吉本ばなな『TUGUMI-つぐみ-』あらすじ解説|平成を一世風靡した名作

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TUGUMI 散文のわだち

吉本ばななの小説『TUGUMI』は、1989年の年間ベストセラーで総合1位を記録したヒット作です。

総合2位は同作家のデビュー作『キッチン』でした。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者吉本ばなな
発表時期  1989年(昭和64年)  
ジャンル長編小説
ページ数176ページ
テーマ死と孤独と本当の愛情
受賞山本周五郎賞
関連市川準監督による映画化
(1999年)

あらすじ

あらすじ

大学生のまりあが、故郷の海辺の街へ帰省したひと夏の出来事です。

従妹のつぐみは生まれつき身体の機能が壊れており、医者から短命を宣告されています。少し身体が疲労するだけで熱が出てしまうほど貧弱です。そういった境遇から甘やかされて育ち、おかげで意地悪で口だけ達者な少女になってしまいました。

その夏は、従妹のつぐみとその姉の陽子以外に、偶然海辺で知り合った恭一という男の子と過ごします。彼はこの街に新しく建設される巨大なホテルのオーナーの息子でした。つぐみは初めて出会った時から恭一にシンパシーを感じており、その夏二人は恋人同士になるのでした。

巨大なホテル建設は観光客をかっさらうため、街の住人からは評判が良くありませんでした。そのためオーナーの息子である恭一はたびたび酷い目に遭わされます。その末路として、恭一の飼い犬が殺されてしまいます。

一時的に実家に戻ることになった恭一との悲しいお別れの後、つぐみはある企みを実行します。裏の家に巨大な穴を掘って、その中に犬を殺した犯人を突き落として、本気で殺そうと考えていたのでした。姉の陽子が気づいたため大事には至らなかったのですが、その時ばかりはつぐみも謝罪し、酷く落ち込んでいるようでした。

落とし穴の一件がつぐみの生気を霞め、病弱な彼女の容態が急変して入院することになります。東京に帰る前にまりあが病室を訪れると、つぐみは自分の死を予感するような言葉を口にします。

まりあが東京に帰ってから、つぐみが危険な状態になったという連絡が入ります。心づもりをして再び帰省する準備をしていたのですが、翌日にはつぐみはすっかり回復していました。つぐみは自分の死を予感してまりあ宛の手紙を書いており、結果的に遺書にならずに済んだのですが、既に郵便で送っていたため届きます。その手紙には、つぐみの正直な弱音と、死に対する恐怖と、故郷の街で死ねる喜びが記されていました。

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個人的考察

個人的考察-(2)

他者視点が演出する異世界観

吉本ばななは、文庫版『TUGUMI』の巻末に、「つぐみは自分だ」というあとがきを残しています。ともすれば、本作は俯瞰的に自分を描いた作品という解釈ができます。

例えば代表作『キッチン』であれば、死や孤独といった普遍的な主題を抱えているのは主人公の「みかげ」でした。ところが『TUGUMI』の場合は、あくまで主人公は「つぐみ」であり、語り手の「まりあ」は傍観者に過ぎません。『とかげ』という作品と共通する描かれ方かもしれません。死や孤独を抱えた女性が危険に思えるくらい生き急いでいる緊張感。それを他者の視点で表現しているのです。

もちろん語り手の「まりあ」にも、父親との関係性がひとつのエピソードとして描かれますが、全編通しての主題とはあまり関係性が無いように感じます。あくまで「まりあ」の視点は、ひと夏の原風景を映し出すための役割だったのでしょう。

『キッチン』とは違い、語り手が主人公ではないからこそ、主観よりも物語性が強調された、いかにも長編らしい呼吸感だと感じます。

川端康成の『雪国』では、主人公が列車に乗って訪れる街の風景が、外部からの視点で切り取られていました。その街での女たちの生活は絶え間なく続いていても、読者が覗くことが出来るのは主人公が訪れるタイミングの側面だけです。同様に『TUGUMI』においても「まりあ」が東京の大学生である故に、故郷の街は彼女の訪問という外部からの視点でのみ描かれていました。おかげで、故郷の街はある種の神秘性を帯びた印象を感じさせ、一夏の出来事が思い出の中での異世界としてロマンチックに演出されているようでした。『雪国』の幻想性と近しいものを感じます。

ちなみに1990年には牧瀬里穂と中嶋朋子のW主演で映画化され話題になりました。

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他者視点が演出する裏切り

語り手を「まりあ」にした最大の魅力は、読者がつぐみに裏切られる点です。

他者視点である故に、つぐみの素直な心情は見えず、意地悪な性格や口の悪さはありありと伝わっても、彼女が何を内に秘めているかは判りません。まりあは誰よりもつぐみを理解している立場に居ましたが、その過信によって度々読者はつぐみに裏切られるのです。

例えば、恭一の犬を殺した不良グループへの仕返しの場面は、完全にまりあの予測は的外れでした。つぐみの容態が急変する場面では、彼女の心情を汲み取ろうとしても、あくまで外部の視点からは見えないため、その後の展開にいちいち裏切られます。そんなふうに読者である私たちは「つぐみ」に振り回されて、知らず知らず彼女のことが気掛かりになって、愛着を抱いてしまうのでしょう。それ故に読了後のロスが甚だしいわけです。

つぐみの手紙をラストに挿入したのは、吉本ばななが自身を彼女に重ね合わせていたからこそ、最後には生のつぐみの心情を吐露したかったのでしょう。ぶっきらぼうな彼女の弱い側面を手紙で知り、途端にいじらしさから来る愛着がぐっと増します。そして感情がピークな状態で物語は幕を閉じます。読了後には、有り余る「つぐみ愛」に甘い溜息を溢し、もう一度手紙の部分を読み返したり、気に入った章のページを探したり、しばらく『TSUGUMI』から離れられなくなるのです。

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「つぐみ」の精神的な弱さ

食うものが本当になくなった時、あたしは平気でポチを殺して食えるような奴になりたい。(中略)できることなら後悔も、良心の呵責もなく、本当に平然として『ポチはうまかった』と言って笑えるような奴になりたい。

『TSUGUMI/吉本ばなな』

この例え話をつぐみは「いやな奴なりの哲学」と言っていました。

周囲の人間も読者も、高慢なつぐみを心底嫌いにはなれないのは、彼女が時々こういった「隙」を見せるからではないでしょうか。

つぐみは肉体と精神が対局の位置にありました。生まれつきの肉体の弱さは、強靭な精神力によって、お互い引っ張り合うようにして、上手に釣り合っていたのでしょう。逆に言えば、短命を宣告されたつぐみが長く生きていられるのは、彼女の生に対する強い精神力のおかげであり、気を抜けばすぐにダメになってしまうことを知って、彼女は強情に生きる努力をしていたのだと思います。

それこそが、「ポチを殺しても後悔や罪悪感を抱かない奴になりたい」という言葉に秘められた、彼女の寿命を繋ぐ精神力の正体でしょう。そして「なりたい」という語尾から分かるように、つぐみは平然と傲慢な性格をやってのけているわけではなく、罪悪感を抱いてしまう弱さを捨てきれずにいたのでしょう。

事実、恭一の犬を殺した犯人を殺すために穴を掘った事件に対して、姉の陽子に問い詰められたときに、つぐみはいつになく落ち込んだ様子で謝罪していました。彼女はやはり「平然と笑える奴」ではなく、そう演じているだけの弱い少女だったのでしょう。

最後の手紙には、穴を掘っているときのつぐみの心情が綴られていました。

汚れないように水着で作業していた彼女は、体の弱い自分には水着で泳いだ記憶がないことに気づきます。これまで体の弱さを実感しても、足元ではなく青空ばかり見上げていたので、気づかなかったと説明しています。しかし、今回ばかりは穴掘りで(肉体的にも精神的にも)下ばかりを見続けたために心が蝕まれ、青空を見上げる気力が無くなってしまったのでしょう。

この事件のあとすぐに、つぐみは体調を崩して生死を彷徨うことになります。外からは見えない内側の弱さが、彼女の死の予感に直結していたのだと思います。

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生まれ変わった「つぐみ」

一度死にかけたつぐみは電話でこんな台詞を口にします。

もしかしてあたしは、これから少しずつ変わってゆくのかもしれない

『TSUGUMI/吉本ばなな』

吉本ばななも巻末のあとがきに、「この小説のラストはつぐみの新しい人生のはじまり」だと記しています。つぐみは一度死に新たにナマの人生を始める、という結末だったようです。

物語は「まりあ」が過去の出来事を回想する形式で描かれるため、その時分にはつむぎがどうなっているかは記されていません。つぐみの家族である「山本家」が別の土地に移動した事実だけが記されます。場合によってはもう既に死んだつぐみを回想しているという解釈もできるでしょう。

それはそれで読者の自由解釈なので素晴らしいと思いますが、あくまで吉本ばななの意図で考えれば、つぐみの死は想定されていなかったように思います。巻末の解説には当時の作者の対談の一部が記されています。そこには、自分が人生に否定的な性格なため小説は必ずハッピーエンドを書くと決めている、という吉本ばななのポリシーが掲載されていました。

ともすれば、肉体の弱さに抗うためのギリギリの精神状態を克服し、つぐみは本当の意味で自分らしい人生を歩むことが叶った、という希望に満ちたエンドロールだったのだと思います。なぜ彼女は死の底から這い上がったのか。それは高慢な彼女を心底嫌いになれない、周囲の人々の愛情のおかげであり、それを素直に受け入れられたことが、彼女にとっての克服だったのかもしれません。

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