横光利一『機械』あらすじ解説|四人称で描かれるメカニカルな世界

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機械 散文のわだち

横光利一の小説『機械』は、新感覚派の代表作です。

新感覚派は芸術的な表現や手法を駆使した、詩美漂う文章が特徴です。大正後期に誕生し、プロレタリア文学と共に二大潮流として、日本文学の新たな系譜を築いていきました。

本記事では、あらすじを紹介した上で、作中に仕組まれたトリックをネタバレ考察しています。

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作品概要

作者横光利一(49歳没)
発表時期  1930年(昭和5年)  
ジャンル短編小説
新感覚派
ページ数31ページ
テーマ疑心暗鬼
社会に順応する人間

あらすじ

あらすじ

人体に影響がある危険な薬物を扱うネームプレート製作所で、主人公は働き始めます。

前から勤めている「軽部」という男は、主人公のことを同業者のスパイだと勘違いしており、嫌がらせをしてきます。おまけに、誰も入ることが許されなかった暗室への出入りを主人公だけが許され、特別な業務を任されるようになり、プライドが傷ついた軽部が暴力を振るってくることもありました。

ネームプレートの大量受注が入り、他の製作所から「屋敷」という男が応援でやって来ます。主人公は屋敷が同業者のスパイではないかと訝っています。

ある日、暗室へ侵入する屋敷を目撃した軽部は、彼に暴力を振るいます。その様子を傍観していた主人公も、共謀者だと難癖をつけられ軽部に殴られ、3人のややこしい喧嘩が勃発します。しかし、そのうちに3人とも疲れ果てて喧嘩は収束します。

無事に大量受注の案件は完了しのですが、製作所の社長が代金を紛失してしまいます。茫然自失となった3人は、仕事場で酒を飲んで憂さ晴らします。

酔っ払って目が覚めると屋敷が死んでいました。水と間違えて薬品を飲んでしまったのです。製作所内では軽部に疑いがかけられていましたが、危険な薬物で脳がやられた主人公は自分のことが分からなくなっており、自分の無実を断言できませんでした。誰か自分を裁いてくれ、と主人公は嘆くのでした。

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個人的考察

個人的考察-(2)

実験的な文体(機械的な文章)

読了された人は恐らく、「読みづらい」というのが率直な感想ではないでしょうか。

それと言うのも、本作『機械』は、句読点や改行が殆ど使用されず、ページにみっしり文字が印刷されているからです。これもまた、新感覚派の実験的な技巧のひとつです。

作風としては新感覚派の潮流に相応しい、主人公の心理描写を中心にした文体です。職場での懐疑的な人間関係の様子が非常に緻密な心理表現で描かれています。

ところが、心理描写であるにもかかわらず、何故か文章からは人間味が感じられず、むしろ冷酷な印象を抱きます。これはまさに作者の意図する文章構造のためであり、句読点や改行が成されないことでタイトル通りの機械的な冷たい印象を演出しているのだと考えられています。

例えば、独立した会話文を挿入しないために、段落による強調が一切用いられず、いかなる心理表現が記されようとも、全ては一律の温度感、スピード感で流れていくので、非常にメカニカルに感じられます。

あるいは職場の工場がひとつの生命を有しており、その内側で人々が緊密で息苦しくて疑心暗鬼で、尚且つ傍観者としての客観性を保つ様子は、機械のように無機質に感じられます。

主人公の目線で語られるのに、物語の世界が無機質で冷酷で機械的に感じられるのは何故なのか。それは語り手の人称に秘密があります。

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四人称視点の語り

本作で最も実験的な手法だとされるのが、四人称での語りです。

一人称は自分、二人称はあなた、三人称は彼彼女、では四人称は一体何を指すのでしょうか。

明確に定義されているわけではありませんが、一・二・三人称以外を四人称とするのが一般的なようです。例えば、小説の読者や映画の視聴者のように、物語の外部に属する存在を指すことがあります。

まさに『機械』という小説は、一人称である主人公の視点で描かれているように見せて、実はそれらを過去の出来事として俯瞰的に観察する未来の主人公の視点が混在しているのです。いわば自分の物語を自分が見ているという、回想的な心理描写が含まれているということです。

だからこそ、前述したような傍観者としての無機質な文体による心理描写が実現されているのです。当事者でありながら傍観者でもある一人称と四人称の融合が、機械的な印象をもたらしているのでしょう。

非常に面白いのが、物語の最後には一人称である過去の時間軸と、四人称である現在の時間軸が一致してしまうということです。

私は彼をこの家へ送った製作所の者達がいうように軽部が屋敷を殺したのだとは今でも思わない。

『機械/横光利一』

「今でも」という言葉が示すように、四人称の視点でありながら、一人称の自分の思考とも一致しているわけです。混在していた過去現在の心理描写がピタッと綺麗に合わさって物語の幕が閉じるのです。

過去の自分の物語について、はっきり分断された外部に位置する現在の主人公が傍観者的に回想しているのですが、ラストだけは外部にいる現在の主人公が主観的になり、過去の心情と現在の心情が同じ時間軸として嘆かれます。それを見ている読者は一体何人称なのか、という非常に複雑な構造になっているわけです。

新感覚派ってインテリ臭くて小賢しいよね、と鼻に付くくらい技巧に凝っているのです。

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機械化していく人間

タイトルが表すように、作中で緻密に描かれる懐疑的な人間関係は、非常に機械的な側面を有しています。

  • 危険な薬品を扱う職業なので、すぐに辞めるつもりだったのに、何かと理由をつけて職場に同化する。
  • 軽部にスパイだと勘違いされて、嫌がらせや暴力を受けていたのに、応援でやって来た屋敷に対して同じようにスパイの疑いをかける。
  • 社長に献身的な軽部を俯瞰的に見ていたのに、いつしか主人公も社長のために働くことが生きがいになる。
  • 屋敷に製作所の研究成果を外部に広めた方が世のためになると言われれば、主人公も彼の意見が正しいような気がしてくる。
  • 屋敷の死について軽部が嫌疑をかけられると、自分も犯人であるような気がしてくる。

このように主人公は、外部の要因に次々と同化していき、自分の意見や主張というものを失ってしまいます。まるで機械が規則正しく動くように、主人公も社会や他人の意見に順応していくわけです。

その結果、自分で自分のことが分からなくなってしまい、自分の罪なのかすらも判断できず、誰かに裁いて欲しいと嘆くことになりました。主人公は完全に機械へと化し、判断の余地を失ってしまったということでしょう。

時代背景から考えれば、昭和初期は資本家が貧乏人を搾取し、悪徳な労働環境で酷使したという事実があります。新感覚派はプロレタリア文学とは距離をとっていたので、直接的な社会風刺の意図があったとは考えにくいです。

労働者が資本家に搾取され思考が停止していく様を、薬品で脳が弱っていく様と重ねて、あくまで技巧中心に描いていたのではないでしょうか。社会問題すらも芸術の技巧に取り入れるスタンスに感じてなりません。

やはり、新感覚派の作風はお洒落すぎて鼻につきますね。それが好きなんですけど。

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