PTSDのリズムが聞こえる!? 太宰治の『トカトントン』あらすじ考察

トカトントン 散文のわだち




太宰治の小説『トカトントン』をご存知ですか?

1947年に発表された短編小説で、作品集『ヴィヨンの妻』に収録されています。

「とある作家の元に一通の手紙が届いた」という設定で、その手紙の内容が書簡形式で展開されます。

ちなみに、実際に自分のファンから送られてきた手紙を元に、太宰治は執筆の着想を得たようです。

執筆時期は、戦後間もなくの1946年頃です。敗戦を突き付けられた日本国民の喪失感がテーマになっています。

あるいは、ファンの手紙には不自然な企みが含まれています。だからこそ、最後の作家による返事の内容が理解できなかった方も多いのではないでしょうか。

それら不可解な部分に着目しながら、あらすじを考察していこうと思います。

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『トカトントン』の作品概要

作者太宰治
発表時期1947年(昭和22年)
ジャンル短編小説、書簡体形式
テーマ敗戦の喪失感、PTSD

『トカトントン』の300文あらすじ

手紙の差出人である青年は、幻聴に悩んでいます。

きっかけは日本の敗戦でした。玉音放送を聞いている最中に、突然、彼は金槌で釘を打つような音を耳にします。トカトントン

以降、自分が物事に本気になった時には必ずその音が聞こえてきて、途端に熱意が冷めてしまいます。執筆、恋愛、運動、思想、全てがその調子です。

事実、この手紙を書いている途中にも「トカトントン」が聞こえ、既に手紙に対する熱意は失われています。

どうすれば幻聴が消えるのか、青年は作家に助けを求めます。

すると作家は「気取った悩みだ」と一蹴します。そして、「マタイ十章 二八」を読んで感動できれば幻聴は消えると説くのでした。

『トカトントン』のあらすじを詳しく

①差出人である青年の悩み

物語は「拝啓」に始まります。とある小説家に向けた手紙の内容が読み進められる構造です。

差出人である26歳の青年には、悩みがあります。それは幻聴です。

正確には、幻聴に悩まされているのではなく、幻聴による作用に悩まされているのです。

青森県の花屋の次男として生まれた青年は、軍隊で4年間過ごし、無条件降伏、つまり敗戦と同時に故郷へ帰ってきました。

実家は焼失し、その焼け跡に小屋を立てて、父と兄と兄嫁が3人で暮らしていました。そこに潜り込むのも気の毒なので、伯父の郵便局に住み込みで勤めることになりました。1年ほど働いていますが、日毎に自分がくだらない人間になっているように彼は思っています。

青年は戦中、軍需工場で働いている頃から、手紙の宛先の小説家の作品を読んでいました。そのうちに、小説家が同じ中学の先輩である事を知ります。家も近所だったため、知り合いに紹介状を書いてもらい、小説家の元を訪ねようと思っていました。しかし、青年は小心者のため、なかなか実行できません。これまで幾度となく、小説家に向けて手紙を出そうともしました。しかし、何を書けばいいかの分からず、毎回筆を置いてしまいます。

そして終戦後、ようやく困りごとがあるという名目で手紙を出すことができました。その困りごとが、つまり幻聴です。

②幻聴のきっかけ

では、青年はなぜ幻聴に悩まされるようになったのでしょうか?

きっかけは敗戦でした。

終戦の日、兵舎前の広場で、青年は玉音放送を聞きます。厳粛な雰囲気の中、彼は自分の体が血の底へ沈んでいくような感覚に陥ります。底知れない喪失感から、彼は死のうと思いました。

その時、背後から誰かが金槌で釘を打つ「トカトントン」という音が聞こえてきます。

途端に、青年の心から悲壮も厳粛も消え、なぜか白々しい気持ちになったのです。もはや死ぬ気さえ起こりません。

彼は妙な脱力感を抱えたまま、ぼんやりと帰郷します。

それ以来、自分が物事に感動し、奮い立とうとする時には必ず「トカトントン」という音が聞こえてきます。その瞬間に、全てが儚く、馬鹿らしい気持ちになるのでした。

③小説を書いても、仕事に熱中しても

帰郷してすぐは、これから好きな勉強ができると、青年は自由を実感していました。

事実、小説でも書いて、手紙の宛先の小説家に読んでもらおうと意気込んでさえいました。彼は夢中になって、原稿用紙100枚ほどの作品を執筆します。

しかし、完成間近になって急に「トカトントン」が聞こえてきます。

途端に、100枚ほどの原稿用紙が馬鹿らしくなり、毎日の鼻紙として処分するようになりました。

以降、青年は全く無感動な日々を過ごします。

しばらくすると、青年は自分の仕事にやりがいを感じるようになります。丁度「円貨の切り替え」という大仕事も重なり、青年は自分の仕事にプライドを持ち、取り憑かれたように働きます。

しかし、円貨の切り替えも今日で終了というラストスパートに差し掛かった段階で、「トカトントン」が聞こえてきます。

途端に労働に対する満足感も、神聖な気持ちも馬鹿らしくなります。そして、最終日の一番な多忙な状況の中、青年は布団に潜り込み、仕事を休んでしまうのです。

それ以降、青年は無気力な窓口局員に戻ってしまいます。

突然の態度の変化に、伯父は彼を心配します。青年は「神経衰弱かもしれない」と訴えます。すると、伯父はこんなセリフを口にします。

「俺もそうにらんでいた。お前は頭が悪いくせに、むずかしい本を読むからそうなる。俺やお前のように、頭の悪い男は、むずかしい事を考えないようにするのがいいのだ」

『トカトントン/太宰治』

それを聞いた青年は苦笑しました。

④恋をしても

やがて青年は恋をします。

相手は旅館の女中である「時田花江」という女性です。

彼女は戦災にあって、終戦直前にこの村に疎開してきました。村内では彼女のよくない噂が広まっています。若いのに凄腕、つまり男につけ込んで金をせしめているという噂です。事実、花江さんは週に1、2回、それなりの大金を貯金しに郵便窓口へやって来ます。

青年は花江さんの悪い噂を信じてはいませんでした。しかし、恋をしている故に噂のことを考えると胸が苦しくなります。「死んでも、ひとのおもちゃになるな!」、ある小説の有名なセリフを彼女に伝えたくて仕方ありません。しかし、野暮な青年はキザな言葉を口にする度胸もないのでした。

ある日、いつものように花江さんの紙幣を数え、通帳に記入をしていました。すると、彼女の方から「仕事終わりに2人で会えないか」と誘ってきます。青年はあまりの嬉しさに、仕事が終わるまで浮かれっぱなしでした。

仕事終わりに青年と花江さんは、海岸の砂地に腰を下ろします。

花江さんは、「自分が頻繁に貯金しに来るのを変に思っているだろう」と青年に尋ねます。青年は「変に思っている」と素直に答えます。すると花江さんは弁解を始めます。どうやら、例の貯金は自分ではなく、旅館の女将さんのものだと言うのです。つまり花江さんではなく、女将さんが「凄腕」だったのです。

弁解する花江さんの目には涙が浮かんでいました。青年は無性にキスしたい気持ちになります。

しかしその時、例によって「トカトントン」が聞こえてきます。

途端に、彼女に対する興味が一切無くなります。誰のお金だろうが、誰が凄腕だろうが、自分には関係ないと感じるようになります。

青年は、またしても普通の窓口局員に戻ってしまいました。




⑤政治運動に魅了されても、スポーツに感動しても

青年は、政治運動や社会運動に対して関心がありません。それどころか、いくら問題を掲げても、日々の暮らしの憂鬱は解決されないと、絶望的な印象さえ抱いています。

ところがある時、労働者のデモを目にした青年は、自分の考えが間違っていたことに気がつきます。

労働者のデモ行進の様子から、真の自由というものを感じたのです。

青年は自分の行末が照らされたような歓喜に包まれ、涙を流していました。

しかしその時、「トカトントン」が聞こえてきます。途端に虚無さえ打ち壊すような脱力感に包まれます。

また、青年はスポーツに対しても関心がありませんでした。

しかし、駅伝競走の様子を目にした青年は、またしても感動に包まれます。選手たちが命がけで走る様子が、無報酬の行為に思えたからです。「ただ走りたい」という選手の思いは、「虚無の情熱」とさえ綴られています。それが当時の青年の空虚な心情に上手くハマり、感動に繋がったのです。

以降、青年は局員たちとヘトヘトになるまでキャッチボールに取り組みます。スポーツの爽やかな疲労感に、自分の殻を破るような解放を感じていたのです。

しかし解放感も儚く、いつも通り「トカトントン」が聞こえてきます。途端に、「虚無の情熱」さえも失われてしまいました。

⑥青年の問いと、小説家の回答

物事に夢中になれば、間も無く無気力になってしまう青年。最近では何をしても、「トカトントン」が聞こえて来るようです。

挙句、自殺という最終手段を考えても、「トカトントン」に無気力にされて、実行できません。

事実、この手紙を書いている途中にも「トカトントン」が聞こえています。そのため、既に青年は手紙を書くことが馬鹿らしくなっています。「あまりにも自分の手紙がつまらないため、ほとんど作り話になった」と青年は告白します。

つまり、花江さんなど存在しないし、デモも見ていないと言うのです。手紙の内容の大概が嘘なのです。

ただ一つ、「トカトントン」だけが紛れもない真実のようです。

どうすれば幻聴から逃れることができるのか、青年は小説家に問いかけます。すると手紙を受け取った小説家は以下のように答えます。

「拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。」

『トカトントン/太宰治』

さらに、「マタイ十章 二八」のイエスの言葉に感動することができれば、幻聴は止むと説き、返事は締め括られます。

そして物語は幕を閉じます。




『トカトントン』の個人的考察

「トカトントン」の音の正体

本作を通して青年に付き纏う「トカトントン」という幻聴。その音を耳にした途端、青年の関心や熱意が一瞬で失われてしまいます。

一体、「トカトントン」の正体は何なのでしょうか?

先に結論を申し上げるなら、おそらく音の正体は、「敗戦を経験した日本人の喪失感の象徴」でしょう。

青年が初めて音を耳にしたのは、玉音放送、つまり天皇自らが敗戦を国民に伝えた場面です。国民が抱いた敗北感、あるいは戦争という目的を失った喪失感が、「トカトントン」という音に集約されているように考えられます。

若い中尉は敗戦を告げられても、愛国心を頑なに持ち続けています。それに対して主人公である青年は、愛国心も軍国主義的な思想も、一切が消え失せてしまいます。一部の愛国者を除いて、大抵の国民が青年と同じ心境に陥ったのではないでしょうか。

つまり、散々愛国心を煽られ、死に物狂いで国に従事してきたにも関わらず、敗戦を告げられたことで、自分は一体何のために血と汗を流してきたのだろう、と疑問を感じたはずです。

それはいわゆる「アイデンティティの喪失」にもなり得ます。これから自分は何のために、何を信じて、何をすればいいのか、そういう途方もない感覚が、幻聴によって青年の人生に付き纏っていたのでしょう。

いわゆるベトナム戦争で問題になった、「PTSD」の症状と同じようなものだと思います。敗戦後の日本人にも、喪失感や、それにまつわるトラウマ、苦しみがあり、精神的な部分に深い傷を抱えていたのでしょう。

青年は戦争のトラウマによって、その後の人生を無気力に過ごす羽目になったのかもしれません。

「トカトントン」は再建の音!?

敗戦後の日本人の喪失感が象徴される「トカトントン」という幻聴。

ではなぜ、トンカチで釘を打つ音だったのでしょうか。

1つ目の推測は、「トカトントン」は建物を再建する音ではないかというです。

当時、焼失した街を復興するために、町中にはトンカチで釘を打つ音が響いていたと仮定します。玉音放送を耳にした時に、偶然トンカチの音が鳴っており、無意識にその時の心情と音がリンクした可能性があります。

例えば、音楽や匂いや映像が、過去の出来事と重なることはよくあると思います。同じように、青年の潜在的な部分には、当時の音が刻み込まれ、「喪失感」がフラッシュバックする瞬間には、反射的にその音が想起されるようになったのかも知れません。

また、建物の再建は、いわゆる「振り出し」を意味します。

つまり、物事に必死になっても結局全てが失われて、一からやり直さなければいけない、という脱力感と、戦後の再建の様子が、文脈上で重なっているように思われます。

こういった無力感が、何に対しても本気になれない青年の精神状態を作り上げていたのかも知れません。

「トカトントン」はキリストを十字架に張付ける音!?

2つ目の推測は、「トカトントン」はキリストが十字に張付けられる音ではないかという説です。

青年の悩みに対して、小説家は「マタイ十章 二八」を引き合いに出します。

「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る物を恐れよ」

『マタイ10章 28節』

これは要約すると下記のようになります。

「体を殺しても、魂を殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、魂も体も、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」

さらに噛み砕くと、「肉体を殺すことしかできない人間より、全てを滅ぼせる神様の方が凄いから、迫害に負けずがんばって布教しなさい」という意味になります。

かつて、人間はキリストを処刑しました。しかし、人間の力ではキリストの肉体のみを殺すことしかできませんでした。魂までは殺せなかったからこそ、キリストは復活したのです。

これが「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな」の解釈になります。要するに、魂までは殺せない人間など大したことはないという意味です。

これらの宗教的な意味を踏まえて、小説家の意図を考察します。

戦争という人為的な争いによって、沢山の人間が死にました。青年は生き延びましたが、まるで精神疾患のように幻聴に悩まされています。

そんな青年に対して、小説家がキリストの教えを引き合いに出したのは、「人間には他人の魂を殺すことはできないので、いかなる戦争の傷も青年の魂までは殺せない」と伝えたかったからではないでしょうか。

キリストを十字架に張付ける人間の行為は無意味でした。それと同様に、「青年は無意味な苦悩に囚われている」と小説家は訴えているのではないでしょうか。だからこそ、青年に同情しなかったのかも知れません。

最後の小説家の返事の意味

私は本作に青年の企みが感じられてなりません。

それは手紙という建前を使って、小説家に自分の小説を読んでもらおうという企みです。

青年は敗戦後に小説を書いていました。しかし、「トカトントン」の音を聞いたことで、執筆の熱意が失われ、小説を書くことをやめてしまいます。

しかし、これは青年の臆病な性格による言い訳のように考えられます。事実、小説家に会いに行くことや、手紙を書くことを躊躇してしてまうほど、青年には勇気がないと記されています。

さらには、手紙の内容はほとんど嘘であることが最後に打ち明けられます。嘘をついたのは「トカトントン」のせいだと記されていますが、どうも自分の生み出すものに自信がないため、予防線を張っているようにしか思えません。

つまり、手紙の内容は自分で創作した小説であり、本心では作品として小説家に読んでもらいたかったのでしょう。

臆病な青年は、その臆病さ故に、自分の作品を小説家に送くれなかったのだと思います。作品を非難されることを極度に恐れていたのでしょう。そのため、手紙という建前で小説家に自分の作品を送り、批評を避ける形で読んでもらおうとしたのだと思います。

「あまりにつまらないから、やけになって、ウソばっかり書いたような気がします。」
「読みかえさず、このままお送り致します。」

このように、自分の作品を非難されることを恐れて、自ら保険を掛けるような文章も綴られています。

小説家はそのことに勘付いたからこそ、下記のように一蹴したのかもしれません。

「いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。」

『トカトントン/太宰治』

つまり、「知識ばかりで行動を起こすことを避けている青年には、勇気が足りない」と、青年の弱い部分を指摘しているように思われます。

そして、最後に記された「不尽」とは、「まだまだ言いたいことはあるが」という小説家の含みのある、洒落た締め括りのようです。

作品の質よりも、作者の精神を非難される形で、青年の企みは失敗に終わったわけです。

以上、太宰治の短編小説『トカトントン』のあらすじと考察の説明を終了します。

長い間お付き合いありがとうございました。この文章が気に入った方は、是非シェアをお願いいたします。

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