谷崎潤一郎の小説『猫と庄造と二人のおんな』は、その名の通り、猫と二人の女性をめぐる物語です。
正造、そして元妻と後妻が、猫に嫉妬し、破滅していくという前代未聞の作品です。
本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。
作品概要
作者 | 谷崎潤一郎(79歳没) |
発表時期 | 1937年(昭和12年) |
ジャンル | 長編小説 |
ページ数 | 130ページ |
テーマ | 猫をめぐる嫉妬 猫に投影する女性像 |
あらすじ
庄造の前妻である品子は、後妻の福子に対し、雌猫のリリーを譲って欲しいという手紙を出します。正造は妻以上にリリーを愛でており、丁度その状況に腹を立てていた福子は、リリーを譲るよう命じます。この件を巡って夫婦喧嘩が勃発し、その末に庄造は嫌々リリーを譲ることに同意します。
前妻の品子は、実は正造を誘き寄せる作戦のために、好きでもないリリーを引き取ったのでした。それ故にリリーを手懐けるのに苦労します。実際に、リリーは以前にも他人に譲られたことがあったのですが、その時は自らの意志で庄造のもとに戻って来ました。そのため正造は、今回も戻ってくることを期待していました。ところが、いつしか品子とリリーは互いに打ち解けあい、正造の願いは叶いませんでした。
庄造はリリーが恋しくてたまらず、変質者のように品子の家の側に隠れたりし、とうとう留守中にこっそりと家を訪ねます。虐められていないか心配だったのですが、意外にもリリーは大切に飼われていました。それどころかリリーは、既に正造との関係を忘れたかのように見向きもしませんでした。久しぶりの再会も束の間、品子が帰宅し、庄造は見つからないよう慌てて逃げ出すのでした。
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個人的考察
「源氏物語」翻訳期間に書かれた作品
『春琴抄』を代表とする昭和初期の傑作たち。それに続く形で発表されたのが『猫と庄造と二人のおんな』です。
執筆時期は、谷崎が生涯三度臨んだ『源氏物語』の現代語訳に取り組んでいた頃です。翻訳に要した四年間、谷崎は全ての仕事を断っていましたが、本作のみ例外的に発表されました。
そのためしばしば『源氏物語』から着想を得た作品として論じられることがあります。
- 未熟な庄造▶︎女三の宮
- 多情な福子▶︎光源氏
- 福子の嫁入り▶︎女三の宮の輿入れ
- 過保護な正造の母▶︎朱雀院
このように『源氏物語』の設定が少なからず、『猫と庄造と二人のおんな』に影響を与えているようなのです。
詳しくは谷崎潤一郎による現代語訳版『源氏物語』をチェックしてみてください。
ちなみに『源氏物語』の現代語訳に取り組んでいた時期は、既に谷崎潤一郎は関東大震災の影響で兵庫県に移住しています。当初は関西の文化に毒づいていた谷崎ですが、次第に魅了されていき、以降彼の文学作品には関西弁がふんだんに使われるようになります。
『猫と庄造と二人のおんな』は一二を競うくらい関西弁色が強いため、関西圏以外の人は読みづらいかもしれません。
しかし、方言ならではの人間模様が、嫉妬や執着といったテーマの良い味付けになっているので、その辺りを意識しながら読むと解釈が深まるかもしれません。
猫に投影する谷崎の女性像
谷崎文学といえば、女性崇拝、マゾヒズム、献身の美学、などなどが挙げられます。ひいては小悪魔的な女性に屈服した男が破滅していく様が頻繁に描かれます。
代表作『痴人の愛』では、自由奔放で小悪魔な少女「ナオミ」に翻弄された主人公が、破滅に向かいながら最終的には、彼女の乗り馬になって屈服するという衝撃の物語が描かれました。
そして、本作『猫と庄造と二人のおんな』では、その女性像が猫のリリーに投影される歪な構造になっています。
主人公の正造は、妻を差し置いて猫のリリーを愛でます。自分が好みもしない食事を妻に作らせ、それをリリーに与えることに喜びを感じているのです。しかも、時にリリーは正造に爪を立て、出血させることもあるのですが、彼はそんなことも含めてリリーが愛おしくて堪らないのでした。
リリーに女性像を投影させるにあたり、猫という生物の特性が巧みに描かれています。
犬のように従順ではなく気まぐれな性格である点。されど大勢ではなく二人きりになった時に不意に身を寄せ甘えてくる点。こういった特性に女性的な美意識を見出し、正造は虜になっているのです。かつて他者に譲った際に自分の元へ戻ってきた時の歓喜はとてつもなく、ますます正造はリリーに翻弄されました。
正造自身も、女性の感情を読むように、リリーの瞳や態度から内面の言葉を解釈し、妻以上の関係性を築き上げています。だからこそ、リリーを元妻の品子に嫌々譲って以来、正造は病的な執着を見せ、もはやストーカーまがいな挙動に出ます。これは『痴人の愛』で主人公が、ナオミの浮気を疑い張り込みしていた時の異常な執着と重なる部分があります。
リリーとは百合の花を指し、一種の妖艶と純粋を想起させます。純粋の裏に潜む妖艶に魅せられ、狂ったように執着し、破滅していく様は、まるで恋愛のそれです。
あえて猫に女性像を投影させる設定が奇抜で、一般的な恋愛小説とは一線を画すユーモアが楽しめます。
猫に嫉妬する女たち
女たちの小競り合い、といった設定なら掃いて捨てるほど溢れていますが、嫉妬の対象が猫ですから異色です。
あるいは、前妻も後妻も、本質的に正造のことを好いてはいない、という設定が、人間模様を描く天才・谷崎潤一郎の技量の表れでしょう。
前妻の品子は、猫のリリーを譲り受けることで、正造が自分の元に戻ってくるという作戦を企てていました。しかし、彼女は正造を愛してやまないから、そのような行動に出たわけではありません。品子は優秀な妻だったのですが、姑問題によって追い出される羽目になりました。正造の母は、後妻である福子の持参金目当てに、品子を追い出してやろうと、半ば正造の浮気をそそのかしていたのです。
これまで散々正造や姑のために尽くしてきた品子は、こういった酷い仕打ちに納得できず、愛情ではなく、半ば理不尽に対する執着として、正造を取り戻そうと考えていたのです。
一方で後妻の福子は、股尻の緩い手のつけようがないおてんば娘でした。貰い手がいないことを心配した父が、正造の母と手を組んで、結婚に導いたのです。
そんな浮ついた性格のため、福子は猫のリリーを畜生と呼び、自分よりも畜生を大事にされることに憤慨して、リリーを譲らなければ自分が出ていくと言い張ります。別に正造に執着する理由もそれほどなかったみたいです。
このように二人の女は、正造への愛ではなく、ある種の憎悪によって、リリーに嫉妬し、リリーに振り回されているのです。正造ではなく、猫のリリーを中心に女性の人間模様が描かれる構図は、滑稽でありながら、人間の醜悪をリアルに描き出していて読み応えがあります。
全てを失い破滅する正造
品子も、リリーも、可哀そうには違いないけれども、誰にもまして可愛そうなのは自分ではないか、自分こそ本当の宿なしではないかと、そう思われて来るのであった。
『猫と庄造と二人のおんな/谷崎潤一郎』
妻たちを顧みない、ぼんくらのような印象の正造ですが、実は最も孤独を抱えていたのは彼なのです。
正造がリリーに最も愛情を注ぐようになったのは、母や妻に低能児のように見放され、その不服を打ち明けられる友人もいない孤独に苛まれた結果でした。
彼はまるで言いなり人間でした。品子を追い出し、福子を迎え入れたのは母の策略です。ところが正造は自我を持たぬ阿呆のように見えて、心の中では不服を抱いていたのです。いわゆる、ノーと言えない日本人の典型で、自分の主張を口にできないまま、周囲の意図に流されて生きていたのです。
そんな彼にとって、言葉を持たぬ猫のリリーは、無言で自分の心を見抜いて慰めてくれるような存在でした。ある種の現実逃避によって孤独を埋め合わせていたのでしょう。
しかし皮肉なのが、あれだけ心が通じていると思っていたリリーは、最後には既に品子に懐いており、正造には見向きもしませんでした。言葉を持たぬ、感情に忠実な猫だからこそ、そこに人間的な慈悲はなかったわけです。
リリーに見捨てられ、品子とは顔を合わせられず、逃げ出した正造。しかし家では、前妻の家に赴いていたことを知った福子が激怒しているため、門を跨ぐこともできない。どこにも帰る場所がなくなった正造は、とうとう全てを失ってしまったのです。
猫に翻弄されたあまりに全てを失い破滅してしまった男。ユーモアたっぷりで笑える一方で、谷崎文学のどことなくシリアスな破滅感があり、正造に同情せずにはいられません・・・。
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