カミュ『転落』あらすじ考察 サルトルとの論争から生まれた小説

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カミュの小説『転落』は、『異邦人』『ペスト』に次いで、三番目に発表された作品です。

従来の作品とは異なる趣があり、カミュの著書の中で特異な扱いがなされています。

当初は短編の想定だったため、短編集『王国と追放』と共に単行本に収録されています。

『転落』作品概要

作者アルベール・カミュ(46歳没)
フランス
発表1956年
ジャンル中編小説
テーマ現代人批判
裁きの是非
人間の二重性

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『転落』あらすじ

あらすじ

アムステルダムのバーで出会った見知らぬ人に対する、5日間の告白が綴られる。

主人公のクラマンスは、周囲から称賛される弁護士だった。女性関係には事足りている。街中では他者に対する親切を怠らない。しかしそれら全ては、自身を高い位置に到達させるためのエゴイズムに過ぎなかった。

そんな完璧を求めるクラマンスは、ある夜に川辺で笑い声を耳にする。その笑い声が象徴的に自分の中に残り、過去のある出来事が回想される。かつてクラマンスは、女性が川へ身投げする現場に居合わせた。頭では助けなくてはいけないと考えていたが、彼は一ミリも動くことができなかった。その記憶は、自分が裁かれる危険性をクラマンスに思わせる。精神が不安定になった彼は、わざと自分の名誉を汚すことで、自分の偽善に反抗しようとする。しかしそれも失敗に終わり、最終的には放蕩の世界に身を置くようになる。

こういった告白を通して、クラマンスは自分を裁き、しかしその姿を他者に見せつけることで他者をも裁き、自分だけは高い位置に君臨しようと考えているのだった。




『転落』個人的考察

個人的考察

サルトルとの論争が背景にある

本作『転落』は、他のカミュ作品とは一線を画す、特異な小説である。もはや小説と呼ぶべきかも怪しい。「裁き」に対する思想と、現代人批判を綴った内容は、あるいは哲学書に近い。

そのため、物語の意味を今ひとつ把握しきれなかった人も多いのではないだろうか。

文庫本の解説に記される通り、本作の執筆経緯にはサルトルとの論争が関係している。

■サルトル=カミュ論争
カミュの随筆『反抗的人間』に対する、サルトルの批判的な書評に端を発する。二人が対立した理由は、革命に対する思想の違いである。サルトルとソ連の親交は有名だが、つまり彼は革命を美化していた。一方でカミュは革命に伴う殺人を真っ向から否定した。

この対立によって二人の関係は乖離した。

しかしカミュに最もショックを与えたのは、「君は道学者ぶって高みに位置している」というサルトルの批判内容だった。この批判はカミュにある種の「裁き」の感覚を与え、それが本作『転落』の主題と繋がっている。主人公のクラマンスが過度に裁きを恐れるのは、少なからずカミュの実体験が関係しているのだろう。

加えて作中では、現代人に対する露骨な批判が多く記されている。

じつのところインテリってのは、誰だって、ギャングの一員になり、暴力だけで社会に君臨したくて仕様がない連中なんです。ギャングものの小説を読んで信じられるほど、そいつはそんなに容易じゃありませんから、インテリは一般に政治に頼り、一番残忍な政党に走るんです。

『転落/カミュ』

インテリが暴力を美化し残忍な政党に走る、という文句は、紛れもなく革命を美化するサルトルを批判した内容だろう。

このように、サルトルとの論争の果てに発表された作品だと知れば、多少なりとも物語の輪郭が掴めるかもしれない。

ちなみに『反抗的人間』をめぐるカミュとサルトルの論争は、『革命か反抗か』という著書に収録されている。気になる方はぜひ手にとっていただきたい。

主人公のエゴイズム

続いて物語の考察に入るが、最も印象的なのは、主人公クラマンスの恐るべき善人ぶり、その背後にあるエゴイズムの存在だろう。

彼のエゴイズムがどれほど凄まじいか、それが結果的に「転落」に繋がった理由を、順番に解説していく。

自己愛というエゴイズム

エゴイズムを描いた自意識過剰な小説でありながら、主人公のクラマンスは、最初から最後まで徹底的に自己愛に満ちている。

クラマンスは、周囲から称賛される弁護士だった。とりわけ未亡人や孤児の案件を専門とし、貧しい依頼者からは金を取らない。恐ろしいくらいの善人ぶりである。しかしこんな風に他者に尽くせるのは、単なる無償の人類愛からではない。名声という代償を求めていたのだ。

言うなれば、社会的弱者を救う聖人君主を気取っていたのだ。

弁護士という立場も大きな意味を有していた。裁判所において判事は判決を言い渡し、被告は断罪される。しかし弁護士であるクラマンスは、直接自分が他者を糾弾せず(弁護する側であるため)、自分が断罪されることもなく、名声と保身を維持できたのだ。

他にも彼の善人ぶりは仕事外でも発揮される。

例えば街中に盲人がいれば、手を取って信号を渡る手助けをしてあげる。そして手助けが終われば、クラマンスは盲人に向かってわざと会釈する。当然盲人には彼の会釈は見えていない。つまりクラマンスは公衆に対して自分の善行を見せつけていたのだ。

このようにクラマンスは、他人への親切を通して、名声を得て自己愛を高めていたのである。

支配欲からの転落

いかにも完璧な善人を演じ切っていたクラマンスだが、徐々にボロが出始める。

決定的な出来事が二つ起こった。

一つ目は、車の運転中に道路を塞ぐバイクの運転手を注意し、その相手に殴られたことだ。後ろに車がつっかえていたため、クラマンスは正義感で注意したのだが、返り討ちにあった。そしてバイクは去っていった。その結果、今度は自分が道路を塞いでいる立場になり、皆が自分にクラクションを鳴らし始めた。しばらくクラマンスはバイクの運転手をぶちのめす妄想に明け暮れることになった。

二つ目は、ある女性との性行為に失敗したことだ。これまでクラマンスは多くの女性と性行為をし、自分の能力を確かめることで、自己愛を高めていた。ところがその女性は、クラマンスが失敗したことを周囲に言いふらした。そこでクラマンスが出た行動は、なんとしてでもその女性を捕まえ、性行為を成功させ、徹底的に服従させることだった。

これらの出来事が意味するのは、他者は常に自分の自己愛を高める存在でなければいけない、ということだ。自分のエゴイズムを台無しにする者はぶちのめし、自分の名声を傷つける者は服従させなければ気が済まない。

要するにクラマンスは、全ての人間を支配することに必死になっていたのだ。作中では、「彼らは独自の生を持ってはいけない」と記されている。つまりクラマンスにとって都合良い存在であり続けなければいけないのだ。

こういった支配欲は、やがてクラマンスを「転落」に招くことになった。




転落が起こった理由

善行によって完璧な自分を演じ切っていたつもりが、いつの間にか支配欲に振り回されるようになったクラマンス。

そんな彼はやがて「転落」の一途を辿ることになった。

決定的なきっかけは、自殺現場を素通りしたことだった。見知らぬ女性が川に身投げし、クラマンスは頭の中では助けなければと考えていたが、一ミリも動けなかった。

これまで散々エゴによって善意を振り撒いていた彼は、なぜ自殺者を見捨てたのか。

たぶんリスクを恐れたからだろう。川に飛び込んで助けに行けば自分も死ぬ可能性がある。あくまでクラマンスは自己愛人間で、生きて名声を得なければ意味がない。だから生命のリスクを冒してまで善行は果たせなかったのだろう。

この出来事は、のちにクラマンスを精神的に疲弊させることになる。他者に裁かれる可能性に怯え始めたからだ。完璧な善人を演じているが、自殺者は見捨てる。そんなボロが少しでも露わになれば、たちまち他者に糾弾されるだろう。そんな強迫観念に苦しめられたのだ。

その結果、クラマンスはなんと自分の名誉を自分で汚そうと考え始める。言ってしまえば、他者に糾弾されるよりも先に、自主的に完璧なイメージを壊すことで、強迫観念から解放されようと試みたのだ。

最終的にクラマンスは社会から離れ、放蕩の生活を始める。仕事を辞め、酒と女に明け暮れることで、あらゆる束縛から自由になろうとしたのだ。

こうして、優秀な弁護士、完璧な人間から一気に「転落」したクラマンス。彼は本当にエゴを捨て、自分を責め続けていたのか。つまり、自殺者を見殺しにした出来事に罪の意識を感じ、自己愛を失ってしまったのだろうか。

答えは否である。その理由は次章で解説する。

「裁き手」にして「悔悛者」

作中では、クラマンスは自分を「裁き手にして悔悛者」だと自負している。

他者を咎める立場でありながら、自分の罪を悔いる立場。一見矛盾しているように感じるが、しかしこれは最大の自己愛の手段なのだ。

例えば、もし自分が他人を糾弾すれば、それはブーメランのように自分に跳ね返ってくる。なぜなら、他人の欠点を指摘すれば、自分にも同じ欠点はないだろうか、と疑問が投げ返されるからだ。仮にも自分に同じ欠点があれば、結果的に自分を責めることになる。つまり、他者とは自分の写し鏡なのだ。

一方でクラマンスは、この写し鏡を逆の方法で利用する。つまり他者を糾弾するよりも、先に自分を糾弾して見せるのだ。自分を糾弾する姿を他者に見せつけることで、それが逆に他者にとっての写し鏡となり、結果的に他者を裁く行為になるわけだ。

これこそまさに「裁き手にして悔悛者」の真意である。

表面的に自分を悔いることで、心の中では他者を裁き続けていたのだ。

本作はバーで出会った見知らぬ人に、クラマンスが自分の汚点を告白する設定だ。つまりクラマンスは、他人の前でわざと自分を糾弾することによって、その他人を裁いているわけだ。さらに言うなら、本作を手に取った読者も、クラマンスの自己糾弾を見せつけられ、結果的に彼に裁かれていることになる。

こうした自分を先に裁くことで、結果的に他人を裁く、という手段は、クラマンスが最終的に見つけ出した自己愛の究極形である。彼は何としても他者を裁き、支配することで、自分だけは高い位置に身を置こうと考えていたのだ。

言ってしまえば、自分から先に欠点を打ち明けることで、他者からの裁きを回避する、臆病な男の物語なのであった。

自分が好きで好きで仕方がないクラマンス。

確かに本作を読んだ者は、少なからず自分の利己的な部分と重ね合わせて、自己嫌悪に陥るだろう。それこそがクラマンスの企み通りであり、してやったり、というわけだ。




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