ハクスリー『すばらしい新世界』あらすじ解説|ディストピア小説の金字塔

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すばらしい新世界 イギリス文学

ハクスリーの『すばらしい新世界』は、ディストピア小説の源流にして最高傑作である。

オーウェルの『1984』と双璧で、SF小説に限らず20世紀イギリス文学の最高峰に位置づけられている。

物語の舞台は2540年の英国。全ての人間は人工授精で生まれ、条件付け教育によって不満を抱くことのない、完全に幸福なユートピアが描かれる。

こんな世界ならありかも、と不覚にも思ってしまう、他のディストピア小説とは異なる明るくて諧謔に満ちた物語が特徴だ。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語を詳しく考察していく。

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作品概要

作者オルダス・ハクスリー
イギリス
発表時期1932年
ジャンル長編小説
ディストピア小説
SF小説
ページ数359ページ
テーマ完璧なユートピア
 文学や宗教が不要な社会 
真実と幸福の対立

あらすじ

あらすじ

2049年に勃発した「九年戦争」の終結後、すばらしい新世界が誕生した。

人類は人工授精で製造され、親や家族や結婚の概念が存在しない。彼らは生まれつき階級や知能や体格を決められ、赤子の頃から洗脳教育を受け、自分の環境に疑問を持たないよう条件付けされている。そして大量消費、感覚映画、ソーマと呼ばれる魔法の薬で、完全に生活に満足している。さらに個人や所有の概念もなく、不特定多数とセックスをするのが健全とされている。

ここまで徹底された幸福な社会に疑問を抱く人間が現れる。出生過程におけるミスが原因か、バーナードは同じ階級の人間に比べて体格が劣っているせいで孤立していた。友人のヘルムホルツもまた、優秀すぎるため孤立していた。孤立ゆえに彼らは「個」という概念に近づきつつあった。

ある日バーナードは、レーニナという女性を誘って蛮人保存地区へ行く。そこには前時代の習慣を持つ蛮人が閉じ込められている。彼らは宗教や書物や伝統を持ち、それは文明人には理解できない不潔なものだった。そして蛮人保存地区に、文明人のリンダと、その子供のジョンが迷い込んでいた。バーナードは彼らを文明社会に連れて帰る。

前時代の価値観を持つジョンは、物珍しさから一躍時の人となるが、彼は文明社会の価値観に馴染めず徐々に病んでいく。ジョンを最も苦しめたのは恋愛だ。彼はレーニナに恋心を抱くが、フリーセックスが健全とされる文明社会では、彼の一途でプラトニックな愛は理解されない。それが原因で彼の愛は憎悪へと変わっていく。

さらに母親のリンダが病死する。そこへ大勢の子供が連れて来られ、「死を恐れない条件付け教育」が施される。それを見たジョンは怒りのあまり暴れて逮捕される。

文明社会を追放されたジョンは、多くの野次馬に追い回される。そしてレーニナが訪れた瞬間に狂乱に駆られ、我を忘れて彼女に襲いかかる。そして後日、記者がジョンの元を訪れると、彼の体は宙にぶら下がっていた。

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個人的考察

個人的考察-(2)

ディストピア小説の金字塔

ハクスリーの『すばらしい新世界』は、オーウェルの『1984』と共に、ディストピア小説の金字塔とされる名作である。SF小説の全集には必ずこの2作が収録される。

しかし『すばらしい新世界』は、『1984』より17年も先に刊行され、あらゆるディストピア小説の源流になった作品と言われている。

■ディストピアとは

ディストピアとは文字通りユートピアの対義語である。機械文明の発達により、人間らしい生活が失われた社会を指すことが多い。

だが突き詰めれば、実現不可能なユートピアの成れの果てがディストピアとも言える。それは例えば、理想を追求した社会主義革命が決まって恐怖政治に転じたように、理想と腐敗は表裏一体なのだ。そして多くのSF作家はアンチユートピアの立場で、ファシストや全体主義や管理社会を風刺してきた。

ではなぜユートピアは実現不可能なのか。それは万人が満足する理想など存在しないからだ。ある者にとって理想的な社会システムを構築すれば、必ずそれに不満を抱く者が現れる。

なら社会システムの変革ではなく、人間そのものを改造すればいいのではないか。格差や不平等を縮小して最大幸福数を上げるのではなく、格差や不平等があってもそれに不満を感じないように人間を作り変える。

それがハクスリーの『すばらしい新世界』だ。

■フォードを神と崇める社会

物語の舞台は西暦2540年のイギリスだ。「九年戦争」という最終戦争の終結後、人類は共生と安定をスローガンにした新たな文明社会を作り上げた。

その社会では何よりも安定を重視し、人間は徹底的な労働力と、大量生産・大量消費の歯車として社会を循環させている。個性や自由といった危険な考えを抱かぬよう、宗教や文学や哲学や思想などは全て排除されている。

そしてこの社会では、大量生産を象徴する自動車会社の創始者フォードを神と崇め、西暦に代わって「フォード紀元」が採用されている。

ここまでは他のディストピア小説とさして変わらない。しかし『すばらしい新世界』では、この安定状態を恐怖政治によって維持しているのではなく、人間そのものを改造することで維持しているのだ。

■人工授精で生まれる人間

『すばらしい新世界』では、全ての人間は人工授精によって培養ビンから生まれる。

1つの受精卵から最大1万6千の胎児を分芽させる。常に大量の赤子を生み出せるので、経済活動の欠陥となる少子高齢化は起こらず、徹底的な労働力を確保している。

全ての人間は培養ビンから生まれるので、家族や親や結婚という概念が存在しない。他者との感情的な深い繋がり(愛憎)こそ人間を不幸たらしめるので、他者との精神的な繋がりは排除されている。

そして培養ビンから生まれた子供は5つの階級に分類される。上位2つの階級は知識人や指導者、下の3つの階級は労働者である。

ともすれば下位の階級に生まれた人間は不幸ではないか。いや、そんなことはない。彼らは現状に幸福を感じるよう、赤子の頃から条件付け教育が施されている。

■条件付け教育

培養ビンから生まれた赤子は、様々な心理的洗脳によって、労働に愉しみを感じるよう条件付けされている。

例えば、将来ロケット飛行機のエンジニアになる子供には、直立の時に飢餓感を与え、逆さまの時に満腹感を与えることで、飛行中の環境に幸福を感じるよう耐性をつけさせる。同じ方法で、科学工場で働く子供には、鉛や塩素などの科学物質を好むよう耐性をつけさせる。

逆に現状に疑問を抱くきっかけとなる、書物や自然美(人間を感情的にさせるもの)などを見せる時にはパブロフの犬のように電流を流す。すると彼らはそれらを見ると生理的な嫌悪を感じるようになり、大人になっても知識や感性を養うことはあり得ない。

そして睡眠中にはスピーカーからプロパガンダ音声を流す。すると彼らは自分より上の階級の人間は自分より不幸で、今の自分の階級が最も幸福だと感じるよう、潜在意識に刷り込みが施される。

そのほか徹底された条件付けによって、人々は自分の階級や環境に疑問を抱かず、むしろ現状に幸福を感じるよう初めから作り上げられているのだ。

■3S政策さながらの生活スタイル

GHQが日本を占領するにあたり、大衆の関心を政治に向けさせないよう3S政策を実施した。

・screen(スクリーン=映画鑑賞)
・sport(スポーツ=スポーツ鑑賞)
・sex(セックス=性欲)

これら3つのSによって、大衆を愚民と化したのだ。

『すばらしい新世界』でも、3S政策さながら人間に思考を起こさせる「暇な時間」が排除されている。

五感で愉しむ感覚映画はじめ娯楽が溢れ、自分で何かを考える瞬間は存在しない。そもそも独りきりの時間が不健康とされ、仮にも独りよがりな人間がいれば「ヤバいやつ」と感じるよう条件付け教育がなされている。

そして所有という概念も存在せず、ひとりを愛するのは倫理に反し、不特定多数とセックスをするのが健康的とされる。子供の頃から「桃色ごっこ」と呼ばれる乱行を義務付けられ、面倒なデートや告白やアプローチがなくとも、気軽にセックスができるのだ。そしてひとりの相手を愛する一途な概念が存在しないため、嫉妬や独占欲などの愛憎に苦しむこともない。

とはいえモテる人間とモテない人間の間に不平等が生じる。だが彼らは1つの受精卵から分芽した個体なので、知能や容姿は同レベル、そして条件付けで性格も統一されているため、気に病むほどの不平等はなく、誰もがセックスに飢えない状態が実現されているのだ。

万が一精神的に苦しくなれば、ソーマと呼ばれる魔法の薬で、幸福な世界へトリップできる。副作用が全くないため、人々は常に元気で幸福な状態を維持できるのだ。

まさに完璧なユートピアである。万人が現状に満足しているので文句のつけようがない。

もちろん我々読者からすれば、倫理的な問題を糾弾したくなる。しかし作中に記される通り、倫理など時代によって変化するし、万人が望むならそれが正しい倫理なのだ。

しかし何かトラブルが発生しないと小説として物語は展開しない。そう、この完璧なユートピアに疑問を抱く人間が現れるのだ。

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ユートピアに馴染めない人間

ここまで徹底されたユートピアでも、なぜか上手く馴染めず、疑問を抱いてしまう人間が生じる。それがバーナード、ヘルムホルツ、ジョンの3人だ。

ユートピア側からすれば、彼らは不幸な人間であり、そして排除すべき不穏分子である。

■バーナードの場合

バーナードは最上階級に属し、人工授精を行う「条件付けセンター」で働く優秀な人間だ。

しかし彼は出生における何らかのミス(受精卵の時に血液にアルコールが混じったと噂されている)のせいで、同じ階級の人間に比べて背丈が低く、下の階級の人間と外見が近いことに屈辱を感じている。

自分はみんなと違うという劣等感は、その人間を孤独にする。彼自身、人付き合いを避け、望めば誰とでも寝れるフリーセックスの社会で孤立している。そして孤独な人間は、自我や自意識を養うことになる。

自我を養うということは、「個」という概念に近づく恐れをはらんでいる。実際に彼はレーニナという特定の女性に、個人的で精神的な繋がりを求めるようになる。しかしレーニナからすれば、セックス以外の目的で自分に近づくバーナードの意図が全く理解できない。

当初はバーナードが主人公に思えるが、そうではない。レーニナと蛮人保存地区に行き、そこでジョンという青年と出会い、彼を文明社会に連れて帰ったことで、物語の中心はジョンに移り変わる。

というのも、ジョンを連れて帰った手柄で人気者になったバーナードは、あっさりと現状に満足してしまうからだ。彼は単に容姿の劣等感で孤立していたに過ぎず、自分が社会の一員として認められさえすれば、社会秩序は素晴らしいものであり、ゆえに彼はいとも容易く社会と和解してしまう。

■ヘルムホルツの場合

ヘルムホルツも最上位の階級に属し、感情工科大学の講師を務めている。講師の傍ら感覚映画の脚本を書いたり、スローガンやプロパガンダ文を考えるエリートである。

彼の場合はバーナードと対照的に、優秀すぎるため、「個」という概念に近づきつつある。

実際に彼は感覚映画の脚本やプロパガンダ文を考える一方で、この社会が規定する表現とは違う独自の表現を生み出したいと考える。しかし芸術や文学や宗教が消滅した社会では、一体何を表現すればいいのかが分からない。

そんな彼のもとに、蛮人保存地区から来たジョンがシェイクスピアの作品を持ってくる。彼はシェイクスピアに自分が求めていた表現の可能性を見出しかけるが、それは実現しない。というのも彼はあくまで条件付け教育を施された人間だ。『ロミオとジュリエット』の内容を聞かされた彼は、恋愛に苦しむ登場人物の気持ちが理解できなくて、溜まらず吹き出してしまう。

そう、このフリーセックスの社会では、恋愛に苦しむなんていう概念が存在しない。赤子の頃から道徳教育を施された彼は、いくら優秀であろうと、独自の表現を生み出す思考が奪われているのだ。

■ジョンの場合

唯一ジョンだけが、蛮人保存地区の出身で、文明社会の価値観に毒されていない。

彼の母親リンダは文明社会の出身だが、旅行で蛮人保存地区を訪れた際に、崖から落下する事故に見舞われ、そのまま蛮人保存地区で暮らすことになった。そこで出産したのがジョンだ。

ジョンは複雑な境遇だった。文明人の母親から生まれたのだが、そもそも文明人に母親という概念は存在しないため、彼は文明人になり得ない。かといって蛮人からも疎外されていた。フリーセックス社会出身の母親が、当然のように妻子持ちの蛮人と関係を持ったことで、彼らは蛮人から睨まれ除け者にされていたのだ。文明人でも蛮人でもないジョン。

そんな彼は幼い頃からシェイクスピアを読んで育った。文明社会出身のリンダには母親の自覚がなく、あらゆる感情が欠落しているため、彼は文学でそれを埋め合わせた。『ロミオとジュリエット』で愛情を知り、『ハムレット』『オセロ』で憎しみや復讐心を学んだ。それらの感情は不幸の発端になるものとして、文明社会が遥か昔に手放したものだ。ジョンはそれらの感情を携えて文明社会に行ったことで悲劇を経験することになる。

ジョンを苦しめたのはレーニナとの恋愛だ。特定の相手を愛する概念の中で育ち、母親という精神的な繋がりを持つジョンにとって、恋愛は単なる性欲の吐口ではない。愛ゆえにプラトニックな関係を望んだり、セックス以外の深い繋がりを求めてしまう。しかし文明人のレーニナにはそれが理解できない。自分のことを好きと言ってくれたのになぜ彼は手を出さないのか。そして二人の関係は次第にこじれていく。

愛するレーニナが誰とでも寝るという事実は、ジョンに憎悪を芽生えさせた。これはシェイクスピアの『オセロ』と重ねて描かれている。オセロは恋人のデズデモーナが男と密会している噂を信じて嫉妬に怒り狂い、彼女を売女と罵って殺してしまう。このオセロの憎悪を拝借するかのように、ジョンはレーニナに暴力を振るうようになる。

追い討ちをかけるように母親のリンダが死ぬ。母親の死を悲しむジョンだが、母親という概念が存在しない文明人にとって、彼の悲しみは理解不能である。さらに文明人は子供の頃から死を恐れない条件付け教育を受けている。実際に条件付け教育のためリンダの病床に大勢の子供が連れてこられ、彼女の死を侮辱するように騒ぎ立てる。それがジョンを発狂させた。病室で暴れたジョンは、駆けつけたバーナードとヘルムホルツと共に連行される。

そして彼は文明社会から追放されるのだった。

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ジョンはなぜ自殺したのか

文明社会を出て無人の土地で原始的な生活を始めたジョンは、罪の意識に苦しむことになる。

母親のリンダは死に際に、苦しまないよう魔法の薬ソーマでトリップしていた。トリップ状態の彼女は息子のジョンを、かつて関係を持った男と勘違いする。ジョンはそれが耐えられず母親の体を揺すって昏睡から目覚めさせようとする。目覚めたリンダはようやく息子のことを正確に認識するが、その代わり苦痛に悶えながら死んでいく。それが原因でジョンは自分が母親を殺したという罪悪感に苛まれる。

原始的な生活を始めたジョンは、書物から学んだ神にひれ伏し、自分の罪を罰するために自ら肉体に鞭打ちを加える。自らを傷めつけることで神との合一化(救済)を図ろうとしたのだ。

そんなジョンの行為が文明人の笑い種となり、多くの見物人が彼を茶化しにやって来る。その中には愛するレーニナの姿もあった。

レーニナを見た途端、ジョンは狂乱の渦に飲み込まれ、彼女に襲い掛かる。その後の描写は省略されているため判然としないが、おそらく興奮のままにレーニナを陵辱したのだろう。プラトニックな愛を求めていた彼が肉欲の罪を犯してしまったのだ。

肉欲の罪、それは彼が救いを求める神への冒涜を意味する。

神のことを考える人間であれば、悪徳の快楽によって堕落したりすることはないでしょう。

『すばらしい新世界/ハクスリー』

ジョンはこの自分の言葉に反して悪徳の快楽に堕落し、その結果、彼は神の名を連呼して嘆き苦しみ、耐えきれずに首を吊って自殺する。

そこで物語は幕を閉じる。

一見単なる悲劇の結末に思えるが、ここには1つの問題提起がなされていると考えられる。つまりジョンの悲劇は、宗教や文学を知ったために生じたのであり、文明人のようにそれらを放棄していれば、愛憎や母親の死や罪悪感に苦しむことはなく、自殺せずに済んだのだ。

いずれが人間にとって幸福なのか。それを断言できないところに本作の恐ろしい魅力が潜んでいる。

真実や美を必要としない幸福な社会

最後に本作の最重要テーマである、幸福とはいかなるものか、という問いに注目する。

その回答は、病院で暴れて連行されたジョン、バーナード、ヘルムホルツの三人に対して、世界統制官が話した台詞に集約されている。

かつての時代には、知識は最高の善で、真実には至高の価値があり、芸術は最大の美とされていた。それらは人間を慰めるものとしては役に立つが、幸福とは程遠いものだった。

知識を養って真実に近づけば、この世界の恐ろしく醜い正体を暴いてしまうことになる。そして芸術は世界の混沌に目を向けて生み出されるものだ。あるいは宗教だって、苦痛や死の恐怖から逃れたい願望から生み出され、おおよそ自己を咎める要素(悔恨)をはらんでいる。そんなものがどうして幸福と言えよう?

『すばらしい新世界』は、最終戦争以降の世界が舞台だ。人類は絶望を経験したことで、真実や美が何の役にも立たないことを学んだ。爆弾が爆発する最中に、真実や芸術が何の役に立つというのか。

本当の意味での安定した生活とは、真実から目を背け、閉鎖された空間に閉じこもることだ。社会が提供する安全な娯楽(映像コンテンツ)に逃避し、性的快楽に溺れ、そうやって真実から遠ざかるほど人間は幸福に近づく。むしろ真実に目覚めた人間は不幸になる。

我々読者が生きる現実世界に置き換えるとこうなる。我々が真実から目を背けたがるのは、どこかで戦争や飢餓に苦しむ人間を見ると胸が痛むからだ。あるいは我々が食欲や物欲を満たすために第三世界で虐殺される命が存在するなんて知りたくないからだ。それら真実から目を背けて、半径数メートルの自分の生活に閉じこもれば、人間は幸福でいられる。けれども人間には良心や道徳観があるので、時にそういう問題に目を向けようとする。

では戦争や飢餓が存在しなければ? 労働搾取される人間がその状態を望んでいれば?

そう、本作の世界では、生まれた頃から徹底的に条件付け教育がなされ、現状に不満を抱くことがなければ、死の恐怖を感じることもない。また科学技術によって死の直前まで肉体が衰えることもない。人工授精による大量出産で労働力が枯渇することもなく、大量生産・大量消費によって経済は潤滑に回っている。そして富は十分に分配されている。人間を不安にさせる要因が全て解決しているのだ。

ここまで完璧に社会秩序が安定しているのに、なぜ知識や芸術や宗教が必要なのか。

これはユートピアか、ディストピアか。

あなたはどう考える?

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