安部公房『壁―S・カルマ氏の犯罪』あらすじ解説|芥川賞受賞作

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壁 散文のわだち

安部公房の小説『壁―S・カルマ氏の犯罪』は、芥川賞を受賞した、初期の代表作です。

「S・カルマ氏の犯罪」以外に2部を収録するオムニバス形式で刊行されています。

本記事では、あらすじを紹介した上で、物語の内容を考察しています。

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作品概要

作者安部公房(68歳没)
発表時期  1951年(昭和26年)  
ジャンル中編小説
不条理文学
ページ数138ページ
テーマ自己の存在
自他の境界線
受賞第25回芥川賞

あらすじ

あらすじ

ある朝、主人公は目覚めと同時に違和感を抱きます。なんと、食堂でツケ払いの署名をする際に、自分の名前が思い出せないのです。身分証明書からは名前が消えています。職場の名札には「S・カルマ」と書かれているのですが、果たして自分の名前とは思えません。そして驚いたことに、自分の席には「名刺」が座っているのでした。つまり、自分から「名前」が分離しているのです。

空虚感を覚え病院へ行くと、待合室の雑誌に記載された砂丘風景を胸の中に吸い込んでしまいます。その次に向かった動物園では、ラクダを吸い込みかけたところ、窃盗罪で捕まえられ裁判にかけられます。ところが名前がない以上、法律で裁くことができず、証人として来ていた同僚のY子と共に、法廷を逃げ出します。

Y子と動物園デートに行く約束を交わした主人公ですが、自分の持ち物が魂を持ったように反乱して行手を阻みます。ようやく動物園に辿り着くと、Y子はマネキンに変わっていました。帰り道に街のショーウィンドウの人形から、「世界の果てへのチケット」を貰い、世界の果てが自分の部屋であることを知り、自室の壁を見つめていると知らないうちに荒野に居ました。地面から壁が生えてきて、その壁のドアの先にある酒場で「成長する壁調査団」に主人公は解剖されそうになります。調査団のユルバン教授はラクダに乗って、主人公の中を探索しますが、川の氾濫に蒼ざめて戻ってきて、調査を中止し逃げていきます。一人残された主人公は、壁そのものに変形するのでした。

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個人的考察

個人的考察-(2)

不条理文学とは

安部公房の『壁』は、しばしば不条理文学に位置づけられます。

不条理文学とは・・・
原因不明の非合理な出来事における、人間の振舞いを描いた文学作品。代表作は、カフカの『変身』、ドフトエフスキーの『地下室の手記』など。

なるほど、本作『S・カルマ氏の犯罪』は、ある朝目覚めると自分の名前が無くなり、窃盗罪で裁判にかけられる、という、いかにも不条理な物語でした。カフカの『変身』の、ある朝目覚めたら巨大な毒虫になっていた、という設定と非常に親近感を覚えますね。

また不条理文学の特徴として、「何故そうなったのか」という明確な原因が描かれません。

つまり「何故主人公の名前が無くなったのか」に理由は存在せず、むしろ「名前が無くなった人間はどうなるのか」という視点で描かれているのです。

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名前の喪失が意味するもの

不条理に名前を喪失した主人公。果たして人間社会において、「名前」とはいかなる役割を果たしているのでしょうか。

仮に名前が無ければ、就労も出来ず、家を借りることも出来ませんし、あらゆる社会保障も受けられません。些細なことで言えば、車を運転することも、クレジットカードを作ることも不可能です。

つまり、「名前」は自分の社会的な存在を証明する記号で、「名前の喪失=存在権の喪失」と言えるでしょう。存在権を失った主人公には、あらゆる理不尽が待ち構えていました。窃盗罪容疑、裁判、監視、調査団の襲来、などです。存在権(人権)を失った者は、奇異な目を向けられ、不当に扱われる、という人間社会の末路を描いていたのだと思います。

あるいは、名前とは他者に認識してもらうための記号でもあります。仮に世界に自分以外の人間が存在しなければ、名前など持つ必要がありません。作中にはY子という恋人が登場しますが、主人公の名前が失われたことで、Y子との関係も壊れてしまいます。名前による相互認識が失われた時点で、他者との関係性も損なわれます。Y子がマネキンに変化したのは、自分の名前が失われたために、他者を正確に認識できなくなったのでしょう。

さらに本作を解釈する上で重要なのが、名前は完全に消滅したのではなく、あくまで自分から分離したという点です。名前は、「名刺」という別の存在として、職場で働いたり、Y子とデートをするのです。短絡的に言えば、「名前を持つ自分」と「名前を持たない自分」の両方が存在することになります。

この二面性は、「社会的な自分」と「個人的な自分」と表現することも出来るでしょう。

書籍背面には、名前を喪失した主人公は「習慣に塗り固められた現実での存在権を失った」と記されています。つまり、名前を失った主人公は、ある意味社会習慣に囚われない純粋な自分とも言えます。

  • 「主人公」=「名前を持たない自分」=「習慣に囚われない自分」
  • 「名刺」=「名前を持つ自分」=「習慣に塗り固められた自分」

ともすれば、主人公が強いられる数々の不条理ーーー周囲に奇異な目を向けられ、犯罪者扱いされ、父親に狂人扱いされる。これらは世俗よりも、個性を優先した際に、社会から受ける扱いを意味しているのかもしれません。

かつてソクラテスという哲学者は、不信仰と不道徳という理由で裁判にかけられ、死刑になりました。世俗から外れた個性を優先した際に待ち受ける社会的制裁。世間の断罪。その不条理はまるで、S・カルマ氏に降りかかる理不尽と重なる部分があります。

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世界の果てが自分の部屋

Y子が人形に変わり、途方に暮れた帰り道、ショーウィンドウの人形に、「世界の果て」のチケットを貰います。名前が無い限り法定が続くなら、世界の果てに行ってしまえばいい、と人形が助言したのです。その後、「世界の果て」が自分の部屋だと判明します。

地球が球体だと証明されて以来、「世界の果て」という概念も変化したと綴られます。確かに球体を進めば同じ地点に戻ってきますから、ある意味自分の居る場所が、世界の果てだと考えることも出来ます。

また前述の通り、本作は自己の存在や、他者からの認識、がキーワードになっています。そのテーマに則れば、最もパーソナルな場所である自室とは、他者から最も遠い場所、つまり「世界の果て」という解釈が可能です。

主人公は自分の部屋で壁を凝視しているうちに、荒野の中に立っていました。それはかつて病院で雑誌を読んでいる際に、心の中に取り込んでしまった風景です。ともすれば主人公は自分の心の中の風景に居ることになります。

このことから、最もパーソナルな場所である自分の部屋は、「自分の心の中」のメタファーだったと考えられます。他者が踏み込めない心の領域、そういった意味での「世界の果て」だったのでしょう。

「世界の果て」=「自分の部屋」=「心の中」

「成長する壁調査団」は、荒野にそびえ立つ壁のドアから通ずる酒場に押し換えてきて、主人公の部屋にやって来ます。調査団は主人公の解剖を試みたり、あるいはラクダに乗って主人公の目から内側に入ってしまいます。これは他者がぶしつけに自分の心の領域に立ち入る行為を、メタファー的に表現していたのでしょう。

調査団の1人は主人公の父親でした。目の中に入った父親は、最終的には川の氾濫によって中から逃げ出し、部屋から帰っていきます。と言うことは、主人公の心の領域に立ち入る親の存在、つまり父親の干渉を克服した、という隠れた設定があったのかもしれません。

酒場にはY子も居ました。ところが主人公が調査団に連行される際に、彼女は「さようなら」という言葉を告げ、主人公の部屋にはやって来ませんでした。愛する者が自分の部屋にはやって来ない、Y子とは心で通じ合えなかったということなのでしょうか。

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壁の正体とは

心の荒野にそびえ立つ壁。その裏のドアから通ずる酒場。酒場にはY子や調査団が居て、調査団は壁のドアを通じて主人公の部屋に来ます。つまり壁は、荒野(主人公の部屋)と酒場の境界線だったのです。

荒野が心の中、酒場が社会と考えられます。ともすれば、壁とは、自分と他人の境界線を意味しているのでしょう。社会(他者)から自分を守る存在とも言えます。

最終的には、主人公自身が「成長する壁」になりました。自分と他者の境界線を自ら肥大化させることで、物語は幕を閉じたのです。

この自ら境界線となり肥大化する行為は、良くも悪くも解釈できます。

周囲の奇異な目、ぶしつけな侵入者、理不尽な裁判。壁を肥大化させて、それら外部(社会)の攻撃から自分を守ることに成功した、と解釈するならハッピーエンドです。

一方で忘れてはいけないのがY子の存在です。彼女は酒場から主人公の部屋に来ませんでした。(心の)壁を越えなかったのです。ともすれば、壁を肥大化させる分、他者と心で通じ合うことが不可能になっていくわけです。誰にも認められず、誰にも認識されない、孤独の殻に主人公が籠ってしまったと解釈するなら、多少バッドエンドとも言えます。

ある面では踏み込まれたくないが、ある面では踏み込んでもらいたい。主人公の心にそびえ立つ壁にはドアがありました。本当に心を閉ざすのであればドアなど必要ありません。安部公房が描いた壁にはドアがあった、それは人間の最後の求愛じみたものが感じられます。完全な孤独では、人間は、生きていけませんから。一方で誰かがドアをノックするのを待っているのでしょう・・・。

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