中村文則『何もかも憂鬱な夜に』あらすじ解説|光と闇と芸術

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何もかも憂鬱な夜に 散文のわだち

中村文則の小説『何もかも憂鬱な夜に』は、初期作品に通づる人間の闇に迫った強烈な作品です。

孤児という過去を持ち、親友を自殺で失い、刑務官として人の死に向き合う主人公の物語です。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者中村文則
発表時期  2009年(平成21年)  
ジャンル長編小説
ページ数200ページ
テーマ人間の光と闇
死生観
死刑制度

あらすじ

あらすじ

孤児院で育った過去、刑務官として受刑者と向き合う日々。主人公は正と悪の境界線を彷徨いながら、精神的にギリギリな生活を送っています。

彼の陰には学生時代に自殺した友人「真下」の存在が関係しています。自分も真下のように破滅する運命なのか、はたまた受刑者のように悪に堕ちる運命か。破滅寸前の精神状態の主人公をかろうじて繋ぎ止めていたのは、かつて孤児院で自分の世話をしてくれた施設長の存在でした。

「自殺と犯罪は、世界に負けることだから」

死刑宣告された20歳の青年「山井」との出会いが主人公の人生に影響を与えます。かつての施設長のように山井と精一杯向き合うことで、主人公は光の存在を肯定し、闇からの脱却を図るのでした。

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個人的考察

個人的考察-(2)

主人公が抱える闇の強迫観念

お前は俺に似てる、と真下は僕に言い続けた。お前は俺に似てる。すごく似てる。だから、ただじゃ済まない。ただじゃ済まないよ。

『何もかも憂鬱な夜に/中村文則』

大人になった主人公の精神状態がギリギリだったのは、自殺した真下の言葉に捕われていたからでしょう。

自分も真下のように破滅してしまう運命なのだろうか、そういう強迫観念が主人公を苦しめていたのだと思います。

自殺をする前から真下は、自らの運命を悟るような言葉を口にしていました。運命や宿命といったものは人間の核であり、自分の本質が闇であれば、いずれ人生のどこかの段階で現れてしまう、と言うのです。当時の主人公は「ただの傾向に過ぎない」と反論していましたが、真下の自殺によって、本質的に避けられない運命を意識下で認めてしまっていたのだと思います。

あるいは、佐久間という受刑者と病院で再会した際に、「あなたはこっち側の人間だ」と言われ、主人公が酷く取り乱す場面がありました。真下と同様、佐久間の言葉も自分が破滅する運命を示唆していたために、激しく抵抗の意思を示したのだと思います。馬乗りになって仮病であることを認めさせたかったのは、自分と佐久間が同じ側であることの虚偽を証明したかったからでしょう。

ましてや刑務官として受刑者と向き合う立場だからこそ、こちら側とあちら側の境界線のフェンスが簡単に飛び越えてしまえるほど低いことを知っていたのでしょう。自分が今にも飛び越えるやもしれない、という危機感が主人公を苦しめていたように思います。

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施設長という唯一の光

「自殺と犯罪は、世界に負けることだから」

施設長の存在や、彼が口にした台詞は、主人公にとって唯一の光でした。真下のように自殺したり、佐久間のように罪を犯したり、闇に陥りかねない主人公を繋ぎ止める最後の糸だったのでしょう。

ところが主人公にとっては恩師の言葉もある種の強迫観念になっていたように思います。恩師の存在があるから、いっそのこと闇に落ちれば楽になれるかもしれない、という思考に振り切れずに苦しんでいたのではないでしょうか。

事実、主人公はトイレで酔い潰れた男や自動販売機の前の男を蹴り飛ばす行為に、妙な安堵を感じていました。あるいは、ひと気のない駐車場で女の首を締めようともしました。境界線を彷徨い続けている主人公は、闇に堕ちて楽になることに愉悦しかけていたのだと思います。

ところが突発的な衝動をいつも完遂できないのは、施設長の存在、つまり他者という唯一の光があったからでしょう。

「あの人」になることで克服

20歳で死刑宣告された山井と出会ったことで、主人公の精神状態は大きく変化したように思われます。

かつて施設長が自分に与えてくれたものを、主人公は山井に与えようとします。山井にとっての施設長的な存在になろうとしていたのです。

前述の通り、主人公がかろうじてフェンスを飛び越えずにいられたのは他者の存在があったからです。ともすれば、自殺した真下には他者の光がなかったから闇に堕ちてしまったことになります。つまり、自分が真下にとっての他者になり得なかったことを酷く後悔していたのだと思います。

「俺はお前の弟じゃない」

真下のこの言葉は、主人公が彼にとっての他者になれなかった事実を象徴しているように思われます。

あるいは、受刑者の佐久間に固執していたのも同じ理由でしょう。佐久間の違反行為を黙認して出所させた結果、彼はすぐに強姦を犯しました。自分のせいで新たな被害者が生まれたという罪の意識を主人公は感じていたのでしょう。

自分が他者にとっての光になろうとすれば、場合によってはその人を深い闇に堕とす可能性がある、と真下や佐久間の経験から主人公は学んでいたように思います。ある種のコンプレックスだったのかもしれません。自分は施設長のようにはなれないという。

その恐怖と立ち向かってでも山井にとっての施設長的な存在になろうとしたのは、主人公にとっての克服を意味していたように思います。

施設長が与えてくれたものに対する肯定、自分が闇に堕ちることはないという意思表明が含まれていたのではないでしょうか。なぜなら自分が闇に堕ちれば、施設長に同じような恐怖を与えることになるのですから。その可能性を払拭して初めて、主人公は他者にとっての光の側に立てたのだと思います。

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文化・芸術の素晴らしさ

主人公を繋ぎ止めていたのは施設長の存在でしたが、具体的には彼が教えてくれたレコードや映画や本などの文化・芸術が大きく関係していました。

自分の判断で物語をくくるのではなく、自分の了見を、物語を使って広げる努力をした方がいい。そうでないと、お前の枠が広がらない。

何もかも憂鬱な夜に/中村文則』

世の中に存在する素晴らしいものをまだ知らない主人公に対して、文化芸術は自分の知見や世界を広げるものだ、と施設長は主張していました。文化・芸術を味わって考えることで、自分で世界に意味を与えられると言うのです。

生に対する自分だけの意味を見出すには文化・芸術が不可欠であることを施設長は教えてくれていたのでしょう。運命に脅迫された主人公の閉塞的な知見には、レコードや映画や本を味わって考える行為が必要だったのですね。

ある種の克服を経験した後の主人公は、芸術や文化に対する見識を口にします。サルトルの『出口なし』という書籍が今では手に入らないことに対して、「ちゃんと素晴らしかったんだから、それでいいんじゃないかな」と主張する場面です。「世の中の需要」が「作品の素晴らしさ」ではないことを訴え、享受する人のみが得られる恩恵、つまり施設長が与えてくれた思想を肯定していたのだと思います。

受刑者である山井にとっての施設長的な存在になろうとした主人公は、文化・芸術を山井に授けました。山井はバッハの『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』の素晴らしさを手紙に記し、こんな素晴らしいものを他者から奪ったという罪の意識を実感していました。

もっと早くにしかるべき他者と出会い、芸術の洗練を受けていたら、山井や真下のような人間の運命は変わっていたのかもしれない、と強く思いました。それだけ芸術が持つ力は偉大なのでしょう。

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死刑制度について

本作では死刑制度に対する見識が強く語られています。

同じ人数を殺しても死刑になる人間とならない人間がいて、世間がどれくらい騒ぐかという私情が入り込み、18歳という根拠のない年齢基準で要否が決まる、そういう不完全な死刑制度の虚偽を訴えていました。死刑という線引きは人間が扱えるものではないということです。

被害者の遺族からすれば、犯人が死刑になることを望むのは当然ですが、犯人と遺族の間に入り込む刑務官がいることも事実です。刑務官という国民感情の代行者が死刑を実行する様子を生々しく描くことで、我々が目を背けたくなる問題を露呈していたように感じました。

これらの問題は決して死刑制度に限った話ではなく、国民感情や大衆の意見などは、いつも実際の現場を無視している、という利己的な人間の実態を露呈していたのではないでしょうか。

主人公も死刑制度に対する個人的な見識を最後に少しだけ述べていました。「人間」と「人間の命」は別物という考え方です。殺人を犯した罪は全てその人間にあるが、人間の命に罪は無いと主張していたのです。

これはかつて施設長に言われた、アメーバから繋がる何億年の線が途切れずに続いて今の自分がいる、という考えいに起因しているでしょう。つまり、その線を人間の曖昧で不完全な判断で切ることはあってはならない、という死刑制度に対する反対的な意見が含まれていたのかもしれません。

冒頭に綴られた、鳥を飲み込んだ蛇が人間の手で腹を裂かれ、川に流される描写も、ある種の死刑制度のメタファーとして描かれていたように思われます。

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海の女の死体とは

主人公の強迫観念の中には、「海で裸の女に自分が何かをしようとしている」という漠然としたイメージがありました。幼少の頃の最初の記憶として残っていたのです。

かつて引き取られた里親には、海に行ったことなどないと言われていましたが、主人公の中には何故かそのイメージが残っています。

その犯罪的イメージが主人公の人間性を象徴しているのではないか、と真下には言われていました。父親が母親を殺して、見ていた赤ん坊の主人公が罪の意識を錯覚したのではないか、という推測です。そのように言われた主人公は真下と会わなくなます。自殺前に最後に交わした会話になりました。

実際に「裸の女」が何を象徴していたのかは明かされていません。又吉直樹の解説にも、読者が自由に解釈する部分だと記されていました。

もちろん真下の言うように、殺された母と取り残された自分の記憶が潜在的に残っていたのかもしれません。

個人的には「何かをしようとしている」という部分から、母親に対する憎悪のようなものが感じられます。駐車場で女の首を締めた行為は、自分を捨てた母親に対する憎悪のメタファーだったのではないでしょうか。

女の記憶は犯罪という闇に堕ちる行為を象徴するイメージで、そのイメージから解放された時、つまり母親との和解、ないしは『土の中の子供』で描かれた、自分には初めから両親がいないという選択によって初めて、主人公は本当の意味で解放されるのかもしれません。

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