太宰治の小説『斜陽』をご存知ですか?
1947年に発表された中編小説で、『人間失格』と共に評される、彼の晩年の代表作になります。
太平洋戦争の最中、生家である津軽に疎開した太宰治は、疎開先で終戦を経験します。その後GHQの改革により、大地主である太宰治の生家は寂れてしまいます。その経験を、帝政ロシアの没落貴族を描く「アント・チェーホフ」の戯曲になぞらえて執筆されたのが本作です。
いわゆるGHQの農地改革によって、華族制度が廃止され、大地主の生家が没落した出来事が物語の背景にあります。
本作『斜陽』には、貴族出身の姉弟が、時代や道徳の変遷の中で没落していく悲劇が描かれています。新しい生き方を強いられた若者の苦悶に注目しながら、姉弟の葛藤を考察していこうと思います。
ちなみに、本作がベストセラーとなった影響で、没落していく上流階級を指す「斜陽族」という言葉が当時流行したようです。国語辞典にも、「斜陽」という言葉に「没落」という意味が加えられるほど、太宰治は戦後の日本で大きな影響力を持っていました。
目次
『斜陽』の作品概要
作者 | 太宰治 |
発表時期 | 1947年(昭和22年) |
ジャンル | 中長編小説 |
テーマ | 貴族の没落、恋と革命 時代の過渡期の犠牲者 |
『斜陽』の300文字あらすじ
かず子は貴族出身ですが、日本の敗戦によって、没落貴族として落ちぶれてしまいます。
一方、弟の直治は、戦地で麻薬中毒になり、帰郷後も荒くれた生活を送っています。
直治は小説家の上原と親しくしており、悲しいかな彼の奥さんに恋をしています。直治は無瀬な生活や叶わなぬ恋に悩んだ末に、貴族出身の苦悩を綴った遺書を残して自殺します。
一方、かず子は上原と不倫をし、子をはらみ、捨てられます。自分たちは道徳の過渡期の犠牲者であると認め、それでも強く生きることを決意します。
彼女は最後に、直治という犠牲者のためにも、生まれてくる子供を上原の奥さんに抱いて欲しいと、捨てられた女の嫌がらせを手紙に綴るのでした。
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もちろん『斜陽』もございます!
『斜陽』のあらすじを詳しく
①没落貴族
貴族出身のかず子は、1945年の無条件降伏以降、没落貴族として落ちぶれた生活を送っています。
父は死に、弟は戦地で行方不明になりました。時代的にも教養の無い女だけの生活は厳しく、病気の母と2人、日々の営みが上手く熟せずにいます。当初は母の弟が面倒を見てくれていました。しかし、敗戦後の困窮によって実家を売り払う羽目になり、かず子と母は2人だけで伊豆の田舎に引っ越してきたのです。
自立を強いられた伊豆での生活に、かず子はてんやわんやです。ボヤ騒ぎを起こすなどして、自分が病気の母親の生気を吸い取っているようで、やりきれなくなります。それでも、病気の母親に美味しい野菜を食べさせたい一心で、女ひとり畑仕事に励むのでした。
ある時、弟の直治が無事だという知らせが届きます。
お金の工面が厳しくなった叔父から、直治が帰郷したら、かず子が女中に行く提案をされます。かず子はこれまで母の側で尽くしてきたのに、直治の無事を知った途端、自分が疎かにされる始末に取り乱します。母に対しても酷い言葉をぶつけ、彼女は家出を決意します。
かず子の傷心を見兼ねた母は、着物を売って3人で贅沢に暮らす提案をします。これがかず子にとって、幸福の最後の残り火が輝いていた瞬間でした。
直治が帰郷してから、地獄のような日々が始まるのです。
②直治の帰郷
母親の病状が悪化する中、直治が帰ってきました。久しぶりの再会にもかかわらず、直治は愛想なく他所へ酒を飲みに行ってしまい、ほとんど家に帰ってきません。なんでも東京で、芸術家の上原という男と遊び明かしているようです。
かず子は直治の部屋で1冊のノートを発見します。彼が麻薬中毒で苦しんでいた頃の手記でした。思想・主義・秩序・真理、その全てを疑い、救いようのない苦悩と自殺願望が記されていました。
僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。
『斜陽/太宰治』
どうも、くいちがう。
結局、自殺するよりほか仕様がないのじゃないか。このように苦しんでも、ただ、自殺で終るだけなのだ、と思ったら、声を放って泣いてしまった。
『斜陽/太宰治』
6年前、かず子が離婚したのは、直治の薬物中毒が原因でした。男に嫁いだばかりのかず子は、直治が作った薬屋への借金の肩代わりをしていました。以降、徐々に夫婦の良好な関係は崩れ、結婚は解消となったわけです。
同じく6年前、弟のお金を工面する中で、かず子は弟が親しくする小説家の上原と面識を持つようになります。妻子持ちの上原に対して、当時特別な感情を抱くことはありませんでしたが、彼にキスをされたことにより、「ひめごと」が出来てしまいます。
③上原への手紙
かず子は上原に手紙を書きます。
直治のこと、生活の苦しさ、そして自分が妻子持ちの「M・C」に恋をしていることなどを赤裸々に綴ります。そして、「M・C」が自分のことをどう思っているかを尋ねて欲しいとお願いします。
要するに、かず子は妻子持ちの上原に恋をしており、自分のことをどう思っていのるか本人に手紙で尋ねているのです。
6年前にキスされた時には特別な感情は芽生えませんでしたが、直治に勧められて上原の小説を読むようになってから、彼に恋心を抱くようになりました。妻子持ちの上原と結婚できないことは承知しており、おめかけでもいいから一緒になることを望んでいるのです。
かず子は3度にわたって手紙をしたためたのですが、上原から返事はありませんでした。
④最後の貴婦人の死
いよいよ、母親の病気が末期に近づいています。結核の疑いがあるのです。
かず子は蒼く腫れた母の手を発見します。その美しくない手こそが、もう母が助からない兆候でした。かず子は泣きながら、直治に母親の状態を告げます。「僕たちには、なににもいい事が無えじゃねえか」と直治もめそめそ泣き出してしまいました。
かず子は自分の将来について考えます。きっと自分は母のように、人と争わず、憎まず恨まず、美しく悲しく生涯を終えることはできないと漠然と理解します。
母が最後の貴婦人で、自分たちは生き残るために「革命家」にならなければいけないと決心するのでした。
そして間も無く、日本で最後の貴婦人は息を引き取りました。
⑤上京
母の死から数日後、かず子は上京します。遂に上原のお宅を訪ねに行ったのです。
玄関で名前を呼ぶと、上原の奥さんと娘が現れます。上原本人は不在のようです。彼女たちの姿を目にして多少狼狽えますが、自分を少しもやましいとは思いませんでした。「人間は、恋と革命のために生まれてきた、好きだから仕様がない、神にだって自分を罰することはできない」と彼女は気を強く持つのでした。
上原がいる小料理屋に足を運ぶと、彼は多くの人間を集めて、大騒ぎしながら滅茶苦茶に酒を飲んでいました。かず子が隣に座っても、上原は何の関心もなさそうに、自堕落な会話と破滅的な飲酒を続けます。
しばらくして、上原がかず子を寝泊りできる場所まで送ってくれます。彼のキスからは性欲の匂いが感じられました。上原の芸術家としての苦悩を聞かされながら、2人は寝床に横になります。
その日、かず子の悲しい恋は成就したのでした。
⑥治の自殺
かず子の恋が成就した朝、弟の直治は自殺していました。
彼の遺書には、貴族出身であることに対する苦悩が綴られていました。
自分が貴族というだけで、民衆たちに足元を見られ、人間と心から親しくするのが困難だったのです。だから直治は自ら下品になろうと努めてきました。その結果が麻薬中毒なのです。それでもやはり人々は直治と真から打ち解けてはくれないのでした。
自分が貴族だという事実から離れるため、直治は狂い、遊び、荒んでいきました。本来はもっと早く死ねば良かったのですが、母の生きているうちは、死んではいけないと考えていたようです。
そして、直治は誰にも言えない秘密の恋をしていたことを遺書で告白します。
とある芸術家の奥さんに彼は恋をしていたのです。悲しい恋に囚われた直治は、散々別の女性と遊びますが、やはり奥さんのことだけしか愛せませんでした。
貴族としての無瀬な生活と、叶わぬ恋に苦悶した直治は、自ら命を絶ったのです。
遺書の最後には「僕は、貴族です」と綴られていました。
⑦かず子の決意
直治を失ったかず子は、お腹に子供を孕んだ挙句、上原に捨てられます。
かず子は、お腹の子と共に、これからも古い道徳に打ち勝つために戦い続けなければいけないと自覚しています。
道徳の過渡期の犠牲者である以上、生き残るためには革命家として戦い続けなければいけないと、強く決心するのでした。
そして最後に、もう1人の犠牲者、弟の直治について触れます。
どうか弟のためにも、生まれてくる子供を上原の奥さんに抱いて欲しいと言うのです。それこそが、忘れられた女の唯一の嫌がらせなのでした。
そして物語は幕を閉じます。
『斜陽』の個人的考察
「道徳の過渡期の犠牲者」とは?
作中でかず子が口にする「道徳の過渡期の犠牲者」とは、一体何を意味するのでしょうか。
結論から言うと、時代の変遷によって新しい生き方を強いられた世代のことを表現しているのだと思います。
作中で母親を「日本で最後の貴婦人」と表現していました。一方、かず子は「自分は母のように貴婦人としては生きていけない」と心の内を明かしています。
要するに、母と子供たちの世代間には大きな変遷があり、それはGHQによる華族制度の廃止に起因しています。
戦後間も無く死んだ母は、人生の大方を貴族として緩やかに美しく過ごしてきました。しかし、かず子や直治は没落貴族であり、既に貴族ではありません。いくら貴族出身だからと言っても、これからの時代に自分が生き残るために過去の家柄などは何の役にも立たないのです。
「道徳の過渡期の犠牲者」たちは、過去の道徳に縛られながらも、そこから抜け出すために戦い続けなければいけないのです。
かず子が幾度となく口にする「恋と革命のために生きる」とは、過去の道徳から抜け出す行為の象徴だと思います。かず子は叶わぬ恋であると知りながら、上原にしつこく手紙を送ったり、唐突に家を訪ねたりします。挙句不倫相手の子を孕みます。血統にうるさい貴族にはあるまじき醜態ですよね。つまり、かず子は貴族としての醜態よりも、自分の思いを優先したのです。
自分の意のままに行動する彼女の精神は、貴族という過去の道徳を放棄する覚悟の現れなのでしょう。
直治は誰に恋をしていたのか?
本作では、かず子と直治それぞれの悲しい恋が描かれています。2人ともが既婚者に恋をしてしまったのです。
ところで、直治は誰に恋をしていたのか、と困惑した方も多いのではないでしょうか。
かず子が恋をした相手が上原であることは理解できたでしょう。上原宛の手紙には、「M・C」というイニシャルで、上原とは別人のように綴られているため、一瞬困惑するかもしれません。しかし、2通目以降の手紙や、キスをした過去、実際に上原に会いにいく場面があるので、彼女が上原に恋をし、子供を孕んだ事実は明快です。
一方、直治の秘密の恋は非常に分かりづらいです。
遺書の中に、直治が恋をしていたのは「洋画家の妻」と記されています。そのせいで、直治が恋をした相手がぼやけてしまうのです。
「洋画家の妻」なんて本作に登場しません。直治がわざと偽っているのです。おそらく、彼の最後の見栄だったのでしょう。
どうしても真実を告白できない直治は、「フィクションみたいにして教えて置きます」という前提を設けて、胸中を打ち明けます。つまり遺書に記された恋の相手の特徴はフィクションなのです。直治が本当に恋をしていたのは、「小説家」上原の妻です。
対照的な旧思想と新思想① 蛇の存在
以上のように、没落貴族や叶わぬ恋を主軸に物語が展開しました。
そこには「旧思想」と「新思想」の衝突が描かれています。
まず、母の世代と子の世代には大きな乖離があることは既に説明しました。GHQによって華族制度が廃止されたことで、貴族でいられた母の世代と、貴族ではなくなった子の世代という違いが生じたのです。スープの飲み方ひとつとっても、母と子には違いがある様子が描かれています。
あるいは、蛇の存在が世代の乖離を象徴的に表現しています。
母は異常に蛇の存在を怖がっています。父の死際に蛇を見て以来、母は「悪い出来事」を具現化させた存在として蛇を捉えています。一方でかず子は蛇に対して恐怖心はなく、むしろ自分の中に蛇を飼っていて、母の正気を吸い取っているような感覚さえ持っています。
旧約聖書の「創世記」では、蛇はイブに林檎を与えた存在です。罰としてイブはエデンを追放されます。つまり、蛇は人間に罪をそそのかす「悪い存在」の象徴なのです。
悪い存在に恐怖しないかず子には、罪を犯すことを厭わない反逆者の素質が見て取れます。つまり、貴族の道徳に反してでも、不倫相手の子供を欲しがる様子と一致します。
蛇を恐れるか恐れないかは、古い道徳の中で生きるか、そこから抜け出す革命家になるか、という対照的な思想を表現していたのだと思います。
対照的な旧思想と新思想② 姉弟の差異
古い道徳の中で生きるか、そこから抜け出す革命家になるか、という対照的な生き方が描かれていました。当然、かず子は後者として生きる覚悟を決めました。
一方で直治は、この対照的な生き方に対して酷く葛藤していました。つまり、直治は新しい生き方に適合することができなかったのです。家族制度の廃止により、貴族ではなくなったにもかかわらず、「自分は貴族だからこんなことをしてはいけない」という制約に窒息していたのでしょう。
その象徴的な出来事は、既婚の女性に恋をしてしまったことです。彼は既婚者に恋をしている真実を打ち明けることに、とてつもない恐怖を抱いていました。貴族としてあるまじきことだと自分を脅迫していたのでしょう。
その結果、直治が選んだの自殺でした。遺書の最後には「僕は、貴族です」と綴られていました。つまり直治は、貴族出身という古い道徳から抜け出し、自分の恋に素直に生きることを選ばなかったのです。
最後まで貴族としての自分を優先したため、恋心と共に命を消滅させたのでしょう。
かず子も直治も、新しい生き方を強いられる「道徳の過渡期の犠牲者」でした。かず子は新しい道徳を自ら作り上げたことで生き延び、直治は古い道徳に囚われ死んだのです。
読書感想文
名作とされる文学作品には、その小説が描かれた頃の時代背景が反映されていることが多いです。あるいは、当時の時代背景を繊細に捉えているから、今もなお名作として親しまれているのかもしれません。
とりわけ、時代の移り変わりに際して描かれた作品は強烈なメッセージを内包している気がします。それはつまり、時代の変遷によって、かつての常識と新しい常識が衝突するからです。
夏目漱石の『三四郎』には、自由恋愛が許されない時代の若者の恋心が描かれていました。田山花袋の『蒲団』には、旧式の女性と新式の女性が対象的に描かれていました。彼らの恋心がいずれも報われなかったのは、時代の変遷において、旧式の道徳が足を引っ張ったからです。
そして『斜陽』においても、直治はかつての道徳に囚われ、自らの恋心を打ち明けることができずに自殺しました。文中では彼のような存在を「道徳の過渡期の犠牲者」と表現しています。つまり、新しい時代が到来するタイミングには、必ず旧式の道徳に囚われて苦しむ人間がいるということです。
ともすれば、2020年代を生きる我々は、彼らと同じように時代の移り変わりに際していると思いませんか。30年間経済成長の見込みがなかった日本、保守的な国民性の日本では、新時代の到来に鈍感になっているかもしれません。しかし、ワークスタイル、ライフスタイル、IT技術、エンタメコンテンツ、媒体、形式が、数年前とは全く異なります。一般人が動画配信で億万長者になる時代を誰が想像していましたか。いい大学を出て、いい企業に就職すれば幸福になれるという普遍的な道筋に、あなたは確信を持てますか?
ここ数年で、我々はいわゆるニューノーマルという概念を求められるようになりました。つまり新しい常識を強いられているのです。ここから先はあえて言及しません。かず子のように革命家として生きる決意をするのか、直治のように貴族として自害するのか、我々はそういう決断を今強いられているのではないでしょうか。
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