中島敦の色男エピソード 生い立ちから死因まで逸話を紹介

中島敦EP 文豪のわだち
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義務教育を経た我々は、これまで多くの文学作品に触れたことでしょう。午後の汗ばんだ教室で、まぶたに優しい澱みを感じながら、先生の声が意識の外側で鳴っていた記憶。

果たしてあの時の授業の題材は、芥川龍之介か、宮沢賢治か、夏目漱石か。

彼らの文学作品は、今もなお教科書に掲載され、普遍的な問題提起を与えてくれます。

今回紹介する中島敦も現代文の教科書でお馴染み、昭和初期を代表する小説家です。

意外過ぎる逸話にイメージが180度変わるかもしれません・・・

中島敦のプロフィール

ペンネーム中島敦(33歳没)
生没1909年ー1942年
(明治42年ー昭和17年)
出身地(現)東京都新宿区
主題知識人の孤独と苦悩
芸術家の自我と悲劇
存在の形而上学的不安
代表作『山月記』
『文字禍』
『李陵』
『光と風と夢』

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虐待を受けて育った

中島敦は昭和初期を代表する作家です。太宰治と同じ1909年生まれ、と紹介すれば時代感が把握しやすいかもしれません。

父が旧制中学校の漢文の先生で、祖父は江戸時代の漢学者でした。中島敦の小説に感じる漢学の教養は、家柄が影響しているみたいです。

母も小学校の教員だったのですが、常識外れな性格で、家事も出来なかったことから、親族たちによって離婚させられます。当時の中島敦は2歳でした。その後は祖父母に世話をしてもらい、6歳の頃には父が再婚します。

この再婚が悲劇の始まりでした。新しくやって来た継母は中島敦に虐待をしたのです。

後に中島敦は、自分の妻に当時の虐待の様子を次のように語っています。

  • 庭の木に縛り付けられた
  • おやつにキャラメル1個しかもらえなかった
  • 虐待の時にヒステリーになる継母を見るのが辛かった

妻に語った内容はほんの一部で、実際はもっと多くの虐待を受けていたと考えられます。大人になっても記憶に残っている点から分かるように、継母の虐待は中島敦の心に大きな傷を残したのでしょう。

神童と呼ばれるほどの天才

1920年に父の転勤によって、中島敦は当時日本の植民地だった朝鮮に移住することになります。この地で過ごした小学校、中学校時代に、中島敦はその秀才ぶりを発揮します。

中学1年生の頃には既に、儒教の経書である「四書五経」を読破しています。彼の作品には孔子の師弟を題材に描いた『弟子』という作品があります。その他の作品でも儒教的な思想が落とし込まれていますが、その関心は僅か13歳の頃には芽生えていたようです。

友人の回想による証言からは、中島敦の明らかな天才ぶりが見て取れます。

  • 勉強している素振りを見せたことはないが、全教科殆どが満点だった
  • 『忘れる』ということが分からない」と言って首を捻っていた
  • 普通常識では計れない桁外れのものを持っていた
  • 漢文の授業では中島敦の質問攻めで先生がたじろいでいた

通常は5年間通う旧制中学校を4年で修了する秀才ぶりを発揮した中島敦は、18歳の頃に家族を残して、日本に帰国します。そして日本一の秀才学校である第一高等学校、つまり現在の東京大学に進学しました。

この第一高等学校時代に、中島敦は作家になる志を固めています。実際にこの頃には執筆活動を始めており、雑誌掲載も経験しています。

第一高等学校卒業後は、東京帝国大学に進学し、永井荷風、谷崎潤一郎、正岡子規、上田敏、森鷗外らのほぼ全作品を読むなど、文学の世界に没頭していきます。




実は遊び人、しかもデキちゃった婚

比類のないエリートぶりで東京帝国大学まで進学した中島敦。文学の芸術思潮である「耽美派」についての卒論を完成させました。まるで品行方正なエリートの鏡といった印象を思わせます。ともすれば大学教授を勤めながら小説を執筆する人生が容易に想像できます。

ところが、中島敦は実は遊び人だったという証言も残されています。

小説家を志すものの、この頃は殆ど執筆を行なっておらず、ダンスホールや雀荘に通うなど、堕落していたようです。満州を旅行した際には、朝鮮の旧友の家に泊まり、夜には一人で色街に姿をくらましたようです。

中島敦の作品や顔写真からは想像できないくらいの、肉食系、遊び人の素行であります。

雀荘に通っていた中島敦は、そこで働く橋本タカに一目惚れします。ところが既にタカは従兄弟の許嫁でした。しかしタカは従兄弟と結婚することに近親相姦的な感情を抱いており、気乗りしない様子でした。それを知った中島敦は、タカの従兄弟に次のような手紙を送り、自分にタカを譲るよう懇願します。

「男一匹頭を下げてのお願いでございます。何卒何も言わずに叶えて下さいまし」

男一匹」がオラついている印象を与えて、どうにも中島敦の印象にそぐわないです。やはり彼は肉食の遊び人、だけど義理は通す男臭い性分だったのかもしれません。

手紙を送った結果、従兄弟は納得せず、タカの叔母は激怒して中島家に乗り込んで来ます。その直談判では現在の75万円相当を支払うことになり、紆余曲折した結果、とうとう中島敦はタカを略奪することに成功します。

ただし、親類の手前、大学を卒業するまでは入籍を許されませんでした。卒業までは別々に暮らすことを余儀なくされたのですが、ちょこちょこ会ううちに、タカのお腹に子が宿ります。結果的に、当時あまり世間的にイメージのよくない、できちゃった結婚になったのでした。

ダンスホールや雀荘、略奪愛からのできちゃった結婚。なかなかのやり手ですね。

モテモテだった女学校の教員時代

当時は酷い就職難だったため、大学を卒業した中島敦は、なかなか定職に就けずにいました。最終的には祖父のつてによって、横浜高等女学校の教員に、単身赴任で働き始めます。国語、英語、歴史、地理を教えるなど、やはり彼の秀才ぶりは現存でした。

ちなみに中島敦が教員を務めていた時期には、かの大女優、永遠の処女と称された原節子が在籍していたようです。

見かけによらず快活な性格の中島敦は、女生徒から人気がありました。特に狂酔する女生徒が2人居ました。彼女たちは中島敦の授業が始まる前に教卓に薔薇の花を飾るという大胆な愛情表現を行なっていたようです。

あるいは、数学の教師が病気になり、代理で中島敦が授業をした時のことです。中島敦は数学が担当外であるにもかかわらず、彼が授業をしたクラスが数学のテストで学年1位を記録したようです。彼の巧みな教え方も当然ですが、それ以上に女生徒のモチベーションを刺激するだけの人気があったのでしょう。

女生徒から随分なモテっぷりですが、一方で教員時代に彼は酷い苦悩を抱えていました。その心境が『かめれおん日記』という作品に綴られています。

小説家としては日の目を見ず、やりたくない職業に安住した結果、「自分とは何なのか?」「幸福とは何なのか?」といった類の懐疑に苦しんでいたようです。

快活で人当たりが良く、周囲から人気がある意外な中島敦像を紹介しました。それはある種、道化としての人格だったのかもしれません。太宰治のように、内面の自分と外面の自分のギャップが大きすぎる、破滅的な種類の文豪だったとしたら、納得がいきます。




短命な作家の悲し過ぎる最期

もとより病弱な中島敦は、喘息の悪化によって教員を続けることが困難になり、当時日本の植民地だったパラオで転地療養します。ところが雨季の多いパラオではかえって病状が悪化し、赤痢やデング熱に感染し、非常に苦しむことになりました。

パラオ時代に中島敦は精力的に小説を執筆し、交流のあった深田久弥という作家に原稿を託します。外国にいる身ですから、彼を経由して日本で雑誌掲載してもらおうと考えたのです。ところが、深田はそれまでの中島敦の作品をあまり評価しておらず、原稿を読まないまま半年が経過しました。

ようやく中島敦の原稿に目を通した深田は、たちまち作品に魅了され、文芸雑誌「文學界」に推薦し掲載が決まります。それがかの有名な『三月記』と『文字禍』の2作品です。

その後も精力的に執筆を続け、『ジキル博士とハイド氏』で有名な英国作家スティーヴンソンの生涯を描いた『光と風と夢』が芥川賞候補に選ばれます。

惜しくも受賞とはなりませんでしたが、川端康成は評価していたようです。これを機に作品集も出版され、ようやく小説家としての夢が叶ったのでした。

ところが、パラオから日本に戻って間も無く病状が悪化し、帰国した年の暮れに亡くなってしまいます。

死ぬ間際に、中島敦が泣きながら口にした言葉が有名です。

書きたい、書きたい

俺の頭の中のものを、みんな吐き出してしまいたい

ようやく小説家としての夢が叶った矢先のことでした。その憐れな運命のために、彼は最期まで執筆に対する想いを諦められないまま、無惨にも死んでいったのでした。

あまりに短命であるため、生涯で20数作品余りしか遺していません。ところが、今では教科書に絶対に掲載される偉大な文豪として、日本の文学史にその名を刻んだのでした。

才能を全て作品に昇華できなかった彼のことを考えると、いつも胸が苦しくなります・・・

中島敦のおすすめ作品10選

『山月記』は、おそらく多くの人が現代文の授業で触れたことがある作品だと思います。

ところで、その他の作品を読んだことがある人は極めて少ないでしょう。

しかし!『山月記』以外にも素晴らしい作品がございます。むしろ数少ない20数作品、全てが傑作と読んでも差し支えありません。

下記記事で、中島敦のおすすめ小説10選を紹介していますので、是非ご覧ください。

中島敦の名言・格言

人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い。

山月記

全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分からずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。

山月記

それでもまだお前は、傍観者の地位に恋々として離れられないのか。物凄い生の渦巻の中で喘いでいる連中が、案外、はたで見るほど不幸ではない(少なくとも懐疑的な傍観者より何倍もしあわせだ)ということを、愚かな悟浄よ、お前は知らないのか。

悟浄出世

自由な行為とは、どうしてもそれをせずにはいられないものが内に熟してきて、おのずと外に現われる行為の謂いいだ。

悟浄歎異 ―沙門悟浄の手記―

俺といふものは、俺が考へてゐる程、俺ではない。俺の代りに習慣や環境やが行動してゐるのだ。之に、遺傳とか、人類といふ生物の一般的習性とかいふことを考へると、俺といふ特殊なものはなくなつて了ひさうだ。

かめれおん日記

昔、私は、自分のした事にいて後悔したことはなかった。しなかった事に就いてのみ、何時も後悔を感じていた

光と風と夢

悪は一時栄えても結局はその報いを受けると人は云う。しかし、善人が究極の勝利を得たなどという例はほとんど聞いたことさえ無い。何故だ?天は何を見ているのだ。そのような運命を作り上げるのが天なら、自分は天に反抗しないではいられない。

弟子




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