ドストエフスキー『賭博者』あらすじ解説|賭博で身を滅ぼした作者の実体験

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賭博者-(1) ロシア文学

ドストエフスキーの小説『賭博者』は、賭博で身を滅ぼす人々を描いた作品である。

ある悲痛な恋愛が原因で賭博に狂った作者の実体験が題材になっている。

なぜ人は賭博に狂い、身を滅ぼすのか。その普遍的なテーマを通じて、ロシアの国民性が鋭く批評される。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語を詳しく考察していく。

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作品概要

作者   ドストエフスキー   
ロシア
発表時期1866年
ジャンル長編小説
半自伝小説
ページ数375ページ
テーマ賭博狂いの末路
悲痛な恋愛
ロシアの国民性

あらすじ

あらすじ

ドイツの架空の街・ルーレテンブルクが舞台である。「将軍」に家庭教師で雇われるアレクセイは、その将軍の義娘ポリーナに恋している。だがポリーナはアレクセイの他、英国人アストリー、仏国人デグリューにも鎌をかけている。彼女が本当に好きなのは三人のうち誰なのか判然としない。一つ確かなのは彼女が金を必要としていることだ。

実は将軍は賭博で破産寸前で、仏国人デグリューから借金している。というのも将軍のお婆さんは富豪で、その遺産を担保にしているのだ。そして将軍はマドモワゼルという女にゾッコンなのだが、彼女は金持ちに寄生する悪女で、将軍の金が目当てなのだった。

お婆さんの遺産を待望する矢先、お婆さんがルーレテンブルクにやって来る。将軍が遺産を狙っていることを見抜き、一銭も相続しないと宣言する。これは将軍だけの問題ではなく、将軍に金を貸すデグリュー、将軍の金が目当てのマドモワゼルも血眼になる。そんなことはお構いなし、お婆さんは賭博で全財産を擦り、それで将軍は破産が確定してマドモワゼルに捨てられるのだった。

金貸しのデグリューは、将軍が破産してもポリーナに金が残るよう調整していた。その金を受け取ればポリーナはデグリューに愛人のように扱われる。だから彼女は金を必要としていたのだ。そこでアレクセイはポリーナを救うためにカジノで一儲けする。だがポリーナはその金を受け取ろうとせず、失望したアレクセイは賭博三昧に陥り、身を滅ぼすのだった・・・

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個人的考察

個人的考察-(2)

ドストエフスキーの実体験

本作『賭博者』は、ドストエフスキーが危機的状況に陥った体験を題材にした、半自伝的小説である。

当時41歳のドストエフスキーは、ポリーナ・スースロワという女性と知り合った。名前から分かる通り、『賭博者』に登場するポリーナのモデルになった人物だ。

二人は急速に接近し結ばれるが、ドストエフスキーにはそもそも妻がいた。それがポリーナの自尊心を傷つけたのだろう。彼女の態度は急に冷たくなり、パリに出かけた彼女は腹いせのつもりか、スペイン人医学生と関係を持つ。遅れてパリに来たドストエフスキーは、この事実にショックを受ける。それでも二人はパリからイタリアに経ち、各地を旅行して回る。

冷え切った状態の旅行は苦痛だったのだろう。やさぐれたドストエフスキーは行く先々で狂ったように賭博に熱中する。その結果、他方に借金をして無一文になってしまう。

債権に苦しむドストエフスキーは全集の出版権を売り渡す。その契約は悪質なもので、期限付きで長編小説の執筆を強要され、それを果たせない場合、先九年の印税は一切ドストエフスキーに入らない。当時『罪と罰』の連載をしていた彼は、とてもじゃないが新たに長編を書く余裕がなかった。

危機的状況に陥った彼は、のちに第二の妻となるアンナの助けを借りて、ポリーナとの恋、その末の賭博狂いを題材にした『賭博者』を口述で書き、たった27日で完成させたのだった。

そういう意味で本作『賭博者』は、ドストエフスキーの作家人生のかなめとなる作品だ。この作品がなければ印税の問題で破産し、その後の名作が生まれなかったかもしれない。

以上の創作背景を踏まえた上で、物語を詳しく考察していく。

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賭博に狂うロシア人の批評

本作『賭博者』は、賭博と恋愛をメインに物語が進行し、それはドストエフスキーの実体験に基づいているのだが、それ以上にロシアの国民性を鋭く批評している。そしてロシアの国民性を批評する上で、フランス人やドイツ人との比較がなされる。そのあたりが物語を紐解く鍵になっているので、詳しく解説していく。

まず第二章で、賭博場での振る舞い方について国民性の違いが描かれる。例えばフランス人やドイツ人などの西欧人は賭博を遊戯的に捉えている。楽しみのために金を賭け、それは大儲けしてやろうという成り上り根性ではなく、単なる気晴らしに過ぎない。15歳くらいの令嬢が母親から金を貰い、それを全部すってもニッコリ笑う、そういう作法を子供の頃から教育されているのだ。それは貴族的な振る舞いが形成されていることを意味する。そして貴族的な振る舞いとは「形式」のことである。

フランス人と、それに恐らく、他のいくつかのヨーロッパの民族の間では、形式が実にきちんと定まっているために、極めて品位のある様子をしながら、実にこの上つまらない人間だっていうことがあり得るんです。

『賭博者/ドストエフスキー』

とりわけフランスは文化が発展しており、例えば料理のクオリティ、そして食事の作法も洗練されている。それは自己を俯瞰的に見る近代的な視点が形成されているからだ。自分を俯瞰的に見ることで、他者からどう見られるかを意識し、だから賭博上においても血眼になって取り乱すことはないのだ。

これはドイツ人も同様で、とりわけドイツ人の場合はプロテスタント的な蓄財精神が美徳とされる。ロスチャイルドに見られる通り、父親が資本を蓄え、それを子供に相続し、それを何世代も繰り返して巨大な財を築く。そういう精神が根付いているため、無闇に賭博に入れ込むことはないのだ。

一方でロシア人には形式が備わっていない。将軍が賭博場に足を運ぶ場面があるが、彼は貴族的な振る舞いを意識し、金をすっても平然な態度を装うが、内面で酷く取り乱しているのを隠しきれない。このことから分かるのは、ロシア人には形式が備わっていないため、他者の目より自分の本能に忠実で、だから貴族的な遊戯ではなく、大儲けしてやろうという根性で賭博に入れ込んでしまうのだ。

同じヨーロッパでありながら、なぜ違いが生じているのか。それはロシアを含む東欧が長らくタタール(モンゴル)に支配され、その時期に文化が停滞したからだと記される。それが西欧と東欧に洗練の差異を生み、ロシア人はフランス人のように貴族的な振る舞いができない、とドストエフスキーは持論を展開する。

そして貴族的・遊戯的に振る舞えないから、ロシア人は賭博で身を滅ぼすのだ。

将軍は賭博が原因で破産寸前になり、フランス人のデグリューから借金している。お婆さんの遺産を担保にしているのだが、そのお婆さんも賭博で全財産を擦る。ドイツ人のように遺産相続で資本を築く蓄財精神が皆無なので、端から将軍に相続する気はない。そしてお婆さんの賭博狂いこそ、ドストエフスキーが批評するところのロシア人を象徴している。フランス人のデグリューが、いい頃合いで賭けを止めるよう貴族的な忠告をするのだが、お婆さんはそれを無視し、全ての手形を換金して賭博に突っ込む。

主人公のアレクセイも賭博で身を滅ぼす。彼の場合は愛するポリーナのために賭博場に足を運ぶのだが、勝ちが続くうちにポリーナのことなど忘れ、賭博のドーパミンで悦に入り、その快楽が忘れられなくて、最終的に浮浪者同然になるのだった。

こんな風に作中のロシア人はその国民性ゆえ賭博で身を滅ぼすのだが、あくまでこれはドストエフスキーの持論に過ぎないし、彼なりの自虐的(自国批判的)なユーモアであろう。そして自分自身が賭博で身を滅ぼしたのはロシア人の国民性が原因だ、と滑稽な自己弁護しているようにも見える。

アレクセイとポリーナの恋愛

続いてアレクセイとポリーナの恋愛だが、二人の付かず離れずの関係は不可解で、とりわけポリーナの想いが判然としない。それを紐解く鍵も実は国民性批評に帰する。

ポリーナが本当に愛しているのは誰か。アレクセイにはつっけんどんな態度だが、時に満更でもない素振りを見せるし、けれどもフランス人のデグリューには妙な従順さを見せる。最終的にはアレクセイが好きだったと判明するが、それは一連の悲劇が起こった末の結果で、実際はデグリューに惚れ込んでいたようだ。そして彼女がデグリューに惚れ込んだ理由は、彼がフランス人だからだ。フランス人のモードな品性に惹かれていたのだ。

わが国の令嬢たちがフランス人に手もなく落ちやすいのは、彼らの間では形式がちゃんとしているからですよ。

『賭博者/ドストエフスキー』

前述した通り、形式ばったフランス人は、品性高く振る舞う術を心得ている。だから賭博場でも貴族的で余裕な振る舞いを見せる。対するロシア人はモードな品性がなく、自分の欲望に忠実である。だから賭博場でも血眼になって取り乱す。そんな野蛮な殿方に囲まれたロシアの令嬢は、ひと度外国に出ると、フランス人のモードな雰囲気にやられ、簡単に落ちてしまうというわけだ。

確かに品性高いフランス人デグリューは、貴族的で紳士的な魅力がある。だが形式を重視するゆえに自分の感情に忠実ではなく、恋愛に対してどこか澄ました節がある。というか人間関係全般に利害を考えている。それに比べてロシア人アレクセイは、品性がないゆえに自分の感情に忠実で、恐ろしく情熱的である。ポリーナの命令なら死も厭わず、実際に彼女の命令である侯爵に喧嘩を売ったりする。彼女のためなら何でもするという狂気的な情熱があるのだ。

けれどもポリーナにすれば、アレクセイは青二才に過ぎない。いくら情熱的であろうと、モードな魅力には敵わない。それは歳上男性の余裕や包容力に惹かれるようなものだろうか。

仮に情熱的なアレクセイを選んでいれば、ポリーナは幸福になれたかも知れない。というのもデグリューの愛情には利害が絡んでいた。ポリーナの義父である将軍にはお婆さんの遺産が入る見込みがあった。だからデグリューは進んで将軍に金を貸し、あるいはポリーナと一緒になることにもメリットがあったのだ。ともすればお婆さんが全財産を賭博で擦ると、ポリーナと一緒になるメリットはもうない。それどころか将軍の破産に際してポリーナに金を恵んでやったので、その貸しを盾にポリーナを愛人のように扱える。

この事実を知ったアレクセイは、賭博で大儲けしてデグリューへの借りを精算し、ポリーナを救ってやろうとする。ところがポリーナはその金を受け取ろうとしない。あるいは「その金でデグリューみたいに私を買えばいいのよ」と狂言を垂れる。利害の絡んだデグリューの愛に傷ついた彼女は、もう純粋な愛が信じられず、金を受け取れば買われることを意味する、という歪んだ思い込みに陥っていたのだ。

こうしてアレクセイとポリーナの恋愛は惨めな結果に終わったのだった。ポリーナの場合は賭博ではないが、同じ金の絡んだ恋愛によって身を滅ぼしたのである。

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なぜ人は賭博に狂うのか

わたしにとって貴重なのは金ではなかった!あの時、わたしが望んでいたのはただ、明日にもみんなでわたしの噂をし、わたしの一件を語り合い、驚嘆し、賛美して、わたしの新たな勝利に脱帽する、ということだけだった。

『賭博者/ドストエフスキー』

わたしが感じていたのは、なにか恐ろしい快感––––成功や、勝利や、威力などの快感––––だけだったが、どう表現していいものか、わからない。

『賭博者/ドストエフスキー』

ポリーナを救う目的で賭博場に来たアレクセイだが、勝ち続けるうちにもはやポリーナや金のことなど興味がなくなる。それよりも名声や権威といった名誉欲に途轍もない快楽を感じ出したのだ。博打で分泌されるドーパミンでおかしくなっていたのだろう。

その結果アレクセイは賭博狂いになって身を滅ぼす。一時は債務が原因で刑務所にぶち込まれていた。刑務所を出てからは召使の仕事に就くが、少しでも金が貯まると賭博場に出かけずにいられない。賭博場に来ると興奮で痙攣を起こしそうになる。立派な賭博中毒である。

乞食同然になったアレクセイの元に、イギリス人のアストリーが訪ねてくる。その時にアストリーが口にした言葉が印象的である。

あなたは人生や、自分自身の利害や社会的利害、市民として人間としての義務や、友人たちなどを放棄したばかりではなく、勝負の儲け以外のいかなる目的をも放棄しただけではなく、自分の思い出さえ放棄してしまったんです。

『賭博者/ドストエフスキー』

賭博に狂うということ、あるいは酒や薬や恋愛など、あらゆる快楽に依存することは、社会的な立場を放棄するだけでなく、自分の思い出さえも放棄するということなのだ。なぜなら一度でも中毒になれば、もう二度と過去の健全な自己に回帰することはできないからだ。

それでもアレクセイは信じている。もう一度賭博で大儲けすれば、過去の自分を取り戻すことができると。

そうして最後にアレクセイは、アストリーから恵んでもらった今夜の食費を持って、賭博場に出かけていくのだった・・・・

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