島崎藤村『破戒』あらすじ解説|被差別部落を扱った傑作

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破戒1 散文のわだち

島崎藤村の小説『破戒』は、詩人から小説家に転身して初めて執筆した長編小説である。

自費出版で発表後、たちまち文壇で評価され、自然主義文学の先駆けとも言われた。

夏目漱石は「明治の小説としては後世に伝ふべき名篇也」と称賛した。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察していく。

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作品概要

作者島崎藤村(71歳没)
発表  1906年(明治39年)  
ジャンル長編小説
自然主義文学
ページ数500ページ
テーマ被差別部落の問題
自我の葛藤

あらすじ

あらすじ

瀬川丑松せがわうしまつは、信州小諸(長野県)の被差別部落に生まれた。父からは、その生い立ちを隠せ、と忠告されて育った。実際に丑松は、自分が穢多である事実を知られぬまま、師範学校を卒業し、小学校教員になった。

そんな丑松は、同じ被差別部落出身の解放運動家・猪子蓮太郎いのこれんたろうを師として慕っている。素性を晒して立派に活動する蓮太郎を前に、身分を隠せという父の忠告と、いっそ身分を明かしたい葛藤に、丑松は苦しむのであった。

やがて丑松が穢多だではないか、という噂が教員の間で流れ出す。生徒に人気がある丑松を元より邪魔に思っていた校長は、密かに事実を詮索するようになる。一方で、選挙活動の応援演説をしていた蓮太郎は、敵対する候補者のグループに暗殺される。

蓮太郎の壮絶な死や、教員たちの噂に追い詰められた丑松は、遂に父の忠告を破り、生徒たちの前で自分の素性を告白する。予想通り大問題になったが、一部の人間は丑松を助けようと動き出す。中でも同じ部落出身の実業家に、テキサスでの事業を持ちかけられ、丑松はひとまず東京に旅立つことになる。彼の旅立ちには、師範校時代の同級生、幾人かの生徒、そして恋慕っていたお志保が来たのであった。

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個人的考察

個人的考察-(2)

被差別部落の歴史

本作『破戒』の物語を解する上で、被差別部落の歴史的背景は不可欠だろう。

被差別部落とは、俗に言う「穢多えた」のことである。その漢字から分かる通り、「穢れ多き」身分として惨い差別を受けてきた。あるいは「非人」とも呼ばれ、人間とすら認められないのだから恐ろしい。

この手の差別は中世以前から存在し、やがて江戸時代の身分制度によって確立された。武士、百姓、町人などの身分から外れたカーストに「穢多・非人」は位置付けられていた。死牛馬の処理や、皮革産業、その他人々がやりたがらない仕事を担っていた。

明治時代に入ると解放令が下され、制度上の差別は撤廃された。「穢多・非人」は「新平民」という名称に置き換えられた。

しかし実際問題として差別は継続された。主人公の丑松が絶えず自分の素性に怯える通り、あるいは周囲の人間の「えぐい」差別的な台詞から分かる通り、制度の改善は長い歴史で染み付いたイメージを払拭するに至らなかった。

作中では、皮膚の色や目つきが普通の人間と違う、と軽蔑される。あるいは「四足」という隠語が用いられ、二足歩行の人間として認められない始末だ。被差別部落というだけで宿屋から追い出されるし、丑松が受け持つクラスに在籍する被差別部落の生徒は、テニスのペアを誰とも組んでもらえない。

以上のように、制度上の撤廃に反して、実生活の差別は無くなっていない、という明治時代の背景を踏まえた上で物語を考察していく。

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島崎藤村の境遇から考える

本作『破戒』は、自然主義文学の先駆けと言われている。

日本における自然主義文学の解釈は歪曲さており、暴露的な要素が強い。つまり作者の実体験を綴った私小説としての側面があるのだ。

とは言え、作者の島崎藤村は被差別部落の出身ではない。そういう意味では、私小説とは言えないのだが、しかし被差別部落という社会的テーマを通して、作者の苦悩が描かれている。

島崎藤村の人生に付き纏った苦悩、それは「親ゆづりの憂鬱」と表現されている。

藤村の父は不敬罪で逮捕され、座敷牢で発狂して死んだ。また姉も精神錯乱によって死んでいる。この手の問題は現在よりも深刻であった。なぜなら精神異常はしばしば遺伝すると考えられていたからだ。後の世代になるが、芥川龍之介も、母の精神錯乱が生涯付き纏い、それが自殺の原因の一つになったと言われている。

血統の苦悩を早くに自覚した藤村は、寡黙で陰鬱な青年へと成長する。それが本作『破戒』のテーマと結び付いているのかもしれない。つまり、血統がもたらす運命という意味で、被差別部落の境遇に着目したのだろう。

人間は自分の出生を選べない。地主の一族に生まれた人間は、生まれた時から支配者の運命を有する。逆に被差別部落に生まれれば、いくら努力して優れた能力を携えても、社会から排除された。出生とは、ある種一番の不条理なのだ。同様に精神的に問題を抱えた父の元に生まれた島崎藤村もまた、その不条理な運命の連鎖の中で葛藤していたのだろう。

この作者が抱えた不条理に対する葛藤を、主人公の丑松に重ねて読むと、より物語の解釈が深まるかもしれない。

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なぜ丑松は告白したのか?

本作『破戒』は、被差別部落の印象が強いため、社会派小説として捉えられている。だが物語の醍醐味は、その不条理の中で自我と葛藤する丑松の心の動きにあるだろう。

無論、丑松は自分が被差別部落出身である事実に怯えていた。父からは「隠し通せ」と忠告されていたし、叔父からも「変な気を起こすな」と迫られていた。もし丑松が最後まで彼らの忠告を守り、それでも事実がバレて虐げられたのであれば、確かに社会派小説という位置付けに留まるかもしれない。しかし実際は、丑松は自分から告白するのだ。ここに文学的な面白さが詰まっている。

なぜ丑松は、自らを悲運に陥れると知りながら、素性を告白したのか?

一つは、猪子蓮太郎の存在が大きいだろう。蓮太郎は同じく被差別部落の出身であったが、素性を隠すことなく、むしろ曝け出すことで解放運動に刻苦していた。そんな蓮太郎を丑松は敬愛していたし、彼にだけは自分の素性を明かしたいと考えていた。自らを犠牲にしてでも活動する蓮太郎を前に、丑松は気後れを感じていたのかもしれない。あるいは蓮太郎の著書を愛読しながら、自分はまるで彼の思想とは相反する臆病な生き方をすることに違和感を覚えていたとも考えられる。そのため、蓮太郎が暗殺された出来事は少なからず、丑松の告白の引き金になったのだろう。

加えてもう一つの理由は、出生を隠し続けることへの耐えられなさであろう。丑松の中には郷愁に焦がれる気持ちがあった。それは、幼少時代には自分が被差別部落である事実を隠すことなく、もっと自由に生きれていた、という感覚に対する羨望である。つまり、事実がバレて差別されることと同じくらい、秘密を抱えて怯え生きることが苦しかったのだ。

当事者にしか知り得ない感覚かもしれないが、確かに自分の出生を隠すとは、自分のアイデンティティを否定することと同義であろう。本当の自分を否定して、偽りの自分を演じ続けることは苦しいに違いない。

いずれにしても苦しい人生しか許されぬ葛藤の中で、丑松は本当の自分を生きる選択をした。それは、被差別部落を虐げる社会を「破壊」するのではなく、自分自身の欺瞞を「破戒」する行為だったのだ。

そう、「破壊」ではなく「破戒」なのだ。社会に対して憤りをぶつけるシナリオも、それはそれで面白いかもしれない。しかしあくまで丑松は、家系に伝わる「隠せ」という戒律を破ることを選んだのだった。

そういう意味でも、本作は社会派小説でありながら、非常に内省的な葛藤に着目した文学作品だと言える。

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新しい時代の人々

本作『破戒』を少し異なる視点から考えた時に、世代間闘争の側面が見受けられる。

具体的には、校長率いる旧式の教育感を持つ年配の人間と、丑松や銀之助などの新しい教育感を持つ若い人間の対立である。丑松などは特に生徒から人気のある教員で、それは江戸時代の武士道的な価値観とは大きく異なる。実際に旧式の価値観を持つ校長は、出生以前に、生徒に愛される丑松を邪魔に感じていた。

あるいは、若い世代である銀之助なども、被差別部落を見下してはいたものの、解放運動に刻苦する蓮太郎のことは一目置いていた。新しい思想に対する許容が幾分か備わっていたのだ。

それと言うのも、やはり明治時代とは、日本史の中でも特別な時代なのだろう。多くの明治文学では、こういった旧式の価値観と、新式の価値観の中で葛藤する若者が描かれがちだ。なぜなら、300年の鎖国の末に、一気に西洋の価値観が流れ込み、日本人の常識が著しく変化した時代だからだ。それを受け入れられない封建的な世代と、個人主義を羨望する若い世代が、はっきり分断されていたとも言える。

現代の我々の価値観からすると、親しい友人の出生に何かしらの差別要素(そんなことを考える時点で愚劣であるが)があったとしても、果たして友人としての関係が崩壊することは考えにくい。だが当時の全体主義的な風潮の中では、普通にあり得たのだ。実際に、丑松が穢多だと噂された途端、多くの教員たちの態度が変化する。

しかしながら、親友の銀之助は、丑松が被差別部落の出身だと知っても、彼を虐げることなく、むしろ手助けまでした。あるいは、丑松が担当したクラスの生徒たちも、丑松の旅立ちに多く集まった。

そして最も重要なのは、お志保の存在だ。

お志保は貧しい百姓の娘で、その貧しさ故に家を出され寺に預けられていた。おまけに女狂いの住職に手を出される始末である。作中ではこのお志保の苦しい境遇も、被差別部落の丑松と重ねて描かれている。

丑松はそんなお志保を恋慕っていた。だが自分が被差別部落である故に、思いを伝えられず、完全に諦めていた。ところが、お志保は、丑松の素性を知ってもなお、彼と一緒になるつもりだった。

そんなお志保が口にした台詞が、新しい価値感を象徴している。

「新平民だって何だって毅然しっかりしたかたほうが、あんな口先ばかりの方よりは余程好いじゃ御座ませんか」

『破戒/島崎藤村』

お志保には、制度が生み出した固定観念よりも、人間の内面を見て判断する、新しい価値観が備わっていたのだ。

事実はもっと残酷で、丑松のような末路は良くも悪くも「作り物語」だろう。つまり親友に捨てられ、恋人と別離せざるを得ない境遇は往々にしてあり得たということだ。

しかし、本作の希望を感じさせるエンディングには、島崎藤村の「そうあってほしい」という若い世代に対する期待が込められていたのかもしれない。

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