞬間、彼は檸檬の存在を思い出します。

途端に昂奮が蘇ります。頭の中に幻想的な城を築きあげ、その頂に檸檬を据付る妄想をします。まるで、埃っぽい丸善の空気が、檸檬の周辺だけは緊張しているように感じられます。

不意に主人公は、奇妙な企みを思いつきます。

なんと主人公は、丸善の棚に黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて、店を後にしたのです。

10分後に丸善が大爆発する様子を想像しては面白くてたまりません。

あの気づまりな丸善が木っ端微塵になる、そんな想像を熱心に追求するのでした。

そして物語は幕を閉じます。




『檸檬』の個人的考察

なぜ「檸檬」なのか?

本作は、実際の現実世界ではなく、主人公の感覚的な世界の中で描かれています。

そのため、「現実世界ではどうであるか」という問題が完全に無視され、「主人公にとってどうであるか」という観点のみが落とし込まれています。

事実、主人公にとって「美しいもの」と「憂鬱なもの」が象徴的に列挙されます。その対比の連続によって、物語は進行していきます。

美しいものは基本的にみすぼらしい存在です。例えば、壊れかけの街や、裏通りの風景、あるいは花火の安っぽい装飾などです。そういった、以前は気にも留めなかった風景に注目することで、自分が知らない街にいる感覚を味わっているのです。

つまり、かつての自分が好んでいた美とは対照的な存在に触れることで、主人公は現実逃避を図っていたのです。それがいわゆる「自分自身が見失われる感覚」だったのでしょう。

美しいものの最もたる象徴としては、「檸檬」が挙げられます。果たして檸檬がみすぼらしいものなのかは不明ですが、当時の日本では珍しい果物だったようです。そのため、主人公にとっては新鮮な存在であり、かつての自分を忘却するためのアイテムになり得たのでしょう。

とは言え、なぜ他の果物ではなく檸檬だったのか? という疑問はあると思います。

もちろん形が手榴弾に似ているから、爆弾の擬似として用いられたのかもしれません。あるいは、梶井基次郎本人が檸檬を好んでいたという逸話もあるようです。

ただ、最もたる理由はその色彩にあるでしょう。黄色という色彩が重要なのです。

文中では、檸檬を興奮の対象として捉える場面もあれば、緊張感を演出する場面もあります。そして最後には、危険物としての役割も果たします。

黄色は色調によって、暖色と寒色の両方の役割を担います。暖色であれば、昂奮や幸福感を演出するのに適しています。逆に、寒色であれば緊張感を感じさせます。あるいは、その視認性の良さから、「注意」を連想させるため、信号や看板などに使用されることも多い色です。そのため、危険物としての演出にも黄色は適しているわけです。

このように、色調で情景描写や美意識を表現する、梶井基次郎の繊細さが檸檬の特徴に集約されているのです。

むしろ檸檬だったからこそ、ここまで繊細な心情を表現することができたのだと思います。

「不吉な塊」と「檸檬」の対比

逆に憂鬱なものの象徴として、「丸善」が取り上げられます。いわゆる、かつての自分が惹かれていた高級品や西洋雑貨が陳列されるデパートです。

冒頭に「精神疾患や借金は問題ではない」と綴られていますが、物語を読み進めていくと、主人公は貧困にかなり苦心していることが分かります。事実、丸善の中の物が借金取りを想起させるくらいには精神的に参っているようです。

つまり、生活苦という憂鬱の象徴として、高級品が並ぶデパート丸善が描かれていたのでしょう。

そして、主人公は現実逃避の役割を果たす美の象徴「檸檬」を爆弾に見立てます。それを美術の棚に置いて帰り、丸善が大爆発する様子を想像します。

美の象徴を使って、憂鬱の象徴を破壊することで、「不吉な塊」から逃れようとする主人公の心理描写が表現されているわけです。

それはまさしく文中にも綴られている、「現実の自分自身が見失われる感覚」の最高峰なのでしょう。

丸善のデパートに並ぶ高級品は、以前の自分の趣味嗜好でした。あるいは、美術画集などはかつて自分が好み味わっていた思想の一部です。それらを破壊する行為は、自己の存在を消滅させる行為に等しいように思われます。少なからず主人公の中に破滅願望のようなものがあったのでしょう。

梶井基次郎は、想像上のテロリズムによって現実逃避を図り、その先にある退廃的な美の救いを追求していたのかもしれません。

かの三島由紀夫は『金閣寺』という小説の中で、美しいものは消滅する瞬間に最も美しい姿を露呈すると表現しました。対する梶井基次郎は、美しいものが憂鬱を巻き込んで消滅するテロリズムに美を見出したのでしょう。いずれにしても、美の本質を追求すれば、消滅する刹那的なものに行きついてしまうのかもしれません。




『檸檬』ゆかりの書店

最後に考察ではなく、豆知識になります。

作中で主人公が檸檬を購入した果物屋は、京都の寺町二条の角に実存する「八百卯」というお店がモチーフのようです。現在も果物、フルーツ雑貨を扱うお店として営業されているみたいです。

同じく作中に登場する丸善も、実際の「丸善京都本店」がモチーフのようです。2005年に一度閉店しましたが、2015年に復活し現存です。

ちなみに、かつての丸善の閉店時には、文学ファンたちがこぞってレモンを置いて帰るという、いたずらのような、愛情のこもった事件が起こったようです。

文学を愛する人なら、一度は京都に足を運んで、美と憂鬱の大爆発の軌跡を辿ってみるのもいいかもしれませんね。

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以上、梶井基次郎の『檸檬』のあらすじと考察の説明を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。




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