バロウズ『裸のランチ』あらすじ解説 ビートジェネレーションの奇書

裸のランチ アメリカ文学

ウィリアム・バロウズの小説『裸のランチ』は、ビートジェネレーションの代表作です。

ドラッグによる錯綜した超現実が描かれる奇書で、ストーリーは殆ど存在しません。

奇才クローネンバーグにより映画化され、そちらもカルト的人気を博しています。

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『裸のランチ』作品概要

作者ウィリアム・バロウズ(83歳没)
発表時期1959年
ジャンル長編小説
麻薬小説
ビートジェネレーション
テーマ錯綜した超現実
関連クローネンバーグにより映画化

『裸のランチ』あらすじ?

あらすじ

ウィリアム・リーは、警察の追手から逃れている。彼は麻薬中毒者(ジャンキー)で、錯綜した超現実の世界を放浪している。

それ以降、明確な筋は消滅し、脈絡のない場面に様々な人物が登場する。中毒者の暴走、同性愛者の欲情、マッドサイエンス、腐敗政治・・・入れ替わり立ち替わり狂気的な映像が浮かび上がり、そこで一体何が行われているのか、誰にも判らない。

中毒者の目に映る、麻薬と性的倒錯の悪夢。これは芸術か、狂人の戯言か・・・?

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『裸のランチ』個人的考察

個人的考察

ビートジェネレーションとは

まずは初めに、バロウズが所属した文学集団「ビートジェネレーション」を紹介する。

ビートジェネレーション(ビートニク)とは、1950年代のアメリカで異彩を放った文学集団である。代表的な作家に、ケルアック、ギンズバーグ、バロウズなどが挙げられる。

そもそも「ビートジェネレーション」とは、ケルアックが生み出した造語だ。

『Beat』には「殴る」「打ちのめす」という意味があり、つまり、騙されふんだくられ、精神的肉体的に消耗した世代、という自虐的な意味が込められている。

一方で、音楽的ビートとして、躍動感のある興奮した世代、という正反対の意味も有する。

そんなビートニクの思想は以下の通りだ。

・標準的な価値の拒否
・スピリチュアル世界の探究
・西洋と東洋の宗教融合
・経済的物質主義の拒否
・死・感情・願望・葛藤などの描写
・ドラッグを使用した精神実験
・性の解放と探究

アメリカにおけるカウンターカルチャーの走りと言える。

その証拠にビートニクの作品は、1960年代のヒッピーカルチャーや、多くのミュージシャンに影響を与えた。例えばボブディランは、ケルアックの『オン・ザ・ロード』を人生を変えた小説と言及したり、ギンズバーグをPVに出演させたり、交流が深い。

そもそもビートジェネレーションがドラッグや性や放浪を愛好したのは、経済や物質主義に対するアンチテーゼだと考えられている。

1950年代は冷戦の時代だ。米露は軍事力や科学力を誇示し、しのぎを削っていた。弾道ミサイルや核実験、人工衛星の打ち上げ・・・文明の発達がいずれ世界を破壊するという強迫観念が人々を取り巻いていた。

そんな経済や物質主義を過剰に信仰する社会から逸脱し、精神的な自由を追求した文学集団こそ、ビートジェネレーションというわけだ。

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ウィリアム・バロウズについて

ウィリアム・バロウズは、ビートジェネレーションの中でも特に先鋭的で際立っている。

事実、本作『裸のランチ』は解読不明な奇書で、傑作と愚作という両極端の意見がある。

作中の錯綜した超現実の描写から分かる通り、バロウズはハードな麻薬中毒者である。あらゆる種類の麻薬に溺れ、ウィリアムテロごっこをして妻を射殺した壮絶な過去がある。同性愛者であることも有名だ。

そんな根っからのジャンキー・バロウズは、15年以上麻薬に浸り、その期間に発表された小説はいずれも、麻薬によって錯綜した不可解な世界が描かれている。バロウズ自身、本作『裸のランチ』を書いた覚えがなく、また自分でも読み返せないと言及している。

本人が読み返せない以上、凡人が易々と読める代物ではない。そのため多くの読者は挫折し、あるいは愛読者はバロウズの麻薬体験を垣間見る散文として楽しんでいる。

だからこそ忠告したいのが、『裸のランチ』を真面目に読んではいけない。意味を理解しようとしてはいけない。そんな読み方をすると絶対に挫折する。常識や論理的思考を排除し、ひたすら読み進めていけば、いつしか不可解な文章の中毒になり、案外すんなり読み終えられる。

ここまでの説明だと、中毒者がデタラメに書いた小説と思うかもしれない。だが実際は、そこにはバロウズの明確な意図が存在するし、芸術的なエッセンスを含んでいる。

『裸のランチ』の芸術的意図

『裸のランチ』が文学的に評価される理由は、その非線形な物語にある。

通常の小説(現実世界の法則)は、過去・現在・未来の連続で構成されている。ところが『裸のランチ』には時間の概念が存在しない。入れ替わり立ち替わり奇妙な映像が現れては消える。それはつまり、時間の概念から解放された中毒者の感覚を切り取っているのだ。それこそがバロウズの意図するところだろう。

バロウズには「作家とはその瞬間の感覚を書くものだ」という思想があった。だからこそ『裸のランチ』では、時間の法則から飛び出した麻薬中毒者の映像を切り取り、その瞬間瞬間の超現実的な感覚を描き出そうとしたのだろう。

バロウズは他にもカットアップという手法を駆使した。文章をバラバラに切り刻み、それを滅茶苦茶に繋ぎ合わせる手法だ。これもまた、過去・現在・未来の連続を断ち切る意図が含まれている。

結局人間は、確定した過去から逃れられない。そして、文明社会の未来は破滅を孕んでいる。だからこそバロウズは、それらの連続性を断ち切ることで、存在しないもう1つの現実への逃避を試みたのではないだろうか。それは標準的な原理を否定するビートニクの思想を最大限に表している。

精神の解放と自由恋愛

前述した通り、本作『裸のランチ』には物語性がなく、脈絡のない理解不能な場面の寄せ集めで構成されている。

ただし一貫したテーマとして、麻薬による精神解放と、同性愛者の自由恋愛が描かれている。

作中で最も印象的な人物として、ベンウェイ医師が登場する。彼はフリーランド共和国の顧問である。果たしてフリーランドがどんな場所なのかは不明だが、自由恋愛が許されていることは解読できる。

同性愛は女家長制の社会では政治犯罪だ。いかなる社会もその基本的教義を公然と拒否するのを黙認しはしないからな。ここでは女家長制ではない。

『裸のランチ/バロウズ』

現在とは異なり、1950年代当時は同性愛は公然と認められていなかった。なぜなら国家にとって子孫を残せない同性愛者は、生産性のない差別対象だったからだ。そのため、同性愛が政治犯罪という文句は、自身が同性愛者であるバロウズの風刺が込められているのだろう。

そしてフリーランドでは同性愛者による性行為が公然と行われ、麻薬中毒者が蔓延している。そういう意味では、フリーランドはその名の通り、精神の解放と自由恋愛が許される理想郷なのかもしれない。

一方で、フリーランドでは、政治や警察が腐敗し、密売者と繋がっていたり、あるいは密売者の中に密告者がいたりと、混沌を極めている。これはフリーランド(自由の国)、まさしくアメリカ合衆国の腐敗を風刺的に描いていると考えることもできる。

事実、同じビートニクの作家ケルアックは、バロウズのことを「最大の風刺作家」だと言及している。

文明社会を否定し、アメリカ政府の腐敗を風刺し、麻薬による精神解放と自由恋愛を求め、悪夢のような超現実を彷徨う物語、とでも言えるだろうか。

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映画『裸のランチ』について

『裸のランチ』は奇才クローネンバーグに映画化され、そちらもカルト的な人気がある。

ちなみに映画版は、原作から着想を得た別の物語になっている。

■映画『裸のランチ』あらすじ

作家志望の主人公は、害虫駆除の仕事をしている。妻は駆除薬を麻薬に使っている。その影響で主人公も中毒になる。そして主人公は駆除薬と称して麻薬を密売している嫌疑をかけられ、警察に追われる。駆除薬を断つためにベンウェイ医師の元を訪ねるが、ムカデから精製したブラックミートを与えられ、さらにハイになった主人公は、ウィリアムテルごっこで妻を射殺してしまう。そして次第に現実と幻覚の区別がつかなくなった主人公は、自覚のないまま小説を執筆する・・・・

といった具合で、原作『裸のランチ』の世界観を踏襲しつつ、そこにバロウズの生涯を追加した独自の物語になっている。

映像化不可能と言われた原作の悪夢が、ボディホラーの天才クローネンバーグの手によって見事映像化され、その内容は衝撃的である。

もしバロウズに少しでも興味を持ったら、原作と共に映画も楽しんでいただきたい。

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