町田康『くっすん大黒』あらすじ解説|芥川賞作家のデビュー作

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くっすん大黒 散文のわだち

町田康の小説『くっすん大黒』は、野間文芸新人賞を受賞したデビュー作です。

独特な口語体やユーモラスな世界観が、太宰治・梶井基次郎の再来と評されました。

本記事では、あらすじを紹介した上で、作中に仕組まれたトリックをネタバレ考察しています。

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作品概要

作者町田康
発表時期  1996年(平成8年)  
ジャンル中編小説
ページ数145ページ
テーマ芸術の欺瞞
近代化による自由の束縛
笑いと狂気
受賞野間文芸新人賞

あらすじ

あらすじ

3年前に働くのが嫌になり、仕事を辞めて毎日酒を飲む自堕落な生活を送っていたため、主人公の楠木は妻に出て行かれます。

堕落した理由を、家にあったバランスが悪くて自立しない大黒様の置物のせいにして、その大黒様を捨てる旅に出ます。周囲の目から散々捨て場所に困った楠木は、友人の菊池に売り付けてやろうと考え、その流れでしばらく彼の家に居候することになります。

ところが菊池もすかんぴんなため、2人は渋々服屋のバイトを始めます。しかし個性的な店員や客にうんざりして初日で辞めてしまいます。そんな楠木にビデオ作品のリポーターの依頼が来ます。とある芸術家にまつわるドキュメンタルを創作するようなのです。

ところがその芸術家は、いわゆる前衛気取りのニセ芸術家で、殆ど宗教的に過激なファンを囲い込んでいるのでした。奇妙な仕事を終えて給料を手に入れた主人公と菊池は、川辺で例のバランスの悪い大黒の真似をしてわざと転んでゲラゲラ笑っていました。

そうして主人公は豆屋になろうと決心したのですが、その方法が判らないのでした。

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個人的考察

個人的考察-(2)

「町田町蔵」のユーモアと狂気

作家としての印象が主である町田康ですが、ロック畑の人からすればパンクバンド「INU」の印象が先行するのではないでしょうか。

セックス・ピストルズに触発され、1981年にアルバム『メシ喰うな!』でデビューし、たった3ヶ月で解散した、今でもカルト的な人気を博すバンドのフロントマンだったのです。

当時日本には欧米のパンクムーブメントに影響されたバンドがたくさんいたのですが、いわゆるシドヴィシャスの暴力性を真似したり、反逆的な歌詞をその文字通り解釈しただけの、二次創作的なバンドが多い印象です。

しかし19歳の町田が生み出す詩は、そういった表層のテンプレートから逸脱した、独自の哲学とユーモアを持つ、文学の礎みたいなものが見え隠れしていました。

俺の存在を頭から打ち消してくれ
俺の存在を頭から否定してくれ
あのふざけた中産階級のガキ共をぶちのめす為に

お前らは全く自分という名の空間に
耐えられなくなるからといって
メシばかり喰いやがって
メシ喰うな

『メシ喰うな/INU』より

『INU』の楽曲は、馬鹿馬鹿しさと狂気が並存しています。笑いと狂気は紙一重、という表現が相応しいでしょうか。町田康の小説には、社会を舐め腐ったような笑いと、それでいて大真面目な狂気が密接に描かれているのですから納得でしょう。

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独特な口語体の魅力とは?

『くっすん大黒』は、その独特な口語体のために好き嫌いが明確に分かれます。

もう三日も飲んでいないのであって、実になんというかやれんよ。ホント。酒を飲ましやがらぬのだもの。ホイスキーやら焼酎やらでいいのだが。あきまへんの?

『くっすん大黒/町田康』

冒頭の書き出しでもう読みづらいと感じた人も多いと思います。

作品を通して永遠と独語的に語られるのですが、この文体こそが「主人公の頭の中を丸裸にする」という、後の彼の作品にも通ずる作風の原点だと言えるでしょう。

主人公の楠木は働くのが嫌になって仕事を辞め、そのせいで妻に逃げられました。人間が窮地に立たされた時に見せる不可解な感情の矛先、つまり大黒様を捨てるために苦戦する楠木の姿などは、やはり周囲から見れば奇妙なのですが、本人の頭の中を覗くことができる読者はゲラゲラと可笑しくなってしまうわけです。

だけど楠木は呑気な阿保ではなく、むしろ自分の言動に対する周囲の目を過剰に気にしていました。大黒様を捨てるにもこの通りです。

さすれば、また主婦たちは「まあ、なんて大黒かしら。そういえば、楠木さんの御主人、この大黒とそっくりだわ。きっと馬鹿か変態なのよ」(中略)「ママ、変な人形があるよ」「しいっ。タカシ君もお勉強しないと、楠木のおじさんみたいになるのよ」などと噂して、やはり自分は、いわれのない迫害と差別を受けるに決まっているのであって、それも困る。

『くっすん大黒/町田康』

実際に世間から非難を受けているのではなく、全て楠木が勝手に想像した台詞です。

つまり、現実とは異なる主人公の思考の世界を中心に物語が展開されているのです。この事実とは異なる思考の世界を読むことが叶うのが、町田康の独特な口語体の魅力でしょう。

長編大作『告白』の主人公である熊太郎は、頭の中であれやこれやと考える、いわゆる思弁家で、結果的にその性格が狂気や破滅を招いてしまいます。つまりあれやこれやと馬鹿馬鹿しいことを考える思考とは、面白可笑しい一方で、ボタンをかけ違えればとてつもない狂気にもなり得るということです。

町田康が描く作品は腹から笑えるユーモアが存分に描かれているのですが、その一方で緊張したギリギリの思考の放浪があるため、単なるギャグや抽象表現で済ますことができないのかもしれません。

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梶井基次郎のパロディ

文庫本の巻末の解説に、本作が「梶井基次郎の『檸檬』のパロディ」と記されていて、なるほどと納得しました。

  • 『くっすん大黒』3日も酒を飲んでいないやりきれなさ
  • 『檸檬』二日酔いの嫌悪と焦燥感にも似たえたいの知れない不吉な塊

冒頭の一文は、確かに双方が酒を引き合いに出して、主人公が何か生活に対する不安や嫌悪を抱いている心情が描かれています。

  • 『くっすん大黒』プランターの中に捨てる大黒に美的造形を試みる
  • 『檸檬』本屋に檸檬の爆弾を置いて美的なテロリズムを図る

憂鬱の根源を破壊するために、物を置き去りにする行為も重なりますね。

『檸檬』の主人公は街をさすらい、非現実的な逃避を試みるものの、あらゆる景観が彼の神経を刺激し、不吉な塊に支配されていきます。その中で果物の檸檬だけが主人公の心を落ち着かせ愉悦させるものでした

これはどうも、前述した町田康の作風である「笑いと狂気の表裏一体」の原点であるように感じます。ギリギリの神経状態の時にこそ、訳の判らない物に異常な執着が芽生えて、その馬鹿馬鹿しさによってかろうじて精神が堕ちきらずに済むという構造です。

ただし『檸檬』のパロディでありながら、『くっすん大黒』には美的テロリズムへ到達できない敗北感が漂っています。

詳しくは次章で解説します。

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現代の自由という欺瞞

『檸檬』と『くっすん大黒』の決定的な違いは「時代」であり、その乖離には美的感覚の欺瞞が潜んでいるように感じます。

具体的には、『檸檬』の場合は、空想のテロリズムに愉悦して勝ち誇ったように物語が幕を閉じます。ところが『くっすん大黒』の楠木は、プランターに大黒を捨て美的感覚に拘っているうちに、警察に職務質問をされて大黒の廃棄に失敗します。

作中では、「ぴかぴかした近代的な交番」と表現されています。つまり、交番は決して純粋な意味での「交番」を表現しているだけではなく、かつて『檸檬』では許された芸術的思考が、近代化によって許されなくなった、という一種の問題提起を孕んでいるように思います。

作品の後半は、中年の女性をたぶらかす上田というニセ芸術家の物語になり、なんだか突拍子もない展開だと感じた人も多いと思います。ところがこれは近代化による芸術的価値の束縛、その果てに芸術の欺瞞が蔓延る実態を冷笑的に描いていたのだと思います。

自分がペテン師であることを認める上田に対して、楠木は「これはもう立派なものじゃねえか」と言っていました。ニセ芸術を揶揄すると同時に、本質的な芸術の価値さえも疑うような台詞でした。

上田がかつて出展した『物質と記録展』を『物質と記憶展』と間違える場面が印象的でした。本物と偽物の区別など今では不可能であることを揶揄していたように思います。

バランスの悪い自立しない大黒は、仕事を辞めてフラフラする自立できていない主人公を象徴していたのですが、ラストの豆屋になろうと決心する場面が不可解ですよね。おそらく、本質的な芸術の価値を知る行為は、現代社会で豆屋になる方法と同じくらい判らない、というメタファー的な表現だったのだと思います。

単に支離滅裂な作風を演じたわけではなく、しっかり文学的な主題や技巧が凝らされていることが理解できると思います。

ちなみに、その独特な文学的エッセンスは、のちに『きれぎれ』という作品の芥川賞選考会において、賛否両論の嵐を巻き起こすことになります。

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